電車化改造
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「ペンシルバニア鉄道MP85形電車」の記事における「電車化改造」の解説
パイオニアIII客車が発注を得られなかったことでバッドの設計陣は両運転台の郊外電車への改造を行い、 ペンシルバニア鉄道(以下PRR)に対し老朽化が著しいMP54形(英語版)置き換え用として提案、1958年にPRRに引き渡された 。 パイオニアIII客車を彷彿とさせるそのステンレス製の車両はPRRでニューヨーク-ワシントンD.C. 、ニューヨーク-シカゴ間で運用された。 座席配置は3+2の25列となっており他の総括制御電車と同様に単行から数両連結まで輸送量に応じて弾力的に運用できた 。 パイオニアIIIの設計最高速度は100mi/hであったが、営業時の最高速度は約80から85miであった。PRRの長距離列車と同じく密着自動連結器を装備しペイオリまたはウィルミントン の工場で整備を受けた。 当初の車両番号は150から155で偶数車はディスクブレーキ、奇数車は鋳鉄シューの踏面ブレーキであった。 本車に使用されているパイオニアIII台車は、軽量、軸箱と側枠が一体型の高速形台車である。 この台車はバッドがその後に追加発注をうけたシルバーライナーなどロングアイランド鉄道、メトロノース、PATCOの鉄道線、アムトラックのアムフリートに装着され、最大速度125 miles per hour (201 km/h)まで改良された。 パイオニアIIIは直角カルダンを使用( PTC(英語版) M-3など)したが、シルバーライナーIIは高出力電動機を搭載する為に従来の方法であった。 電力は菱型のパンタグラフから集電され、制御装置はイグナイトロン式整流器に接続された降圧変圧器からなり、これをカム軸式制御装置に伝えていた。発電ブレーキは装備されていない。1961年には水銀整流器をシリコン整流器に換装している。 パイオニアIIIはその薄肉外皮のステンレス製車体と軽量化された主要機器との組み合わせにより北米において最軽量の全金属製電車となったが、その一方で小型化されたモーターと低容量の主変圧器の信頼性が問題として残った。[要出典]
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電車化改造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/04 14:02 UTC 版)
蒸機牽引列車の客車として運用を開始した本系列であったが、1927年(昭和2年)に伊勢崎線全線、および佐野線全線が相次いで電化され、電車の所要数が増加したことに伴い、同年2月から4月にかけて当初の計画通り本系列の電車化改造が施工された。 電装品については東洋電機製造製電動カム軸式制御器とイングリッシュ・エレクトリック (E.E.) 社DK-91主電動機(端子電圧750V時定格出力97kW)が採用された。これらはいずれもE.E.社製、もしくはE.E.社の国内ライセンス製品であり、同時期に新製された昭和2年 - 4年系と同一のものである。制動装置についてもM三動弁による元空気溜管式AMM自動空気制動に変更された。台車は引き続きKS30Lを装着し、歯車比は2.81 (59:21) 、駆動方式は吊り掛け式である。電車化に際しては運転台を両側に設置して両運転台仕様となったが、その運転台は前面貫通構造にも関わらず中央部に設けられた点が特徴的であった。 電動車化の対象となったものは旧ホハ11形のみで、全鋼製車体の旧ホハ12形については2両とも制御車(クハ)として竣功し、竣功後はそれぞれデハ3形11 - 16・19・20、クハ2形7・8と改称・改番された。なお、デハ17・18の車両番号(車番)は、昭和2年 - 4年系前期普通型の初期落成車2両に付番されたため、デハ3形については連続した車番とはなっていない。 電車化改造に伴う改番対照 旧番 改番後 ホハ51 デハ11 ホハ52 デハ12 ホハ53 デハ13 ホハ54 デハ14 ホハ55 デハ15 ホハ56 デハ16 ホハ57 デハ19 ホハ58 デハ20 ホハ59 クハ7 ホハ60 クハ8
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