運行・廃車とは? わかりやすく解説

運行・廃車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/14 06:10 UTC 版)

スイス国鉄Te III形電気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

製造後は、スイス全国主要駅配置され入換用および事業用として使用されている。なお、トラクター分類される本機本線機関士ではなく、駅の入換要員保守工事要員運転操作行っている。 137号機が1968年にエメンタル-ブルクドルフ-トゥーン鉄道譲渡されてCe2/2 122号機となったほか、老朽化進行により199697年に各1機が廃車されたのを手始め本格的に廃車進み2001年127号1機を最後に全車廃車となっている。なお、各年毎廃車機番は以下の通り1968年 - 137号機 1996年 - 121号機 1997年 - 129号機 1998年 - 124134号機 1999年 - 125126128132133号機 2000年 - 122123130131135136号機 2001年 - 127号機 廃車後130号機がスイスおよびオーストリアの歴史車両および貨物列車運行会社である中央鉄道譲渡されその後2008年にはアールガウ州コブレンツ鉄道車両保存団体であるDSF再度譲渡され運行されている。

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運行・廃車

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マルティニ・シャトラール鉄道ABDeh4/4 31-32形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

マルティニ・シャトラール鉄道線軌間1000mm、開業当初全長19.072km、その後1931年路線改良されて18.363km、最急勾配粘着区間70パーミル、シュトループ式のラック区間200パーミル路線であり、1906年マルティニー - ル・シャトラール=フロンティエール間18.8km(当時)が開業し1908年にはル・シャトラール=フロンティエール - スイス/フランス国境間0.29kmが開業して同じくフランス国内のヴァロルイーネから国境まで路線延長したコル・デ・モンテ線接続している。開業時 には直流750V、1957年以降直流850Vで電化されており、山岳部のヴェルネイヤーズ - ル・シャトラール=フロンティエール間では第三軌条からの集電としていたが、道路横断者等の安全確保のため、1991年-97年にかけてフィンハウト - ル・シャトラール=フロンティエール間、サルヴァン - ル・トレティアン間が架線集電変更されている。この路線ローヌ川沿いでスイス国内イタリアフランス方面への街道交差する古くからの交通の要衝で、スイス国鉄主要幹線ローザンヌ - ブリーク線のマルティニー駅に隣接する標高467mのマルティニ・シャトラール鉄道マルティニー駅を起点として、ヴェルネイヤーズからサルヴァンまでは総延長約2.5kmの200パーミルラック区間で、サルヴァン以降は最急70パーミル粘着区間同じくローヌ川から分かれたトリアン川に沿って西方にトリアンの谷を遡り、フィンハウトで路線最高の1224m地点を過ぎ、引き続き最急70パーミル粘着区間で、名を変えたオー・ノワール川に沿って標高 1115mのル・シャトラール=フロンティエールに至り、そこからスイス/フランス国境に至っている。 国境フランス側コル・デ・モンテ線当初パリ・リヨン・地中海鉄道、現在ではフランス国鉄により運営されている、軌間1000mm、最急勾配90パー ミル全線粘着式、第三軌条集電山岳路線であり、フランス国鉄標準軌路線接続するサン=ジェルヴェ=レ=バン・ル=ファイエからモンブラン 山麓リゾート地であるシャモニー=モン=ブラン、ヴァロルイーネを経由してスイス/フランス国境へ至っている。なお、同鉄道1950年代まで架線電圧が600Vであり、全線直通運転1997年に両鉄道のBDeh4/8 21-22形およびZ800形によるモンブラン急行運行開始されるまで行われていなかった。 開業当初からしばらくの間5月から8月までの夏季のみの運行であり、冬季運行開始1931年から実施されることとなり、以降スノーシェッド除雪車徐々に整備している。