近世日本国民史とは? わかりやすく解説

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きんせいにほんこくみんし【近世日本国民史】

読み方:きんせいにほんこくみんし

徳富蘇峰著作織田信長の時代から明治時代に至る日本の歴史詳説したもの。全100巻。大正7年(1918)に起稿され、大正12年(1923)、最初10巻刊行され段階で、第13回帝国学士院賞(現日本学士院賞恩賜賞受賞戦中戦後には執筆刊行とも中断したが、昭和26年1951)に口述による執筆再開翌年完結最終巻は、著者没後昭和37年1962)に刊行された。


近世日本国民史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/27 09:02 UTC 版)

近世日本国民史』(きんせいにほんこくみんし)は、1918年から第二次世界大戦後1952年にかけて徳富蘇峰が著した、近世安土桃山時代江戸時代)以降の日本通史。全100巻。

概要

織田信長の時代から豊臣政権江戸時代幕末維新期、西南戦争までを綴ったもの。多くの資料を駆使して書かれており、個人編著の歴史書としては、世界でも屈指の規模とされる。全巻のうち7割が幕末・維新期(ペリー来航から西南戦争まで)の記述にあてられている。この業績が評価され、徳富蘇峰は1923年帝国学士院から恩賜賞を授与された[1]

蘇峰は1918年、『国民新聞』に連載を開始し、同年『織田氏時代 前篇』を刊行した。以後、第二次世界大戦終結の1945年までに、第76巻『明治天皇御宇史 15』までを刊行した(いずれも民友社より)。占領下では公職追放になったこともあり、一時執筆作業を中断し、1951年に再開した。大久保利通の暗殺、木戸孝允の死までを描く最終巻の『明治時代』を脱稿したのは1952年と、34年をかけた文字通り畢生の大著になった(なお、最終数巻は1980年から1981年に講談社学術文庫で、『西南の役』全7巻と『明治三傑』として改題再刊された)。

背景

蘇峰は若い頃から歴史家として著述活動を目指しており、多くの貴重文献を購い、民友社時代(1893年)に革命家として捉えた『吉田松陰』を著し、竹越三叉(『新日本史』、『二千五百年史』)・山路愛山(『足利尊氏』)・三宅雪嶺(『同時代史』)と並ぶ、在野の「史論史学」の歴史家として名を馳せたが、明治天皇崩御をきっかけに、一大叢書の編纂を思い立ったという。つまり、本来蘇峰がこの『近世日本国民史』を書こうとした動機は、「明治天皇の時代史」を書くことにあった。明治天皇の時代を書くためには孝明天皇の時代を書かなければならず、孝明天皇の時代を書くためには徳川時代を、徳川時代を書くためには織田・豊臣の時代を書かなければならないと考え、織田・豊臣の時代からの歴史書を書くことを決意した。この構想をもって、蘇峰が『近代日本国民史』の大著の著述に着手したのは、蘇峰56歳の時であった。

言論人・論客として伊藤博文山縣有朋桂太郎らと終生親しく接した経験(また編者代表として彼らの公的伝記を編んだ)が参考になり、信長、秀吉、家康ら英傑の心事を推し量ることができた、とも語っている。

蘇峰は執筆当初、頼山陽の『日本外史』(22巻、800ページ)を目標としていた。しかし結果的に全100巻、総ページ数が4万2,468ページとその四五倍にわたる大作となった[2]

平泉澄は、『解説近世日本国民史』の中で司馬遷史記に感嘆し、ギボンローマ衰亡史を愛讀し、乃至ギーゼブレヒトのドイツ帝国史を喜ぶ者は、今や蘇峰翁の近世日本国民史の完成に驚嘆し随喜するに違いない、と最大限の賛辞をおくっている。

内容

『近世日本国民史』の構成は、

  • 緒論…織田豊臣時代〔10巻〕
  • 中論…徳川時代〔19巻〕・孝明天皇の時代〔32巻〕
  • 本論…明治天皇時代の初期10年間〔39巻〕

の計100巻となっており、とくに幕末期の孝明天皇時代に多くの巻が配分されている。

書誌

蘇峰没後の1960年から1966年に、時事通信社[3]で全100冊・別冊2(平泉澄校訂、総索引、附図)が刊行された(新装版1969年刊)。
講談社学術文庫で1979-84年および1991-96年に、題名を一部変更し50冊分が再刊された。
講談社版は刊行本は全点品切だが、電子出版POD版で購入可能。

参考文献

  • 平泉澄 『解説近世日本国民史』 時事通信社1963年3月。以下は解説・要約書
  • 同監修 『近世日本国民史附図』 時事通信社、1960年9月。
  • 同監修 『要約近世日本国民史』全10巻、時事通信社、1967年4月 - 1968年1月。

関連文献

脚注

  1. ^ 「第13回(大正12年5月27日)」『恩賜賞・日本学士院賞・日本学士院エジンバラ公賞授賞一覧 | 日本学士院日本学士院
  2. ^ 久恒啓一「日本偉人伝 徳富蘇峰の歩いた道」28頁
  3. ^ 当時代表だった長谷川才次の方針が大きい。

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