南蛮貿易の開始とマカオ獲得
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 03:42 UTC 版)
「南蛮貿易」の記事における「南蛮貿易の開始とマカオ獲得」の解説
1543年に海商で倭寇でもある王直の船が種子島に漂着し、ポルトガル人も乗船していたことが貿易のきっかけとなった。ポルトガル船はその前年に琉球王国に到着していたが、琉球人はポルトガルがマラッカを攻撃して占拠したことを知っていて、貿易を拒否した。 ポルトガル船船長の一人ジョルジ・アルヴァレス(既出の明に初上陸した人物とは別人)は、山川で人を殺めたことに悩むヤジロウを載せてマカオへ向かい、インドのゴアで宣教活動をしていたフランシスコ・ザビエルに引きあわせて懺悔させた。これがザビエル来日のきっかけとなったという。ヤジロウは日本人初のキリスト教徒と言われている。ザビエルは日本に布教をするために日本三津の一つである薩摩国の坊津に到着して、のちに平戸、山口、豊後国に行き布教を始める。南蛮貿易の港は平戸と豊後から始まり、九州の諸大名はポルトガルとの貿易を受け入れた。肥前国の松浦隆信は平戸で王直やポルトガル人を歓迎し、薩摩国の島津氏は日本の商人を後押しして、ポルトガル船は頻繁に訪れるようになった。ドゥアルテ・ダ・ガマ、ルイス・デ・アルメイダ、メンデス・ピントらの商人はイエズス会と協力して、ポルトガル人を組織した。ポルトガル王室艦隊も密貿易や海賊の鎮圧にあたり、司令官のリオネル・デ・ソーサは明からマカオの上陸を許可される。やがてポルトガル人はマカオに居住を始めて、地租を条件として広州の海道副使からマカオの居住権を獲得した。こうしてポルトガル領マカオを拠点として、日本・中国・ポルトガルの三国の商品が取引されるようになった。ピントの『東洋遍歴記(ポルトガル語版)』には、琉球王国や薩摩国についての記録もある。マカオにはポルトガル人や中国人の他に、インドや東南アジアからも住む者が現れ、人口が次第に増えていった。
※この「南蛮貿易の開始とマカオ獲得」の解説は、「南蛮貿易」の解説の一部です。
「南蛮貿易の開始とマカオ獲得」を含む「南蛮貿易」の記事については、「南蛮貿易」の概要を参照ください。
- 南蛮貿易の開始とマカオ獲得のページへのリンク