大枝陵と母方への大枝賜姓とは? わかりやすく解説

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大枝陵と母方への大枝賜姓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 17:37 UTC 版)

高野新笠」の記事における「大枝陵と母方への大枝賜姓」の解説

新笠の陵は、山背国乙訓郡大枝現在の京都市西京区大枝沓掛町)に造られた。現在、伊勢講山の円墳比定されているが、同時代陵墓と同様、長く所在不明となっており、比定明治13年1880年であった。 新笠の死から一周忌となる延暦9年790年12月1日桓武天皇外祖父母の高野(和)乙継・土師真妹正一位追贈し、合わせて祖母・真妹に「大枝朝臣」を賜姓した。また、真妹の同族であるとして菅原真仲・土師麻呂の2名にも「大枝朝臣」姓を与えた次いで同年同月30日土師諸士らの一族に「大枝朝臣」が賜姓された。 新笠の陵所と、母・真妹及び一族与えられた姓が同じ「大枝」であることから、真妹の居住地山背国乙訓郡大枝であり、招婿婚習慣から新笠もそこで生まれ育ち、それが桓武天皇山背国への遷都、特に大枝に近い長岡京への遷都誘因となったとの説がある。しかし、土師真妹和乙継の墓はともに大和国在ること、初めに大枝」姓を与えられ2人のうち菅原真仲は天応元年781年)に居住する大和国菅原因んで改姓した15人のひとりであること、また、新笠と同時期に死去した皇后藤原乙牟漏夫人藤原旅子らの陵墓近隣長岡京の北の丘陵にあることから、新笠が大枝の地に葬られたのは当時慣習過ぎず、母・真妹とその一族に「大枝」姓が与えられたのは、逆に新笠の陵地に因むのであるとの説もある。

※この「大枝陵と母方への大枝賜姓」の解説は、「高野新笠」の解説の一部です。
「大枝陵と母方への大枝賜姓」を含む「高野新笠」の記事については、「高野新笠」の概要を参照ください。

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