賀陽宗成とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 賀陽宗成の意味・解説 

賀陽宗成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 08:50 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

賀陽 宗成(かや の むねなり、生没年不詳)は、平安時代前期の官人朝臣

経歴

備中国賀夜郡の人。貞観4年(862年)3月、左大史正六位上で本貫を左京に移す[1][2]

同6年(864年)1月、外従五位下に叙され[3]、同6月、安房守[4]。同7年(865年)5月、備後介に任じた[5][6]。他の事績は不明。

官歴

『日本三代実録』による。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 『日本三代実録』巻第六、清和天皇、貞観4年3月4日条
  2. ^ 阿部 2009, 213頁.
  3. ^ 『日本三代実録』巻第八、清和天皇、貞観6年正月7日条
  4. ^ 『日本三代実録』巻第九、清和天皇、貞観6年6月28日条
  5. ^ 『日本三代実録』巻第十、清和天皇、貞観7年5月16日条
  6. ^ 阿部 2009, 214頁.

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  賀陽宗成のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「賀陽宗成」の関連用語

賀陽宗成のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



賀陽宗成のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの賀陽宗成 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS