歴史家の意見
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ローマ帝国のキリスト教に対する迫害についてテオドール・モムゼンは、ローマ帝国によって「許された宗教」ユダヤ教と「許されざる宗教」キリスト教と対比したが、1世紀段階では、キリスト教迫害はネロ迫害を除いてユダヤ教迫害の一環として行われている。またネロ帝によるキリスト教迫害についても、タキトゥスの記述は2世紀におけるキリスト教観を示しており、1世紀段階のヨセフスや新約聖書との相違が著しいため、その史実性には幅がある。
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歴史家の意見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 07:12 UTC 版)
「クロアチア語版ウィキペディア」の記事における「歴史家の意見」の解説
2013年、ユライ・ドブリラ大学プーラの歴史学の教授ロベルト・クレリッチは、オンライン紙Index.hr(英語版)のインタビューに対し「クロアチア語版ウィキペディアは、管理者たちが誤った、捻じ曲げられた事実を伝えて己の政治信条を推進するために使われた道具に過ぎない」と述べた。彼はクロアチア語版ウィキペディア上の2つの記事を実例として挙げた。1つ目はIstrijanstvo (イストリアの地域主義)で、これは「クロアチア人の数を少なく偽装しようとする動き」と評した。2つ目はantifašizam (反ファシズム)で、クレリッチはこの記事が本来の意味とは逆の定義が為されていると評している。その上でクレリッチは「より多くの人がウィキペディアに関わり、執筆を始めるのがよい」と指摘している。というのも、「管理者たちはウィキペディアの主な利用層である高校生や大学生を食い物にして彼らの意見や態度を塗り替えようとしており、それが重大な問題を引き起こしている」からだという。 また2013年には、ザグレブ大学人文・社会科学部(英語版)の歴史家スニェジャナ・コレンが、クロアチア通信社(英語版)のインタビューに対し、論争になっている記事を「バイアスと悪意がかかっていて、一部の内容は無学によるものである」と評した。さらに彼女は「これらは周縁の組織や運動のページで観られるような記事だが、このようなものがウィキペディアに占める場所はないはずだ」と述べ、記事執筆者の善悪判断の能力に疑義を呈している。コレンは、このような筆致の潜在的な意図は、ナチス・ドイツの傀儡政権クロアチア独立国の復権であり、「このような運動はウスタシャ運動と呼ぶほかない」と結論付けている。 顕著な歴史修正主義・歪曲がみられるクロアチア語版ウィキペディアの記事の代表例が、ヤセノヴァツ強制収容所 (hr:Koncentracijski logor Jasenovac)である。問題となった時期のクロアチア語版では、この強制収容所を「採集所」あるいは「労働所」と表現し、そこで展開された犯罪や犠牲者数を隠し、「右翼メディアと個人ブログ」を出典と称して「膨大な数」の脚注をつけていた。ザグレブ大学人文・社会科学部の歴史家フルヴォイェ・クラシッチ(英語版)は、2018年にバルカン・インサイト(英語版)において「ヤセノヴァツは労働キャンプとしての一面もあるが、それだけに触れるのはミスリーディングである」と主張している。「ヤセノヴァツを単に採集・労働キャンプと説明するのは、ウスタシャのプロパガンダと『同じ言葉を使っている』」のであり、「いくらかの記事とトピックは、極めてナショナリズムの性格、そしてあえて言うなら、親ウスタシャ感情が強調された、完全な(クロアチア語版ウィキペディアの)修正主義者の作法で書かれている。」と述べた。
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