藤波清忠とは? わかりやすく解説

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藤波清忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/05 16:04 UTC 版)

 
藤波 清忠
時代 室町時代
生誕 不明
死没 文明元年(1469年)?[1][注 1]
別名 清宣(初名)
官位 従二位非参議
主君 後小松天皇後花園天皇
氏族 藤波家
父母 藤波清世
兄弟 清誠、清基、清郷、清忠
秀忠、大中臣敏忠
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藤波 清忠(ふじなみ きよただ)は、室町時代公卿。神祇大副、伊勢神宮祭主

生涯 

神宮祭主藤波清世の子として生まれる。初名は清宣(きよのぶ)。

応永35年(1428年)4月、祭主であった大中臣通直が逝去するが、それに伴って、同年中に祭主となる[2]。その後、神祇権大副となる。永享3年(1431年)には正三位となる[注 2]。永享11年(1439年)に神祇大副へ転任した。

嘉吉3年(1443年)9月3日、通直の子・宗直が祭主となる[2]も、同月20日1443年10月13日)に清忠が還任した[2]文安3年(1446年)4月には再び宗直が祭主となる[2][注 3]宝徳2年(1450年)正月に宗直が病で亡くなり、同年2月5日、清忠が祭主に還任した[2][注 4]寛正元年(1460年)8月、神祇権大副吉田兼名が従二位に昇叙してしまったことで、後日、同日付で従二位に叙された[注 5]

官歴

系譜 

  • 父:藤波清世
    • 兄弟:藤波清誠、藤波清基、藤波清郷
  • 妻:不詳

脚注 

注釈

  1. ^ 『公卿補任』では文明元年以降名が見えず。
  2. ^ 『公卿補任』後花園天皇永享三年条。同書ではこの年より初見。
  3. ^ 『公卿補任』後花園天皇文安四年条。「前祭主。」とある。
  4. ^ 『公卿補任』後花園天皇宝徳二年条。「補祭主。」とある。
  5. ^ 『公卿補任』後花園天皇寛正元年条。「八月八日叙従二位(後日宣下。依兼名超越也。)」とある。

出典

  1. ^ 藤波家”. 公卿類別譜. 2020年12月13日閲覧。
  2. ^ a b c d e 神宮司庁 編『神宮要綱』神宮皇学館館友会、1929年。 

参考文献 




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