円周率の歴史とは? わかりやすく解説

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円周率の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/09 02:30 UTC 版)

本記事では、数学定数のひとつである円周率の歴史(えんしゅうりつのれきし)について詳述する。

円周率 π無理数であるため、小数部分は循環せず無限に続く。さらに、円周率 π超越数でもあるため、その連分数表示は循環しない。その近似値は何千年にも亘り世界中で計算されてきた。

凡例

  • [学]:数学的事実に関する発見・論争等
  • [法]:計算法の考案・改良等
  • [値]:計算・値の使用
  • [値](桁数):計算・値の使用(小数点以下の桁数の記録)
  • [文]:文化・社会

年表

級数の発見前 — 13世紀まで —

紀元前2000年
[値] (2) 1936年スーサで発見された粘土板などから、古代バビロニアでは、正六角形の周と円周を比べ、円周率の近似値として 33+1/7 = 22/7, 3+1/8 などが使われたと考えられている[1]
紀元前1650年
[学][値] 既に、古代エジプトでは、円周と直径の比の値と、円の面積と半径の平方の比の値が等しいことは知られていた。神官アハメスが書き残したリンド・パピルスには、円積問題の古典的な解法の一つが記されており、円の直径からその 1/9 を引いた長さを一辺とする正方形の面積と、元の円の面積が等しいとしている[2]。これは、円周率を近似的に256/81とみなすことに相当し[2]、それなりに精度の高い近似値であったが普及はしなかった。リンド・パピルスはアハメスによって写されたものであり、内容自体はさらに紀元前1800年頃にまで遡ると考えられている[3]
紀元前5世紀
[学] アナクサゴラスが、アポロンへの不敬罪で投獄されている間に、円積問題に取り組んだ[4]
[法] ヘラクレアアンティフォンは、円に内接する正多角形の面積を求めることにより円周率を計算する方法を編み出した。アンティフォンは、それぞれの正多角形から正方形が作図できることから、円積問題が解決できると主張した[5]
[値] すぐに、同じヘラクレアのブリソン英語版が、外接する正多角形の面積を求めて内側と外側の両方から円の面積を評価し近似値を得た。
紀元前3世紀
[法][値] アルキメデスは、円の面積が円周率と半径の平方の積に等しいことを証明した[6]。さらに、3の平方根の最良近似分数 265/153 および 1351/780 (265/153 < 3 < 1351/780) を利用して、円に外接および内接する正六角形、正十二角形、正二十四角形、正四十八角形、正九十六角形の辺の長さの上界および下界をそれぞれ計算することにより 3 + 10/71 < π < 3 + 1/7 を求めた[7]。小数だと 3.14084 < π < 3.14286 である[8]
1世紀
[値] ローマ帝国の著名な建築家ウィトルウィウスは、25/8 を使った。素数の7よりも、23乗である 8 で割ったほうが建築には便利だったためである。小数だと 3.125 である[9]
2世紀
[値] 天文学者プトレマイオス377/120 を使った。小数だと約3.1417 である[10]
[値] 後漢太史令だった張衡は、円に外接する正方形の周と円周を比べ、円周率を 10 とした。約3.162 になる[11][12]
3世紀
[値] 王蕃142/45 を用いた。約3.1555 である[13]
263年
[値] (3) 劉徽は『九章算術』の注釈の中で、ブリソンと同様の方法を用い 3.14 + 64/62500 < π < 3.14 + 169/62500 であることを示している(これは後に徽率として知られるようになった)。小数では 3.14102 4 < π < 3.14270 4 である。さらに正3072角形を用いて、3.14159 という近似値も得た[14][13][15]。なお小数は紀元前の中国で発明され、欧州に伝播したのは16世紀である。よって中国以外では分数によるのみであり、小数での記載はずっと後のことである。
5世紀
[値] (6) 7世紀に編纂された隋書律暦志[16]によると、天文学者の祖沖之は、当時としては非常に正確な評価 3.14159 26 < π < 3.14159 27 を示した。以後1000年、これ以上正確な計算はなされず、ヨーロッパでこれほど正確な評価を得るには16世紀まで待たねばならない。さらに、分数での近似値 22/73.142857)と 355/113(約3.14159 29)を与えている[17][18]。正確な方法は伝わっていないが、九章算術の方法を踏襲したと推測すると、上記の結果を得るには少なくとも円に内接する正24576角形の辺の長さを計算しなければならない(ただし、355/113については置閏法において用いた近似法から算出したと考えられている[19])。隋書では現代と同じ「圓周率」という語が用いられている。祖沖之の息子の祖暅(そこう)は、父とともに球の体積の計算方法を導き出したことで知られる[20]
500年
[値] インドのアリヤバータは、円に内接する正 n 角形と正 2n 角形の周の長さの間に成り立つ関係式を求め、正384角形の周の長さから 9.8684 (≒ 3.14156) と求めた。この平方根の近似値として 3927/1250 (= 3.1416) を与えた[21]
650年
[値] インドのブラーマグプタは、正12角形、正24角形、正48角形、正96角形の周の長さから、n が大きくなるにつれ正 3 × 2n 角形の周の長さは 10 に近づくとし、これを円周率とした[22]
レオナルド・フィボナッチ(ピサのレオナルド
1220年
[値] イタリアのレオナルド・フィボナッチピサのレオナルド)が円周率を 864/275 と計算した。これは、約3.1418 である[23]

幾何から解析へ — 14世紀から20世紀前半 —

「円に内接・外接する多角形に基づく近似」なる幾何学的な考察から「級数を利用した近似」なる解析的な考察への移行は、インドでは1400年頃から1500年代に、ヨーロッパでは1600年代に、日本では1700年代に起きた。

14世紀
1400年
インド南西部(現在のケーララ州)では天文学・数学が花開き、当時の世界最先端の研究が行われた。ケーララ学派と総称される学者たちは、三角関数逆三角関数(正弦、余弦、逆正接)のマクローリン展開を天文計算に利用した[24]。これらの級数ニーラカンタ英語版の時代には既に知られており、ニーラカンタの発見とされることがある[25][26]。しかし、ニーラカンタの天文学書『アールヤバティーヤ・バーシャ』[27]によると、正弦のマクローリン級数の展開式は彼より前の時代の学者の業績であるという。その学者とは、サンガマグラーマ(現:イリンジャラクダ)のマーダヴァである。以下の式も、マーダヴァの発見とされることが多い[24][28]
オランダのライデンにあるファン・コーレンの墓(復元後)。彼が得た35桁の上界・下界(末尾桁1違い)が刻まれている。
1610年
[値] (35) ファン・コーレンは、1610年に亡くなるまでのいずれかの時点で、正 262(=約461京1686兆)角形を使って π の35桁目までを正しく評価した。この結果は、1621年、弟子のスネリウスの著書『キュクロメトリクス:円の計測について』[50]で公表されたほか、本人の墓(生前の1602年に購入した記録がある)に刻まれた。墓石は後代に滅失したが、碑文とスケッチは残っており、2000年に復元された[49]。かつてドイツでは、彼の名に因んで円周率をルドルフ数 (Ludolphsche Zahl) と呼んだ[51]
1621年
[法][値] オランダのヴィレブロルト・スネル(ラテン語名: スネリウス)が、円周の長さの評価式を与える。
ジェームス・グレゴリー
1671年
[法] スコットランドのジェームス・グレゴリーにより、グレゴリー級数
マチンの公式。
18世紀
1706年
[法][値] (100) イギリスのジョン・マチンマチンの公式
ヨハン・ハインリッヒ・ランベルト
[学] ドイツのヨハン・ハインリッヒ・ランベルトによって π有理数でないことが証明される[67]
18世紀中頃
[法] レオンハルト・オイラーによって、多くの π に関する式が発見される。オイラーは
「インドの魔術師」ことシュリニヴァーサ・ラマヌジャンは、円周率の計算の為の多くの革新的な級数を生み出した。
1910年
[法] ラマヌジャンによって、級数表示
IBM 7030 保守コンソール。Musée des arts et métiers(パリ)所蔵
1966年
[値](25万)パリの原子力エネルギー委員会にある IBM 7030 を用いて25万桁まで計算した[85][87]
1967年
[値](50万)パリの原子力エネルギー委員会にある CDC 6600 を用いて50万桁まで計算した[85][87]
1973年
[値](100万)ジャン・ギューとマルティーヌ・ブイエが CDC 7600 を用いて 100万1250桁まで計算した。
[法] ユージン・サラミンとリチャード・ブレントが独立に、算術幾何平均を用いたアルゴリズムを発見する。現在ではガウス=ルジャンドルのアルゴリズムと呼ばれる。
1982年
[値](209万)田村良明MELCOM COSMO 900 Ⅱ を用いてサラミンとブレントのアルゴリズムにより209万7144桁まで計算[88]
[値](419万)田村良明と金田康正が HITAC M-280H を用いて419万4288桁、ついで838万8576桁まで計算[88]
1983年
[値](1677万)金田康正と吉野さやかが HITAC M-280H を用いて1677万7206桁まで計算[88]
[値](1001万)後保範と金田康正が HITAC S-810/20 を用いて1001万3395桁まで計算。アルゴリズムはガウスの公式による[88]
[値](7万)若松登志樹がシャープのパソコン MZ-80B を用いてガウスの公式
トピックス主要賞応用学会団体競技研究所



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