歴史家蘇峰とは? わかりやすく解説

歴史家蘇峰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 05:09 UTC 版)

徳富蘇峰」の記事における「歴史家蘇峰」の解説

近世日本国民史」も参照 歴史家として名声山路愛山とならび、特にその史論高く評価される史書近世日本国民史』は民間史学金字塔と呼ぶべき大作である。蘇峰歴史について、こう語っている。 所謂過去を以て現在を観る、現在を以て過去観る歴史昨日の新聞であり、新聞明日歴史である。従つて新聞記者歴史家たるべく、歴史家新聞記者たるべしとするものである。 『近世日本国民史』は、第1巻織田氏時代 前編」から最終巻までの総ページ数が4万2,468ページ原稿用紙17万枚文字数1,945万2,952文字におよび、ギネスブックに「最も多作作家と書かれているほどである。『近世日本国民史』の構成は、 緒論織田豊臣時代10巻中論徳川時代19巻〕・孝明天皇時代32巻〕 本論明治天皇時代初期10年間〔39巻〕 の計100となっており、とくに幕末期孝明天皇時代多くの巻が配分されている。 蘇峰は、全体3分の1近くをあてるほど孝明天皇時代すなわち幕末維新激動格別意義探っていた。しかし蘇峰は、「御一新」は未完のままあまりに短命に終息してしまったとみており、日本近代には早めの「第二維新」が必要であると考えたそれゆえ蘇峰思想には平民主義皇国主義入り混じりナショナリズムグローバリズムとが結合した。なお、この件について松岡正剛は、蘇峰あまりにも自ら立てた仮説呑み込まれたのではないか指摘している。 蘇峰執筆当初頼山陽の『日本外史』(22巻800ページ)を国民史の分量として目標としていた。しかし、結果的に林羅山林鵞峰の『本朝通鑑』(5,700ページ)や徳川光圀はじめた大日本史』(2,500ページ)の規模を上まわった。 『近世日本国民史』の第十八巻元禄赤穂事件あてられている。義士否認論では佐藤信方らの見解を記すとともに、「吉良故君の仇と思ふは愚の至り」と思想述べられる。但し、「大石放蕩は敵を欺く為の計略といふ深慮遠謀などではなく、只の救い難き好色による処である」「寺坂離脱密命帯びた為でなく、単に臆病だった為」等の独断による主観的な赤穂義士への悪口散見される同書最終巻は西南戦争あてられている。その後日本興隆むかったため西郷隆盛保守反動として片づけられがちであるが、蘇峰西郷をむしろ「超進歩主義者」とみており、一身犠牲にした西郷率い薩摩軍が敗北したことによって、人びと言論によって政権を倒す方向へと向かったとしている。 杉原志啓によればアナキスト大杉栄獄中読みふけっていたのが蘇峰の『近世日本国民史』であり、同書また、正宗白鳥菊池寛久米正雄吉川英治らによっても愛読されていた。松本清張は歴史家蘇峰を高く評価しており、遠藤周作も『近世日本国民史』はじめ蘇峰修史には感嘆の念を表明していたという。 蘇峰は、『近世日本国民史』を執筆しながら「支那では4,000年の昔から偉大な政治家がたくさんいた。日本政治貧困のために国が滅びる」として、同書完成あかつきには支那史(中国史)を書きたいとの意向示していたという。 蘇峰は死ぬまで昭和維新日本国憲法第9条朝鮮戦争等のそれぞれの事象について、つねに独自の見解、いわば「蘇峰史観をもっていた。その意味蘇峰松岡正剛によれば日本近現代においてはきわめて例外的な現在的歴史思想者」であったとしている。

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