財政危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 04:31 UTC 版)
国庫は完全に払底し、兵糧にも事欠く有様だった。やむにやまれず、カピトリウム周辺にあった、シビュラの書管理十五人委員会(英語版)、神祇官 (ローマ)(英語版)、アウグル、神官 (ローマ)(英語版)らの資産を売却し、当面の赤字を回避することができた。 オロシウス『異教徒に対する歴史』5.18 増大した軍事費は国庫を圧迫していた。P. A. ブラントの仮説では、ローマの保有していた軍団数は、同盟市戦争前の6に対し、同盟市戦争中は最大32まで増大している。更に紀元前88年にはスッラがミトリダテス戦争に向かい、他の国外の戦線も維持する必要があった。マイケル・クロフォード (歴史家)(英語版)は、ローマの貨幣鋳造三人委員(英語版)が使用した金型数を推測しているが、紀元前90年だけ突出して多く、増大した軍団に対応するためと考えられる。ミトリダテス6世によって豊かなアシアからの税収も途絶え、アエラリウム(英語版)(国庫)はすぐに払底し、奴隷解放時に取り立てていた5%の税をガリア人との戦費の名目で積み立てていた金にも手をつけ、argento publico(公有銀より)と刻まれたデナリウス銀貨が発行された。 こうした混乱は同盟市戦争後も続いたと考えられ、税収の激減したマリウスとルキウス・キンナ、グナエウス・カルボと小マリウスは、スッラを迎え撃つための戦費をイタリック人から集めており、更に各神殿の宝物庫からも資金を調達し、アスクルムの戦い (紀元前89年)の戦利品に目を付け、それを没収するため凱旋将軍ストラボの息子、グナエウス・ポンペイウスを訴えている。内戦に勝利したスッラは大量の戦利品と共に帰国したが、彼は資産家として亡くなっており、大して国に納めなかったと思われる。
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