財政危機と転換点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 16:43 UTC 版)
「イングランド内戦」の記事における「財政危機と転換点」の解説
両軍は戦闘の長期化に伴い、財政危機を迎えはじめていた。国王軍はアイルランド・カトリック同盟と、議会軍はスコットランド盟約派と交渉を始め、それぞれから一定の支持をとりつけたが、その影響が戦局を左右する一因ともなった。国王軍がアイルランドのカトリック同盟から得た資金提供はわずかであり、アイルランド軍の派遣は拒否された。 盟約派は約束通り1644年1月9日に援軍(カヴェナンター)を派遣し、ヨーク周辺で国王派のニューカッスル公の軍をおびやかすことになった。 1644年1月25日のナントウィッチの戦い(英語版)では、講和によってアイルランドから引き返すことができた国王軍の反乱鎮圧部隊が撃破されてしまい、カトリック同盟との講和が国王軍にもたらした利益は微々たるものとなった。さらにカトリック勢力と結んだことによって、王への不信感を醸成させるという結果も招いた。 2月27日、ラソム・ハウス包囲戦(英語版)。 3月20日、ボルドン・ヒルの戦い(英語版)。 3月21日、ニューアークの救援(英語版)。 3月29日、チェリトンの戦い(英語版)。 4月、セルビーの戦い(英語版)。 4月22日、ヨーク包囲戦(英語版)。 5月3日、リンカン包囲戦(英語版)。 5月28日、ボルトン虐殺(英語版)。 6月29日、クロップレディ橋の戦い(英語版)。 7月2日、マーストン・ムーアの戦いでは、さらに東部連合軍と合流し、議会軍に圧倒的勝利をもたらした。この戦いを勝利に導いたクロムウェルが一躍、議会軍の中で注目されるようになった。
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