1975年-1980年:民主化移行期
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「カタルーニャ共和主義左翼」の記事における「1975年-1980年:民主化移行期」の解説
1975年11月20日のフランシスコ・フランコの死とフアン・カルロス1世のスペインの国家元首への就任は、自由の回復、政党の合法化、民主的機関の回復などの民主化へ向けての移行期(スペイン語版)への道を開いた。 ERCは合法化されたカタルーニャの最後の政党で、カタルーニャにおける民主化移行期の重要人物の一人であるジュゼップ・タラデーリャスの党となっていた。 1976年7月には第8回ERC党大会が開催され、アリベルト・バレーラが書記長に選出された。 1977年6月15日39年間続いた独裁制の後初の憲法に基づいた選挙が行われた。ERCは共和主義政党であることでまだ合法化されておらず、選挙に出られなかった。党指導部は同様に未だ非合法状態に置かれていたスペイン労働党(PTE)(スペイン語版)によって率いられていた左翼民主戦線と提携し、カタルーニャ左翼=民主主義選挙戦線(Esquerra de Catalunya-Front Electoral Democràtic)という名称で選挙に参加、候補者名簿筆頭にはERCの書記長アリベルト・バレーラの名が記されていた。ERCは得票数143,945票、カタルーニャでの得票率4.72%でカタルーニャで第6党という結果で、1議席を獲得、アリベルト・バレーラが立憲議会議員となった。 1977年9月29日スペイン政府首相(el presidente del gobierno español)アドルフォ・スアレスは法令によってカタルーニャ自治政府を再設置、フランコ体制下の合法性の改革に由来しない初めての機関となった。亡命自治政府首班ジュゼップ・タラデーリャスは亡命先から帰国し、同年10月23日バルセロナにおいて再興された自治政府首班に就任した。1977年には党員3,453人となった。 6月15日の選挙で選ばれたカタルーニャ議会議員はカタルーニャ自治憲章(スペイン語版)の立案への取り組みを開始した。このプロセスにERC書記長のアリベルト・バレーラも加わった。新スペイン憲法についての議論において、ERCは共和制と諸民族の自決権を要求する唯一のカタルーニャの政党であるとの態度表明を行った。スペイン憲法にこれらの反対意見が考慮されないこととなり、ERCは1978年12月6日に行われた憲法について是非を問う住民投票で反対票を投じるよう呼びかけた。 1979年3月1日の総選挙ではERCは123,452票を獲得、1議席を得、再びアリベルト・バレーラが下院議員となった。また、同年にはカタルーニャ自治憲章の是非を問う住民投票が行われ、ERCは賛成票を投じるように有権者に訴えた。
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