遍歴時代と結婚(1490-1494)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 00:35 UTC 版)
「アルブレヒト・デューラー」の記事における「遍歴時代と結婚(1490-1494)」の解説
見習い期間を終了すると、デューラーは一般的なドイツの習慣であった、ギャップ・イヤー中に見習い人が他の地域で芸術家から技術を学ぶ遍歴の旅に出た。デューラーは遍歴で約4年間を過ごした。彼は1490年に、北ヨーロッパの先進的な彫刻家のマルティン・ショーンガウアーの下で働こうと旅立ったが、1492年に彼がアルザスのコルマールに到着する直前にショーンガウアーは亡くなってしまった。1490年に旅立ってから1492年にコルマールに到着するまで、デューラーがどこを彷徨っていたのかは不明だが、フランクフルトかオランダにいたと思われる。コルマールで彼はマルティン・ショーンガウアーの兄弟である金細工師のカスパーとパウル、画家のルートヴィヒに歓迎された。1493年デューラーはストラスブール(シュトラスブルク)に出かけ、そこでオランダ人のニコラウス・ゲルハールト(オランダ語版)の彫刻と出会った。『1493年の自画像』はこのときに描かれ、おそらくニュルンベルクの彼の婚約者に送られた。この自画像でデューラーが右手に持っている植物は「夫の貞操」を意味するエリンギウムだと考えられている。 1492年初頭にデューラーはバーゼルに赴き、マルティン・ショーンガウアーの他の兄弟である金細工師ゲオルクと共に住んだ。23歳になった彼は、1494年7月7日にニュルンベルクに戻るとすぐにアグネス・フライと結婚した。結婚は彼が不在の時に用意されていた。アグネスはこの街の優秀な真鍮職人で資産家、アマチュアハープ奏者ハンス=フライの娘であった。しかし、夫妻には子供ができなかった。
※この「遍歴時代と結婚(1490-1494)」の解説は、「アルブレヒト・デューラー」の解説の一部です。
「遍歴時代と結婚(1490-1494)」を含む「アルブレヒト・デューラー」の記事については、「アルブレヒト・デューラー」の概要を参照ください。
- 遍歴時代と結婚のページへのリンク