吾妻鏡考察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 03:48 UTC 版)
細川涼一は白拍子とされる義経の妾・静御前の逸話は『吾妻鏡』でも取り上げられるのに対して、河越重頼の娘(郷御前)が元暦元年9月14日条(婚姻記事)・文治3年2月10日条(北国下向)・文治5年4月30日条(死去)の3か所にしか記事が見えない背景として、『吾妻鏡』が北条氏の影響を受けた歴史書で北条氏と勢力を競った比企氏やその縁戚である河越氏に関する記事は過小に記され、その結果として重頼の娘の存在は「隠蔽」されたとする。また、北条氏の婿である畠山重忠の記事に比べて、比企氏の婿である河越重頼が重忠の同族・同格であったにも関わらず記事が少ないことも、同様の理由であるとする。
※この「吾妻鏡考察」の解説は、「郷御前」の解説の一部です。
「吾妻鏡考察」を含む「郷御前」の記事については、「郷御前」の概要を参照ください。
- 吾妻鏡考察のページへのリンク