大正バブル+関東大震災
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/01 07:04 UTC 版)
「東亜キネマ」の記事における「大正バブル+関東大震災」の解説
1923年(大正12年)12月、いわゆる「大正バブル」的企業のひとつ、八千代生命が映画事業に乗り出し、兵庫県西宮市甲陽園にあった「甲陽キネマ撮影所」を買収して設立したのが、この「東亜キネマ」である。 おりしも、同年9月1日に起きた関東大震災で首都が壊滅し、松竹や日活の在京撮影所が京都に避難・機能移転したように、浅草公園六区の「浅草オペラ」の役者たちや国際活映巣鴨撮影所のスタッフや俳優たちが、この新撮影所になだれ込んだ。東京の高松豊次郎の主宰した小プロダクション「活動写真資料研究会」の「吾嬬撮影所」の所長兼監督だった山根幹人は、この設立と同時に入社し、「東亜キネマ甲陽撮影所」の監督となり、また同社で活躍した、岩岡商会を率いる撮影技師の岩岡巽が「甲陽撮影所」の所長に就任した。
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