大中臣定長とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 作家 > 歌人 > 平安時代の歌人 > 大中臣定長の意味・解説 

大中臣定長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 04:42 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
大中臣定長
時代 平安時代後期
生誕 不明
死没 康治元年12月9日1142年12月27日
官位 神祇権大副
主君 崇徳天皇
氏族 大中臣氏
父母 父:大中臣定登、養父:大中臣公長
清長
テンプレートを表示

大中臣 定長(おおなかとみ の さだなが)は、平安時代後期の歌人。大中臣定登の子で、祭主・大中臣公長の養子。官位神祇権大副

経歴

保延4年(1138年)、養父・公長が殺人の罪に問われて職務を停止されたため、定長も連座して神事供奉を停止された。その後、神祇権大副(神祇官の次官)に転任し、康治元年(1142年)12月9日に卒去した。詠歌が『金葉和歌集』に1首収録されている(歌番号672)。

系譜

  • 父:大中臣定登
  • 母:不詳
  • 養父:大中臣公長 - 叔父(父の末弟)、従二位祭主
  • 妻:不詳
    • 男子:大中臣清長

参考文献





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大中臣定長」の関連用語

大中臣定長のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大中臣定長のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大中臣定長 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS