吾嬬撮影所とは? わかりやすく解説

吾嬬撮影所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 15:50 UTC 版)

タカマツ・アズマプロダクション」の記事における「吾嬬撮影所」の解説

関東大震災後大正末期1925年東京府南葛飾郡吾嬬町1932年南葛飾郡廃止東京市向島区)に「高松プロ」が建設した撮影所は、現在の東京都墨田区京島3丁目6219号にあった東武亀戸線1904年開業)の小村井駅曳舟駅の間の十字路面した区画にあった。 これは「日活向島撮影所」とは異なるものである1913年建設開所し、1923年関東大震災崩壊、その機能をすべて京都日活大将軍撮影所移転して閉鎖した日活向島撮影所」の所在地は、同じ南葛飾郡であるが、隅田村堤外142番地現在の墨田区堤通2丁目19番1号)で、吾嬬撮影所の真北隅田川面した場所であり、現在は墨田区堤小学校となっている。 開所した1925年、まず「高松豊次郎プロダクション」が高松操監督の『義憤血煙』(1925年9月11日公開)を撮影した後、つづいて阪東妻三郎プロダクション」が「阪東妻三郎プロダクション吾嬬撮影所」として使用井上金太郎監督の『異人娘と武士』(配給マキノ・プロダクション1925年9月25日公開)を撮影つづいて同年、「マキノ・プロダクション」が「マキノ・プロダクション東京撮影所」として使用山本嘉次郎監督の『輝ける扉』(1925年12月4日公開)、高松操監督の『クロスワード』(1926年1月1日公開)、山本嘉次郎横田豊秋共同監督の『男児一諾』(1926年1月22日公開)、近藤伊与吉監督主演の『名士』(1926年2月11日公開)の3本撮影した。つづく1926年初頭より「タカマツプロダクション吾嬬撮影所」として、「タカマツ・プロダクション」が改名後第一作撮影開始、翌1927年まで使用した。 「タカマツ・アズマプロダクション」は1927年映画の製作活動停止するが、吾嬬撮影所は残っていた。1945年東京大空襲焼失し、現在は住宅地になっている

※この「吾嬬撮影所」の解説は、「タカマツ・アズマプロダクション」の解説の一部です。
「吾嬬撮影所」を含む「タカマツ・アズマプロダクション」の記事については、「タカマツ・アズマプロダクション」の概要を参照ください。

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