賀陽宮邦憲王
賀陽宮邦憲王
賀陽宮邦憲王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 02:29 UTC 版)
詳細は「賀陽宮邦憲王」を参照 初代邦憲王(くにのりおう)は、慶応3年(1867年)に朝彦親王の第2王子として誕生。幼名を巖麿王という。兄が夭逝していたため久邇宮家の家督を継ぐ予定だったが、病身により弟邦彦王に譲った。1892年(明治25年)に侯爵醍醐忠順の長女好子と結婚し、同年12月17日に「賀陽宮」の宮号(称号)を受けた。1900年(明治33年)1月に男子(恒憲王)が誕生したことから新宮家設立を明治天皇に請願し、勅許を得て同年5月に宮家に列せられた。1895年(明治28年)に伊勢神宮祭主に就任。1909年(明治42年)、42歳で薨去。
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