また、全線所要時間同様に開業当初からしばらくは1時間55分から2時間10分、運転速度は、平坦線マルティニー - ヴェルネイヤーズ間が17km/h、ヴァルネイヤーズ - サルヴァン間の200パーミルラック区間が5.5km/h、サルヴァン - ヴァロルイーネ間の70パーミル粘着区間が12-18km/h、最高運速度前記区間それぞれで25km/h、7km/h、20km/hあり、その後1938年には最高運速度見直して所要時間20程度短縮している。 本形式1921年導入以降、本形式同時に導入されたK 121-124形およびM 131-132形などとともに、バルベリーネ川に建設されスイス国鉄発電用ダムおよび発電所建設資材運搬する貨物列車使用されており、ピーク1924年には貨物輸送量が年間23023tに上っていた。1925年完成したこの重力式コンクリートダムはバルベリーネダムと呼ばれ堤高79m、堤頂長284mで貯水4000m3のダム湖擁するものであり、建設に際しては、スイス国鉄関連会社であるシャトラール-バルベリーネ・ケーブルカーによって、マルティニ・シャトラール鉄道のシャトラール・VSからレース・モントゥイレスに至る全長1310m、高度差693m、最急勾配870パーミルケーブルカーと、そこからダムサイトに至る軌間600mmの工事軌道用意され資材等の運搬使用されている。 ダム建設終了した1926年には本形式スイス国鉄からマルティニ・シャトラール鉄道譲渡され1935年には客室増設工事実施して、BCFe4/4 31-32形となっているが、引き続き貨物列車牽引にも使用されている。なお、マルティニ・シャトラール鉄道では本形式導入したため、事業用として所有していた建設工事用の蒸気機関車であるHG2/2形1号機1927年モンブラントラムウェイに、小型電気機関車のHGe2/2形2および3号機1930年に後のベー-ヴィラー-ブルタユ鉄道それぞれ譲渡している。 1950年代には同じくスイス国鉄による新たなダム建設が行われ、本形式がその建設資材輸送する貨物列車牽引使用されており、ピーク1954年には年間16200tの貨物輸送となっている。これにより1955年完成したダムはビュー・エモッソンダムもしくは現在では通称旧エモッソンダムとも呼ばれているアーチ式コンクリートダムで、貯水量13.5百万m3のダム湖はビュー・エモッソン湖と呼ばれている。 1957-64年に新し軽量車体を持つラック電車であるABDeh4/4 4-8形(後のBDeh4/4 4-8形)電車と、これと編成を組むBt 63-68形制御客車導入さた後、本形式旅客列車の運行では順次代替され、引き続き貨物列車牽引用と使用されたほか、事業用および多客時輸送用、Xrot e 202形電気式ロータリー除雪車推進動力車として2000年代まで運用されていた。 1962年からはバルベリーネ川に新しダム建設されることとなり、本形式もABDeh4/4 4-8とともに資材等を輸送する貨物列車牽引使用されている。このダム冒頭記述した世界最大クラスのグランド・ディクセンスダム(通称エモッソンダム)であり、その資材輸送には道路交通併用されたものの、マルティニ・シャトラール鉄道による輸送ピーク1973年には22450tに上っており、バルベリーネダムの建設時敷設されケーブルカー工事軌道再度資材等の輸送活用されている。なお、このケーブルカー工事軌道のうちダム湖外に残った区間については、1975年ダム完成後も観光用のエモッソン-バルベリーネ交通として引続き運転されており、2003年にはシャトラール公園鉄道となって現在に至っている。 その後ABDeh4/4 31号機、32号機ともには動態保存されて、鉄道車両保存団体である TNTによって保守および運行なされているが、ABDeh4/4 31号機は2011年廃車となっている。なお、同団体では本形式と共に使用され制御車である Ct4 51号車(車体表記はCt4 21)とBFt4 74号車BFt4 75号車およびABDeh4/4 15号機や貨車2両を動態保存している。

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ベイルート-ダマスカス鉄道A形蒸気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

