大枝陵と母方への大枝賜姓
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「高野新笠」の記事における「大枝陵と母方への大枝賜姓」の解説
新笠の陵は、山背国乙訓郡大枝(現在の京都市西京区大枝沓掛町)に造られた。現在、伊勢講山の円墳が比定されているが、同時代の陵墓と同様、長く所在不明となっており、比定は明治13年(1880年)であった。 新笠の死から一周忌となる延暦9年(790年)12月1日、桓武天皇は外祖父母の高野(和)乙継・土師真妹に正一位を追贈し、合わせて祖母・真妹に「大枝朝臣」を賜姓した。また、真妹の同族であるとして菅原真仲・土師菅麻呂の2名にも「大枝朝臣」姓を与えた。次いで同年同月30日、土師諸士らの一族に「大枝朝臣」が賜姓された。 新笠の陵所と、母・真妹及び一族へ与えられた姓が同じ「大枝」であることから、真妹の居住地は山背国乙訓郡大枝であり、招婿婚の習慣から新笠もそこで生まれ育ち、それが桓武天皇の山背国への遷都、特に大枝に近い長岡京への遷都の誘因となったとの説がある。しかし、土師真妹と和乙継の墓はともに大和国に在ること、初めに「大枝」姓を与えられた2人のうち菅原真仲は天応元年(781年)に居住する大和国菅原に因んで改姓した15人のひとりであること、また、新笠と同時期に死去した皇后藤原乙牟漏、夫人藤原旅子らの陵墓も近隣、長岡京の北の丘陵にあることから、新笠が大枝の地に葬られたのは当時の慣習に過ぎず、母・真妹とその一族に「大枝」姓が与えられたのは、逆に新笠の陵地に因むものであるとの説もある。
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