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中臣逸志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 08:27 UTC 版)

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中臣逸志
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 延暦13年(794年
死没 貞観9年1月24日867年3月4日
別名 壱志
官位 従四位上神祇伯
主君 仁明天皇文徳天皇清和天皇
氏族 中臣氏
父母 父:中臣益継
大中臣伊度人、安人、起生
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中臣 逸志(なかとみ の いちし)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。名は壱志とも記される。中臣氏三門、伊賀守・中臣益継の子。官位従四位上神祇伯

経歴

平安京左京出身。承和3年(836年)内蔵少允に任ぜられると、同大允・助と内蔵寮官人を歴任し、承和15年(848年)内蔵頭に至る。この間の承和11年(844年従五位下叙爵している。

嘉承2年(849年)神祇権少副、嘉承3年(850年)神祇大副、貞観2年(860年)神祇伯と、仁明朝末以降は内蔵頭に神祇省官人も兼ね、各地の神社へしばしば派遣されている。また、この間に仁寿元年(851年)従五位上、貞観元年(859年正五位下、貞観5年(863年従四位下、貞観9年(867年)従四位上と清和朝において順調に昇進した。

貞観9年(867年)1月24日卒去享年74。最終官位は従四位上行神祇伯。

官歴

注記のないものは『六国史』による。

系譜

「中臣氏系図」(『群書類従』巻第62所収)による。

  • 父:中臣益継
  • 母:不詳
  • 生母不明の子女

参考文献




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