ベイルート-ダマスカス鉄道は、地中海沿岸港町古くから貿易繁栄したレバノン首都ベイルートから内陸古都で現シリアダマスカスを結ぶ全長147km、時期によって異なるが開業時は全23駅の路線で、途中最高峰が3086mのレバノン山脈最高峰2814mのアンチレバノン山脈その間標高約900mのベッカー高原超える山岳路線となっている。そのため、粘着区間で最急勾配25パーミルラック区間で最急勾配70パーミルとなっており、湾岸ベイルートからレバノン山脈を34kmのラック区間とChouit-Araye駅とAley駅の2箇所スイッチバックによって37.5km地点標高1478mのMedeireijeでレバノン山脈越えその後標高約900mのベッカー高原横断してアンチレバノン山脈登る80km地点付近現在のレバノン-シリア国境越え、同山脈粘着区間のみで90.9km地点標高1380mで超えて標高700mのダマスカス至っている。途中ベッカー高原など標高の高い区間降雪地帯であり、特にレバノン山脈アンチレバノン山脈標高の高い区間多く降雪があり、必要に応じてスノーシェッド設置されているほか、本形式などの機関車前頭部に大型スノープラウ設置して運行されることもあった。また、鉄道途中レバノンのリヤークで1435mm軌間アレッポバグダード鉄道方面路線と、ダマスカスで1050mm軌間ヒジャーズ鉄道およびハウラン鉄道それぞれ接続していた。なお、1050mmという軌間1894年開業したダマスカス - Muzeirib間や、同時に建設されていたベイルート-ダマスカス鉄道以降ヒジャーズ鉄道などにも引き継がれたこの地域狭軌鉄道独特のものであったが、この軌間採用した理由については設計もしくは建設途上におけるミスなどによるものという説なども含めいくつかの推論挙げられているが明らかにはなっていない。 A形の31-37号機の全7機は1906年順次運行入っており、従来B形が80tの列車牽引していたのに対し、本形式では125tと輸送力大幅に向上しており、本形式導入伴って運行施設増強図られている。 本形式その後B形D形C形および後継過熱式で車軸配置EzzのS形とともにベイルート-ダマスカス鉄道運用されていたが、1956年シリアの鉄道国有化され1965年1月1日シリア国鉄が、1960年にはレバノン国鉄それぞれ発足しベイルート-ダマスカス鉄道運行DHPから引き継いでおり、機材についてそれぞれの所属となっている。本形式後継S形とともに全機レバノン国鉄所有となり旧番号引継いで31-37号機となっているほか、B形ラック駆動装置撤去したBa形も含む)については当時残存していた機体のうち6機がレバノン国鉄所有、3機がシリア国鉄所有D形のうち残存していた5機とC形2機はシリア国鉄所有となっている。 本形式その後レバノン国鉄により運行されていたが、1975年勃発したレバノン内戦影響により、ベイルート-ダマスカス鉄道レバノン側は1976年には運行停止したとされており、これに伴って形式運行されなくなっている。なお、一部機体は現在でもベイルート駅やリヤーク駅に隣接車庫内に放置されたままとなっている。

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ベイルート-ダマスカス鉄道S形蒸気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

ベイルート-ダマスカス鉄道は、地中海沿岸港町古くから貿易繁栄したレバノン首都ベイルートから内陸古都で現シリアダマスカスを結ぶ全長147km、時期によって異なるが開業時は全23駅の路線で、途中最高峰が3086mのレバノン山脈最高峰2814mのアンチレバノン山脈その間標高約900mのベッカー高原超える山岳路線となっている。そのため、粘着区間で最急勾配25パーミルラック区間で最急勾配70パーミルとなっており、湾岸ベイルートからレバノン山脈を34kmのラック区間とChouit-Araye駅とAley駅の2箇所スイッチバックによって37.5km地点標高1478mのMedeireijeでレバノン山脈越えその後標高約900mのベッカー高原横断してアンチレバノン山脈登る80km地点付近現在のレバノン-シリア国境越え、同山脈粘着区間のみで90.9km地点標高1380mで超えて標高700mのダマスカス至っている。途中ベッカー高原など標高の高い区間降雪地帯であり、特にレバノン山脈アンチレバノン山脈標高の高い区間多く降雪があり、必要に応じてスノーシェッド設置されているほか、本形式などの機関車前頭部に大型スノープラウ設置して運行されることもあった。また、鉄道途中レバノンのリヤークで1435mm軌間アレッポバグダード鉄道方面路線と、ダマスカスで1050mm軌間ヒジャーズ鉄道およびハウラン鉄道それぞれ接続していた。なお、1050mmという軌間1894年開業したダマスカス - Muzeirib間や、同時に建設されていたベイルート-ダマスカス鉄道以降ヒジャーズ鉄道などにも引き継がれたこの地域狭軌鉄道独特のものであったが、この軌間採用した理由については設計もしくは建設途上におけるミスなどによるものという説なども含めいくつかの推論挙げられているが明らかにはなっていない。 301および302号機は1924年7月試運転運行入っており、従来B形比較して35%、A形とは26%の燃費向上図られるなど好成績収めたため、続く303-305号機の3機が1925年5月発注されて翌1926年7月運行入っている。なお、本形式導入に伴い従来使用されていたB形の1-12II号機のうち、補修待ちであった1、9、11号機の3機については1925年頃までに廃車となっているほか、3、4、5、8号機の4機については1949年頃までにラック駆動装置撤去して粘着区間専用改造され形式名もB形からBa形に変更となっている。 1956年シリアの鉄道国有化され1965年1月1日シリア国鉄が、1960年にはレバノン国鉄それぞれ発足しベイルート-ダマスカス鉄道運行DHPから引き継いでおり、機材についてそれぞれの所属となっている。本形式A形とともに全機レバノン国鉄所有となり旧番号引継いで301-307号機となっているほか、B形については当時残存していた機体のうち6機がレバノン国鉄所有、3機がシリア国鉄所有D形のうち残存していた5機とC形2機はシリア国鉄所有となっている。 本形式その後レバノン国鉄により運行されていたが、1975年勃発したレバノン内戦影響により、ベイルート-ダマスカス鉄道レバノン側は1976年には運行停止したとされており、これに伴って形式運行されなくなっている。なお、一部機体は現在でもベイルート駅やリヤーク駅に隣接車庫内に放置されたままとなっている。

