財政危機と低迷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 00:50 UTC 版)
2006-07シーズンのリーグ戦を7位で終えて欧州戦プレイオフも敗退したフェイエノールトは、2007年夏にテクニカル・ディレクターのピーター・ボスのもと大補強を敢行。ロイ・マカーイ、ジョバンニ・ファン・ブロンクホルスト、ケヴィン・ホフラント、ティム・デ・クレル、マイケル・モルス、デニー・ランツァートといった実力者と契約を結び、新監督に2002年にUEFAカップを制したベルト・ファン・マルワイクを迎えた。しかしシーズン前半こそリーグ優勝を狙える位置に付けていたが、後半戦は下降線を辿り、KNVBカップで久々のタイトルを獲得したもののリーグ戦6位。またしてもCL出場権を逃したことで、高額なベテランの大量補強は大きな負債となってクラブにのしかかった。 ファン・マルワイクのオランダ代表監督就任によって2008-09シーズンはヘルトヤン・フェルベークを監督に迎えるも、前半戦終えて12位と大きく低迷。年明け初戦を待たずにベテラン選手との対立からフェルベークがクラブを去る事になり、このシーズンもリーグ戦7位で欧州戦プレイオフで敗退。大きな危機を迎えた中、2009-10シーズンにクラブは再建の最後の希望として新テクニカル・ディレクターにレオ・ベーンハッカー、新監督にマリオ・ベーンというクラブ生え抜きのOBを起用。財政難でほとんど補強を行えない中、ベーンはコンディションの整わないベテラン陣を迷うことなくベンチに置き、積極的な若手登用で4位と久々の好成績を残す。 しかし翌2010-11シーズンを前にKNVBからカテゴリー1転落が伝えられ、財政運営で協会の監視下に置かれ、補強費捻出はほぼ不可能に。3年以内にカテゴリー1を脱出できなければライセンスを失う危機を迎えた。ピッチ上でもファン・ブロンクホルストが引退し、ヨン・ダール・トマソンがFIFAワールドカップでの負傷で全くプレーできなかったことでリーダーを失ったチームは大きく迷走。10月24日にPSVとのアウエーゲームで10-0という歴史的惨敗を喫した4日後の10月28日、ピム・ブロクラントに率いられた投資グループ フリーンデン・ファン・フェイエノールトがフェイエノールトの株式49%を1.700万ユーロで買い取り、その後合計3,000万ユーロをクラブに補填した。このやり取りによって投資グループは2011年2月にフェイエノールトの取締役会に二つの席を取得、フェイエノールトの負債は1.600万ユーロまで減った。ピッチ上では結局15試合を終えて一時16位に落ちるなどクラブ史上に残る最悪のシーズンを経験。12月と1月にはクラブの顔であるフレッド・ブランクマイヤー、クーン・ムーラインがたて続けに亡くなるなど、クラブに関わる全ての人々にとって悲しい1年だった。補強費の無い中でベーンハッカーがレンタルで連れてきた選手たちはほとんど役に立たず、ベーンハッカーは一方的な契約打ち切り通告を受けたことでシーズン途中でクラブを去り、ベーンもまた新シーズンのスタートを直前にして選手たちの不信任投票の結果を受け、クラブ再建の志半ばで同じくクラブを去った。
※この「財政危機と低迷」の解説は、「フェイエノールト」の解説の一部です。
「財政危機と低迷」を含む「フェイエノールト」の記事については、「フェイエノールト」の概要を参照ください。
- 財政危機と低迷のページへのリンク