父幼老卵とは? わかりやすく解説

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父幼老卵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/27 09:18 UTC 版)

父幼老卵(ふようろうらん、享保9年(1724年) - 文化2年11月2日1805年12月22日))は、出羽国田川郡(現・山形県鶴岡市)出身の、曹洞宗

人物

天桂伝尊から4世の法孫で、『正法眼蔵那一宝』1巻~22巻(『正法眼蔵』の註釈書。)の撰述者として知られる。

また、延享3年(1746年)に刊行された『永祖略録虵足』(『高祖古仏略録弁解』)は、これまで天桂伝尊が撰述したと伝えられてきたが、天桂は1735年に没しているため、父幼老卵が撰述者である可能性が高いと考えられている。

略歴

  • 1724年、出羽国庄内(現・山形県鶴岡市)に、商人の丸屋弥兵衛の次男として生れる。
  • 1733年、総穏寺で出家する。
  • 1791年、『正法眼蔵那一宝』1巻~22巻を刊行。
  • 1746年、『永祖略録虵足』(『高祖古仏略録弁解』) を刊行。
  • 1775年、『千里一鞭』を刊行。
  • 1787年周防の洞泉寺に転住。
  • 1803年、本山永平寺衆徒の訴えで脱衣追放される。
  • 諸国を移住したのち西田川郡福栄村越沢(現・鶴岡市)の竜雲寺や、東田川郡狩川阿古屋(現・東田川郡庄内町)の冷岩寺に住した。
  • 1805年12月22日、鶴岡の破鏡庵で死去。享年82

著作物

  • 『正法眼蔵那一寶』1 - 22巻 1791年 駒澤大学図書館蔵(『永平正法眼蔵蒐書大成 16 』1974年 大修館書店に収録)
  • 『永祖略録虵足』(『高祖古仏略録弁解』) 1746年
  • 『永平元禅師語録弁解』
  • 『千里一鞭』 1775年

参考資料

  • 『荘内洞上諸祖伝おもしろ僧略伝記』 著者:大場秀弘
  • 『庄内人名辞典』 大瀬欽哉(代表編者) 致道博物館内「庄内人名辞典刊行会」(発行)
  • 『庄内文化芸術名鑑』 長南寿一(著) 1982年




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