邦憲王妃好子
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邦憲王妃 好子(くにのりおうひ よしこ、1865年12月7日(慶応元年10月20日[2]) - 1941年(昭和16年)11月26日)は、日本の皇族。賀陽宮邦憲王の妃。醍醐忠順侯爵の長女で、旧名は醍醐好子。
注釈
出典
- ^ a b c d e 宇治冬子 1924, p. 24.
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻(霞会館、1996年)p.31
- ^ 明治25年宮内省告示第12号(『官報』第4471号、明治25年11月26日)(NDLJP:2946090/8)
- ^ a b 中村 1909 p.47
- ^ a b c 関東大震災講話資料 1925 p.111
- ^ 飯塚 1923 p.20
- ^ a b 『官報』号外、昭和16年11月26日(NDLJP:2960966/34)
- ^ 昭和16年宮内省告示第32号(『官報』号外、昭和16年11月26日)(NDLJP:2960966/34)
- ^ 昭和16年宮内省告示第33号(『官報』第4471号、昭和16年12月2日)(NDLJP:2960971/2)
- ^ 『官報』第3741号「叙任及辞令」、明治28年12月16日(NDLJP:2947017/3)
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」、明治39年11月3日(NDLJP:2950348)
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
- 1 邦憲王妃好子とは
- 2 邦憲王妃好子の概要
- 3 参考文献
- 4 脚注
- 邦憲王妃好子のページへのリンク