大将軍撮影所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 07:56 UTC 版)
日活大将軍撮影所(にっかつたいしょうぐんさつえいじょ)は、かつて存在した日本の撮影所である。1918年開所、1928年4月閉鎖。「日活関西撮影所」の機能を引き継ぎ、関西地区における日活の生産拠点となった。 1919年(大正8年)7月10日、同撮影所に在籍のまま、牧野省三はミカド商会を設立し教育映画を製作し始めたが、翌1920年(大正9年)1月には同撮影所はミカド商会を吸収し「日活教育映画部」とした。1921年(大正10年)6月に牧野は退社し、牧野教育映画製作所を京都・等持院に設立した。 基本的には時代劇部が同撮影所におかれ、現代劇は東京の「向島撮影所」で製作されていたが、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で向島撮影所は倒壊、1,000人の従業員が本社を含めて解雇されたが、向島に残って復興につとめた従業員と現代劇の製作機能を、同年11月14日に「大将軍撮影所」へ移転させた。 1927年(昭和2年)、太秦に新撮影所が完成すると全体を移転した。現代劇部が翌1928年(昭和3年)4月に移転した後、大将軍撮影所は閉鎖された。
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