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大中臣親章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 04:51 UTC 版)

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大中臣親章
時代 平安時代後期
生誕 康和5年(1103年
死没 永暦2年正月29日1161年2月15日
別名 号:岩出、南三位
官位 従三位神祇大副伊勢神宮祭主
主君 鳥羽天皇崇徳天皇近衛天皇後白河天皇二条天皇
氏族 大中臣氏(二門)
父母 父:大中臣親仲[1]、母:橘季宗娘
兄弟 親隆親章、親通、親範、源仲、宗親
為親、親家
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大中臣 親章(おおなかとみ の ちかあき)は、平安時代後期の公卿伊勢神宮祭主神祇権大副大中臣親仲の子[1]官位従三位・神祇大副、伊勢神宮祭主。南三位と号す。

経歴

永久3年(1115年太神宮の造営の功で山城守に任ぜられる。大治6年(1131年)に従五位上河内守に叙任され、保延2年(1136年正五位下に叙せられる。

康治2年12月(1144年1月)、神祇少副に任ぜられる。久安6年(1150年)には神祇権大副に進み、仁平4年(1154年)正月に従四位下、同年8月には従四位上に叙せられた。久寿2年(1155年正四位下に叙せられ、保元2年(1157年)第40代伊勢神宮祭主に補任される。同年神祇大副に転じ、平治元年(1159年)には従三位に叙せられて公卿に列した。永暦2年(1161年)正月29日、59歳で薨去した。

官歴

※以下、『公卿補任』の記載に従う。

  • 時期不詳:従五位下に叙す。
  • 永久3年(1115年)正月29日:山城守に任ず(造太神宮功)。
  • 大治6年(1131年
    • 正月5日:従五位下に叙す(治国)。
    • 正月21日:河内守に任ず。
  • 保延2年(1136年)正月27日:正五位下に叙す(除目次。造豊受太神宮)。
  • 康治2年12月15日(1244年1月21日):神祇少副に任ず。
  • 久安6年(1150年)6月25日:神祇権大副に転ず。
  • 仁平4年(1154年
    • 正月2日:従四位下に叙す(造斎宮寮中院功)。
    • 8月9日:従四位上に叙す(九月十一日造宮使賞)。
  • 久寿2年(1155年)11月22日:正四位下に叙す。
  • 保元2年(1157年
    • 8月14日:祭主宣旨を蒙る。
    • 9月9日:神祇大副に任ず。
  • 平治元年(1159年)11月22日:従三位に叙す(大嘗會)。
  • 永暦2年(1161年)正月29日:薨去。享年59。

系譜

  • 父:大中臣親仲
  • 母:橘宗季の娘
  • 妻:不詳
  • 生母不明の子女
    • 男子:大中臣為親(1125-1169)
    • 男子:大中臣親家(?-1200)

脚注

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  1. ^ a b 『大中臣氏系図』、『藤波家譜』など。『祭主補任次第記』等によると、親仲の父である親定の子で、親仲の養子。



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