王政復古以後のニューイングランド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 18:41 UTC 版)
「アメリカ合衆国における政教分離の歴史」の記事における「王政復古以後のニューイングランド」の解説
1660年に始まったイングランド王政復古後、イングランド国教会は公定教会として再び復活し、ピューリタン革命の反動で、長老派や独立派、バプティスト、クエーカーへの弾圧が実施された。しかしこれらの弾圧によって根絶やしにすることは不可能であった。ニューイングランド植民地でも国教会の立場が強化され、マサチューセッツのピューリタンに寛容が求められた。 チャールズ2世は本国ではクラレンドン法で清教徒を弾圧し、植民地では他宗派への寛容を求めたが、ニューイングランドのバプテストは自分たちへの寛容を求めたため、王はロードアイランドやペンシルヴェニアの寛容政策を認可した。また、王権の基盤として植民地の王領化が進められ13植民地の中のバージニアとニューヨークが王領植民地となった。なお、領主植民地はペンシルバニア、メリーランド、自治植民地はマサチューセッツ、ロードアイランド、コネティカットであった。
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