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スイス国鉄Ae4/6形電気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

製造後1941年4月から1945年5月にかけて順次エルストフェルドに配置になり、ゴッタルドルート運用されていた。その後10807-10812号機は1948年に、10801-10806号機は1956年ベッリンツォーナ転属となり、廃車まで全機同地配属となっていた。 本機貨物列車旅客列車双方使用され26パーミル区間では単機で375tを、重連では700tを牽引しており、Ae4/7形やBe4/6形を一部置き換えているが、最高速度が100km/hに制限されたことや粘着性能の悪さ走行音重連総括制御装置問題から、最高速度100km/hで320tを牽引可能なAe4/7形と比較して大きなメリットはなかったため、本機製造12両のみにとどまったことにより、完全な置き換えまでには至らなかった。 10807号機は1950年衝突事故遭ったが、復旧の際に重連総括制御装置省略している。 1955年からのAe6/6形量産機導入されて600tまでの列車単機牽引するようになったことに伴い1956年以降本機急行列車牽引する運用から外れているが、Ae6/6形は重連総括制御装置持たず単機での運行であったことから本機引続き重量列車などに使用されていた。 1965年7月9日に10801号機が火災起こし復旧されことなくそのまま廃車となっている。 その後1975年からは単機で800tを牽引して80km/hで走行することができるRe6/6形が導入されたことから、本機次第ローカル運用使用されるようになり、1977年から1983年にかけて順次廃車となった1980年には50パーミル勾配区間を持つスイス南東鉄道への譲渡検討され実際に10810号機と10812号機で試運転実施された。しかし、本機粘着性能が良くなかったことなどから本機譲渡実施されず、代わりにRe4/4III形3両が譲渡されている。 各機体廃車年は以下の通り 10801 - 1965年 10802 - 1977年 10803 - 1981年 10804 - 1981年 10805 - 1983年 10806 - 1982年 10807 - 1977年 10808 - 1981年 10809 - 1981年 10810 - 1982年 10811 - 1983年 10812 - 1982年

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ベイルート-ダマスカス鉄道D形蒸気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

