ジョン・マチンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ジョン・マチンの意味・解説 

ジョン・マチン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/13 00:43 UTC 版)

ジョン・マチン
John Machin
生誕 1680年
イングランド王国
死没 1751年6月9日
グレートブリテン王国
イングランド ロンドン
国籍 イングランド
研究分野 数学天文学
研究機関 グレシャム大学英語版
主な指導学生 ブルック・テイラー
主な業績 マチンの公式
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

ジョン・マチン: John Machin, 1680年頃洗礼 — 1751年6月9日[1]グレシャム大学英語版天文学教授であり、王立協会特別研究員であった。今日ではマチンの公式の発見者として、円周率 π に素早く収束する級数を見出したことでよく知られる。

テイラー展開テイラーの定理の発見者として知られるブルック・テイラーは、マチンのケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ (St. John's College, Cambridge) での教え子であった。

来歴

1706年、ジョン・マチンは彼の名を冠するマチンの公式を発見し、それを利用して更に円周率を 100 桁まで計算した。

マチンはゴットフリート・ライプニッツアイザック・ニュートンの間に起こった論争(微分積分学論争英語版)の裁決を行った委員会の一人であった。裁決は1712年に執り行われた[2]

1713年5月16日、マチンはアレクサンダー・トリアーノからグレシャム大学の天文学教授の職を継いだ。マチンは1751年6月9日ロンドンで死ぬまで、終生この職を務めた。

1717年、マチンは月の運動論に関する膨大な研究を始めるが、この研究は結局、日の目を見ることはなかった。マチンの手稿の大部分は王立天文学会が保管しているが、1727年にウィリアム・ジョーンズへ宛てた手紙でマチンは、太陰暦を修正したことで、議会から 10,000 ポンドの報酬を受ける権利があることを強く主張した[2]

マチンは1718年から1747年まで王立協会の書記を務めた。

1728年、マチンはイーフレイム・チェンバーズによる『サイクロペディア、または諸芸諸学の百科事典』(Cyclopaedia, or Universal Dictionary of Arts and Sciences) への出資者の一人として名簿に記載されている[3]

マチンの公式

 この記事はパブリックドメインの辞典本文を含む: Clerke, Agnes Mary (1893). "Machin, John (d.1751)". In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). 35. London: Smith, Elder & Co.

外部リンク

英語版ウィキソースにはジョン・マチン著の原文があります。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ジョン・マチン」の関連用語

ジョン・マチンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジョン・マチンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジョン・マチン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS