1975年-1989年: 財政危機による遅延と計画削減
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「プログラム・フォー・アクション」の記事における「1975年-1989年: 財政危機による遅延と計画削減」の解説
プログラム・フォー・アクションが進行している中、MTAは財政赤字の増大に苦しみ、次第に運賃の値上げと運行水準の低下につながっていった:236。プロジェクトは、1975年から1976年にかけてのニューヨーク市財政危機により資金が尽き:243、MTAもまた継続的な資金源がなかった(5年計画の資本プログラムは、この後の地下鉄のさらなる衰退に伴って1982年に導入されたものである)。1970年代半ばから1980年代初めにかけて完成させる計画であったプログラム・フォー・アクションの路線群は、この財政危機によりすべて削減するか中止しなければならなくなった。この財政危機のため、プログラム・フォー・アクションの中で2か所だけ完成にこぎつけたアーチャー・アベニュー線と63丁目線は、当初案より短縮されてしかも遅れ、延伸をすべて取りやめてしまう計画もあった:416–417。 MTAがクイーンズにおいて提案していた「40マイルの新しい地下鉄」は、15マイル(約24キロメートル)へと短縮され、ついに最終的には3路線のみが建設されることになった。63丁目線、アーチャー・アベニュー線、そして2番街線の一部区間である。2番街線の建設は1975年に無期限停止となったが、連邦政府がこのさらに10年後に残る2つのプロジェクトへの資金提供を中断した時点で、どちらの路線もまだ完成していなかった。アーチャー・アベニュー線は1988年に開通し、63丁目線もまたその翌年に開通した。どちらの路線も3駅を有し、当初案からは縮小されたものとなった。しかし2番街線の建設は1975年に中断された。クイーンズのジャマイカ東部の高架線と、ブロンクスの3番街線の高架は1985年までに廃止となった。ジャマイカの高架線は、その一部のみがアーチャー・アベニュー線に代替されたが、一方で3番街線については代替する都市鉄道は建設されなかった。
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