気動車改造制御車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 17:33 UTC 版)
「西武モハ101形電車」の記事における「気動車改造制御車」の解説
クハ1101形1101 雲仙鉄道が1936年(昭和11年)に日本車輌製造へ新製発注した、車体長9,800mmの小型四軸ボギー内燃動車(ガソリンカー)カハ22を前身とする。同車は1938年(昭和13年)8月の雲仙鉄道廃止に伴って篠山鉄道に原番号のまま譲渡され、さらに1944年(昭和19年)3月の篠山鉄道廃止に伴い(旧)西武鉄道が購入し、キハ101形101Bとして導入されたものである。同車の導入当時の(旧)西武鉄道においては既に同番号の車両(キハ101)が在籍したことから、元カハ22を「キハ101B」とし、既に在籍したキハ101については「キハ101A」と改称することによって両者を区分した。 同車は当時非電化路線であった多摩川線へ導入されたものの結局運用されず、長期間休車状態となったのち、1951年(昭和26年)6月にモハ101形と編成する制御車として電車化改造が施工された。電車化に際しては床下のエンジンを撤去、運転機器等を電車用の機器に換装し、屋根上にトロリーポールを新設した程度の軽微な改造に留まり、外観上の変化は極わずかなものであった。また、萩山寄りの運転台を撤去して片運転台構造となったが、運転室は多摩湖線に在籍する他の車両が片隅式であったのに対し、全幅式の運転室構造を採用した。窓配置はガソリンカー当時と同様、1D7D1である。台車はガソリンカー当時からの軸ばね式菱枠台車をそのまま装着し、旧付随台車は固定軸間距離1,500mmの一般的な台車であったのに対し、旧動力台車については心皿・枕梁等が動軸側に200mm偏って配置された偏心台車(心皿から各固定軸の間隔は動軸側が750mm、非動軸側が1,150mm)であった。 クハ1121形1121・1122 多摩川線の客貨分離のため、(旧)西武鉄道が1938年(昭和13年)3月に日本車輌製造東京支店において新製したガソリンカーであるキハ20形21・22を種車とする。同2両は多摩川線の電化完成に伴って上水線(現・拝島線)へ転属し、同路線の電化完成後も車両不足を補うため1956年(昭和31年)頃まで運用されたのち、用途を失い休車となっていたものである。同2両を種車として本形式が落成した1958年(昭和33年)7月当時は、既に600V電化区間縮小に伴う余剰廃車が発生していた時期であったものの、多くの車両を廃車・譲渡したことで同時期の利用客増加に対して輸送力不足に陥ったことから、車両不足解消のため急遽改造が決定したとされている。 本形式も他の制御車各形式同様に、国分寺寄りに片隅式運転台を有する片運転台構造を採用する。種車は全長10m未満の小型二軸単車であったが、電車化改造に際しては全長13,460mmの3扉車体へ延長の上でボギー車化改造が施工されており、窓配置も改造以前の1D5D1からdD5D5D1(反対側は1D5D5D1)と大きく変化した。台車はクハ1231形の台車交換に伴う発生品である、天野工場(後の日本車輌製造)製の釣り合い梁式台車を装着する。なお、本形式は多摩湖線の集電方式がパンタグラフに切り替えられた後に増備されたため、当初より集電装置を搭載せず落成した。
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