大中臣安則とは? わかりやすく解説

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大中臣安則

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/20 03:24 UTC 版)

 
大中臣 安則
時代 平安時代前期 - 中期
生誕 承和14年(847年
死没 延長6年正月24日928年2月14日[1]
官位 従四位上神祇伯
主君 光孝天皇宇多天皇醍醐天皇
氏族 大中臣氏(二門)
父母 父:大中臣道雄
兄弟 安景、有常、春常、秋常、時常、安則
完行、密如、述征、茂之、俊行、正行、文行、頼行、光行、佐行
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大中臣 安則(おおなかとみ の やすのり)は、平安時代前期から中期にかけての貴族伊勢神宮祭主参議大中臣子老の曾孫。駿河守・大中臣道雄の六男。官位従四位上神祇伯

経歴

宇多朝寛平6年(894年正六位上神祇権大祐のときに伊勢神宮祭主に補せられ、翌寛平7年(895年従五位下・神祇権大副に叙任される。寛平9年(897年醍醐天皇即位に伴い従五位上に叙せられた。

延喜6年(906年)に大中臣良臣ら同族8人らと共に『新撰氏族本系帳』を奉り、『延喜式』の撰修にも携わった。延喜14年(914年正五位下、延喜17年(917年従四位下に叙せられ、延喜18年(918年神祇伯に任ぜられ、延喜23年(923年)従四位上に至った。この間に祭主として、延喜22年(922年)4月、延喜23年(923年)正月に京の病の平癒を祈禳。延長3年(925年)5月、延長5年(927年)5月には祈雨を行っている[2][3]

醍醐朝末の延長6年(928年)正月24日に卒去享年82。

官歴

『類聚大補任』による。

系譜

「中臣氏系図」(『群書類従』巻第62所収)による。

  • 父:大中臣道雄
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
  • 生母不明の子女
    • 長男:大中臣完行
    • 次男:大中臣密如
    • 三男:大中臣述征
    • 四男:大中臣茂之
    • 五男:大中臣俊行
    • 六男:大中臣正行
    • 七男:大中臣文行
    • 八男:大中臣頼行
    • 九男:大中臣光行
    • 十男:大中臣佐行

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 『大中臣氏系図』による。『類聚大補任』には没年を延長3年(925年)、承平3年(933年)とする説を載せる。没年齢はともに82。
  2. ^ 『日本紀略』延長3年5月25日条
  3. ^ 『貞信公記』延長5年5月25日条



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