大正デモクラシー時代と『近世日本国民史』の執筆とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 大正デモクラシー時代と『近世日本国民史』の執筆の意味・解説 

大正デモクラシー時代と『近世日本国民史』の執筆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 05:09 UTC 版)

徳富蘇峰」の記事における「大正デモクラシー時代と『近世日本国民史』の執筆」の解説

1913年大正2年1月第一次護憲運動のさなか桂太郎立憲同志会創立趣旨草案執筆している。『國民新聞』は大正政変に際して第3次桂内閣支持したため、「御用新聞」と見なされて再び襲撃受けた。『蘇峰日誌』などによれば、このとき国民新聞社社員活字用の溶解した鉛まで投げて群衆抵抗し社員のなかの1名はピストル発射、それにより少なくとも死者1名、重傷者2名を出し、更に日本刀による応戦負傷者多数生じている。 蘇峰は、同年10月の死を契機政界離れ以降は「文章報国」を標榜して時事評論健筆ふるった1914年大正3年)の父・一敬の死後は『時務一家言』『大正青年帝国前途』を出版して将来日本以来言論人に立ち返ることを約した第一次世界大戦のさなかに書かれた『大正青年帝国前途』のなかで蘇峰は、特徴的な大正青年」について、模範青年成功青年煩悶青年耽溺青年無色青年の5類型掲げて論評しており、「金持ち三代目若旦那のようなものだと言っている。日清日露の両戦争勝利した日本は、独立そのものを心配しなくてはならないような状況は見あたらないから、彼らに創業者維新青年)のようにあれと求めても無理であり、彼らが「呑気至極」なのもやむを得ない、と述べたうえで、むしろ国際競争のなかで青年呑気たらしめている国家あり方無意識的惰性運行しているかのような国家あり方問題なのであり、国家意識的に国是定めるべきだと主張した1915年大正4年11月第2次大隈内閣異例新聞人叙勲をおこなっている。蘇峰は、このとき黒岩涙香村山龍平本山彦一とともに勲三等受章した。なお、蘇峰の『國民新聞』は立憲政友会に対して批判的な記事掲載することが多く、それは第1次西園寺内閣時代1906年明治39年)にさかのぼるが、「平民宰相となった原敬が最も警戒すべき新聞として敵視していたのが『國民新聞であった二個師団増設問題解決めぐって互いに接近したこともあったが、1918年大正7年)の原内閣成立後も、原は『國民新聞』に対す警戒を解かなかった。 1918年大正7年5月蘇峰は「修史述懐」を著述して年来持ちつづけた修史意欲公表した同年7月55歳となった蘇峰は『近世日本国民史』の執筆取りかかって國民新聞』にこれを発表8月には京城日報社監督辞任した。『近世日本国民史』は、日本正し歴史書き残しておきたいという一念から始まった蘇峰ライフワークであり、当初明治初年以降の歴史について記す予定であったが、明治を知るには幕末幕末を知るには江戸時代記されなければならないとして、結局織田信長の時代以降の歴史著したものとなった。『近世日本国民史』は、東京大森(現大田区)に建てられた「山王草堂」と名づけ居宅執筆された。山王草堂には、隣接して自ら収集した和漢書籍10万冊を保管した「成簀堂(せいきどう文庫」という鉄筋コンクリート造地上3階地下2階書庫建てられた。 1923年大正12年)には10巻発表した段階で『近世日本国民史』の業績認められ帝国学士院恩賜賞受賞したこの年9月1日関東大震災起こっているが、その日神奈川県逗子にいた蘇峰は、周囲津波襲われるなか、庭先で『近世日本国民史』の執筆をおこなっている。 1925年大正14年6月蘇峰帝国学士院会員推挙され、その任に就いたまた、同年皇室思想普及などを目的とする施設青山会館」が、蘇峰寄付によって東京青山完成している。 ジャーナリスト・評論家としての蘇峰は、大正デモクラシー隆盛対し、外に「帝国主義」、内に「平民主義」、両者統合する皇室中心主義」を唱えまた、国民皆兵主義基盤として普通選挙制実現肯定的にとらえている。1927年昭和2年)、弟の蘆花死去1928年昭和3年)には蘇峰の「文章報国40年祝賀会」が青山会館開催されている。 帝国学士院会員としては、1927年昭和2年5月に「維新考察前提」、1928年昭和3年1月に「神皇正統記一節に就て」、1931年昭和6年10月には「歴史上より見た肥後及び其の人物」のそれぞれについて進講している。 なお、関東大震災後国民新聞社資本参加求めた根津嘉一郎副社長として腹心河西豊太郎をすえると根津河西のあいだに確執深まり1929年昭和4年)、蘇峰は自ら創立した国民新聞社退社したその後は、本山彦一の引きで大阪毎日新聞社東京日日新聞社社賓として迎えられ、『近世日本国民史連載の場を両紙に移している。

※この「大正デモクラシー時代と『近世日本国民史』の執筆」の解説は、「徳富蘇峰」の解説の一部です。
「大正デモクラシー時代と『近世日本国民史』の執筆」を含む「徳富蘇峰」の記事については、「徳富蘇峰」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「大正デモクラシー時代と『近世日本国民史』の執筆」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大正デモクラシー時代と『近世日本国民史』の執筆」の関連用語

大正デモクラシー時代と『近世日本国民史』の執筆のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大正デモクラシー時代と『近世日本国民史』の執筆のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの徳富蘇峰 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS