父方の一族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/22 14:32 UTC 版)
「ノストラダムス関連人物の一覧」の記事における「父方の一族」の解説
アストリュージュ・ド・カルカソンヌ(Astruge de Carcassonne) 史料からアヴィニョンの商人と推測されているユダヤ人(1370年頃 - 1417年以降)。姓も含め、異称が多い。 ヴィタル・ド・カルカソンヌ(Vital de Carcassonne) アヴィニョンの卸売商(1390年頃 - 1452年)。アストリュージュの息子。 アルノートン・ド・ヴェロルグ(Arnauton de Vélorgue) アヴィニョンの商人(1410年頃 - 1473年頃)。ヴィタルの息子で、ノストラダムスの父方の曾祖父にあたる。元の名はダヴァン(Davin)。ユダヤ教からキリスト教に改宗した後、アルノートン・ド・ヴェロルグと改称した。 ピエール・ド・ノートルダム(Pierre de Nostredame) アヴィニョンの卸売商(1430年頃 - 1485年頃)。アルノートンの息子で、ノストラダムスの父方の祖父。 もとの名はクレカ(Cresquas)。ギ・ガソネ(Guy Gassonnet)、ギドン・ガソネ、ヴィド・ガソメ、ペロ・ド・サント=マリー、ペロ・ド・ノートルダムなど、数多くの異称が記録されている。 同時期にカルパントラで活動していた商人のピエール・ド・ノートルダム(生年未詳 - 1456年)は別人。また、ブランシュの父であった医師ピエール・ド・サント=マリーも、ピエール・ド・ノートルダムを名乗ることはあったが、勿論彼も別人である。この他にも、子供や孫に同名の人物がいる。 ブランシュ・ド・サント=マリー(Blanche de Sainte-Marie alias de Nostredame) ノストラダムスの父方の祖母(生年未詳 - 1503年以降)。ピエールの三度目の結婚相手で、ブランシュ・ド・ノートルダムとも名乗った。 ジョーム・ド・ノートルダム(Jaume de Nostredame) ピエールの息子で、ノストラダムスの父(1470年頃 - 1547年頃)。名はジャックともいう。父祖同様アヴィニョンで商業を営んでいたが、1495年の結婚を期にサン=レミに転居した。レニエールとの間に長男ミシェル(ノストラダムス)を含む8男1女をもうけた。 マルグリット・ド・ノートルダム(Margueritte de Nostredame) ピエールの娘でジョームの妹(1485年以前 - 没年未詳)。ノストラダムスの叔母にあたる。夫とともにアヴィニョンに住んでいたため、ノストラダムスのアヴィニョン大学在学中に面倒を見たとも言われるが、史料的な根拠はない。
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