1975年-1978年:マイクロソフトの設立とは? わかりやすく解説

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1975年-1978年:マイクロソフトの設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 04:21 UTC 版)

マイクロソフトの歴史」の記事における「1975年-1978年:マイクロソフトの設立」の解説

ポピュラーエレクトロニクス1975年1月号に掲載されAltair 8800紹介記事読んだビル・ゲイツポール・アレンは、その新しマイクロコンピュータ製造者であるMITS電話をし、Altair向けBASIC言語インタプリタ実装デモンストレーションをしたいと提案したゲイツの手元にインタプリタAltairシステムもなかったが、ゲイツハーバード大学のコンピュータセンターに設置されていたPDP-10用いたエミュレーションにより、ポール・アレンと共にインタプリタ開発した実際には、アレンAltair搭載されているCPUであるIntel 8080マニュアル等を元にAltair8800エミュレータ開発し主としてゲイツその上で動くBASICインタプリタを書く形で開発進められた。BASICインタプリタ開発には8週間要したアレン開発したBASICインタプリタを、ニューメキシコ州アルバカーキにあるMITS持ち込みデモンストレーション行った。このデモについては「一度完璧に動いた」「初回デモではインタプリタ一瞬動作した後に停止してしまった」など、文献によって異なる見解見られるが、いずれにせよ数日のうちにバグはほぼ解消されインタプリタ概ね動作するようになった。これをうけて、MITSAltair BASICとして配布することを決定した1975年4月アレン当時勤めていたハネウェル退社しMITS社員となった。これに対しゲイツは、ハーバード大学学生のままであった大学夏休みになると、ゲイツアルバカーキにやってきてBASIC改良手伝ったが、9月にはハーバード大学帰っていった。翌1976年も、春学期秋学期共にゲイツハーバード大学におり、学休期間中アルバカーキ行っていた。 アレンMITS社員となった1975年4月をもってマイクロソフト社が創業されたとされることがあるが、実際に1975年4月段階では、マイクロソフトという名前すら存在せずそのような法人存在していない。実際1975年7月に、MITSとの間でBASICインタプリタに関する契約書かわされときには契約当事者法人としてMITS個人であるアレンおよびゲイツであり、契約書マイクロソフトという名称は出てこない。マイクロソフトマイクロコンピュータソフトウェアとのかばん語)という名称は、アレンが、1975年7月考えだした。文書に残る記録としては、1975年10月MITS社長のエド・ロバーツアルテア広報誌「コンピュータ・ノート」のために書いた記事内にマイクロソフトの名称が確認されるのが初出である。この時点では、Micro-softハイフンを含む名前であったこのころマイクロソフトは、ゲイツアレン私的につけたチーム名にすぎないマイクロソフトパートナーシップによる経営として、ゲイツアレン正式に契約書交わしたのは、1977年2月である。この時点でも、マイクロソフトあくまでもゲイツアレンによるパートナーシップによる経営体であり、法人はないため、正式にマイクロソフト「社」ではない(最終的にマイクロソフト株式会社となって法人化するのは、1981年である)。なお、このころ(1977年2月)ゲイツハーバード大学休学しソフトウェア事業専念することを決意するが、その代償として、パートナーシップ経営体に対す自身取り分株式会社での持ち分に相当)を64%とすることをアレン了承させている。(もともと、それ以前非公式な段階では、ゲイツMITS社員ではなく給料もらわないことや、BASIC自体開発主としてゲイツが行アレンエミュレータ開発が主であったことなどを主張してBASIC対すライセンス料分配ゲイツ60%とすることをアレン了承させた経緯があったが1977年2月再度改訂したのである。) 米国の法律では、パートナーシップ形成にあたって登記等は必要ないため、パートナーシップとしてのマイクロソフト設立正確にいつであるかを特定するのは難しいが、契約書の形で確認できるのは1977年2月である。それ以前には非公式な口約束に基づく曖昧な状態であったとされるマイクロソフトMITS以外の会社からも依頼を受け、様々なマイコン向けにBASICインタプリタ開発供給するようになったため、マイクロソフトBASIC独占したい考えていたMITSとは次第疎遠になり、結局裁判により1977年9月MITSマイクロソフト契約無効認定され打ち切られた。 マイクロソフト最初国際オフィス1978年11月1日日本に「アスキーマイクロソフト」の名称で設立された。これに先立つ1978年6月に、アスキー創業者である西和彦アルバカーキゲイツのもとを訪れており、西と意気投合したゲイツは西をマイクロソフト本社副社長として迎えた。西は結局1986年までマイクロソフト副社長務め日本におけるマイクロソフトBASIC普及担っただけでなく、MSXなどの規格主導していくことになる。

※この「1975年-1978年:マイクロソフトの設立」の解説は、「マイクロソフトの歴史」の解説の一部です。
「1975年-1978年:マイクロソフトの設立」を含む「マイクロソフトの歴史」の記事については、「マイクロソフトの歴史」の概要を参照ください。

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