ベイルート-ダマスカス鉄道は、地中海沿岸港町古くから貿易繁栄したレバノン首都ベイルートから内陸古都で現シリアダマスカスを結ぶ全長147km、時期によって異なるが開業時は全23駅の路線で、途中最高峰が3086mのレバノン山脈最高峰2814mのアンチレバノン山脈その間標高約900mのベッカー高原超える山岳路線となっている。そのため、粘着区間で最急勾配25パーミルラック区間で最急勾配70パーミルとなっており、湾岸ベイルートからレバノン山脈を34kmのラック区間とChouit-Araye駅とAley駅の2箇所スイッチバックによって37.5km地点標高1478mのMedeireijeでレバノン山脈越えその後標高約900mのベッカー高原横断してアンチレバノン山脈登る80km地点付近現在のレバノン-シリア国境越え、同山脈粘着区間のみで90.9km地点標高1380mで超えて標高700mのダマスカス至っている。途中ベッカー高原など標高の高い区間降雪地帯であり、特にレバノン山脈アンチレバノン山脈標高の高い区間多く降雪があり、必要に応じてスノーシェッド設置されているほか、本形式などの機関車前頭部に大型スノープラウ設置して運行されることもあった。また、鉄道途中レバノンのリヤークで1435mm軌間アレッポバグダード鉄道方面路線と、ダマスカスで1050mm軌間ヒジャーズ鉄道およびハウラン鉄道それぞれ接続していた。なお、1050mmという軌間1894年開業したダマスカス - Muzeirib間や、同時に建設されていたベイルート-ダマスカス鉄道以降ヒジャーズ鉄道などにも引き継がれたこの地域狭軌鉄道独特のものであったが、この軌間採用した理由については設計もしくは建設途上におけるミスなどによるものという説なども含めいくつかの推論挙げられているが明らかにはなっていない。 1895年8月ベイルート-ダマスカス鉄道開業に際しては本形式を含む14機の蒸気機関車のほか、客車20両、貨車73両で運行開始しており、開業当初旅客列車1往復貨物列車2往復基本として季節に応じてこれに加えて列車設定されており、全線所要時間12時であった1896年時点年間輸送量旅客150千人貨物80千tであったが、その後列車交換工夫などにより、1898年ダイヤでの全線所要時間は約9時間となっており、この頃には年間旅客350千人貨物150千tにまで増大していた。なお、開業時用意され機材内訳以下の通りラック蒸気機関車B形1-8号機、8機 粘着蒸気機関車D形51-56号機、6機 客車:2軸1等/2等合造車10両、2軸2等車7両、3軸3等車18貨車:2軸荷物車11両、2軸有蓋車66両、2軸無蓋車108両、2軸平物26その後ベイルート-ダマスカス鉄道ではより大型牽引力の高い粘着区間専用機として、当時ザクセン王国ザクセン機械工場製で車軸配置 (B)B1'でマレー式C形61-62号機を1906年導入しラック蒸気機関車についても、車軸配置D1'zzA形31-37号機および同じくEzzのS形301-307号機の計14機を1906年および1924-40年に導入して輸送力増強を図るとともにB形3、4、5、8号機の4機を1949年頃までにラック駆動装置撤去して粘着区間専用改造して形式名もB形からBa形に変更している。なお、本形式52号機は1918年に、B形の1、9、11号機の3機については1925年頃までに廃車となっている。 1956年シリアの鉄道国有化され1965年1月1日シリア国鉄が、1960年にはレバノン国鉄それぞれ発足しベイルート-ダマスカス鉄道運行DHPから引き継いでおり、機材についてそれぞれの所属となっている。本形式当時残存していた51、53-56号機の全5機が、C形6162号機、Ba形の3-5号とともにシリア国鉄所有となっている。なお、B形Ba形の2II、6-81012号機の6機と、A形S形全機レバノン国鉄所有となり、旧番号引継いで運行されていたが、1975年勃発したレバノン内戦影響により、ベイルート-ダマスカス鉄道レバノン側は1976年には運行停止したとされており、一部機体は現在でもベイルート・コダー駅やリヤーク駅隣接車庫内に放置されたままとなっている。 シリア国鉄引き継がれた旧D形51、53-56号機は751-755号機に改番されて、ベイルート-ダマスカス鉄道レバノン区間運行停止後も残ったダマスカス - Serghaya間で同じくBa形の3-5号機である803-805号機や、旧C形61-62号機である961-962号機、旧ヒジャーズ鉄道機などとともに運行されており、2000年代前後次点では751、754、755号機の3機が運行されていた。その後ベイルート-ダマスカス鉄道2010年代でも一部区間が主に観光列車として運行されているものの本形式使用状況不明確であり、廃線列車運行されることもあって運行区間不明瞭であるが、旧54号機である753号機は2008年ダマスカスカダム駅および工場併設する形で開設されヒジャーズ鉄道博物館で、803号機や961号機ほか約20機の蒸気機関車とともに静態保存された。

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運行・廃車

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ベイルート-ダマスカス鉄道B形蒸気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

ベイルート-ダマスカス鉄道は、地中海沿岸港町古くから貿易繁栄したレバノン首都ベイルートから内陸古都で現シリアダマスカスを結ぶ全長147km、時期によって異なるが開業時は全23駅の路線で、途中最高峰が3086mのレバノン山脈最高峰2814mのアンチレバノン山脈その間標高約900mのベッカー高原超える山岳路線となっている。そのため、粘着区間で最急勾配25パーミルラック区間で最急勾配70パーミルとなっており、湾岸ベイルートからレバノン山脈を34kmのラック区間とChouit-Araye駅とAley駅の2箇所スイッチバックによって37.5km地点標高1478mのMedeireijeでレバノン山脈越えその後標高約900mのベッカー高原横断してアンチレバノン山脈登る80km地点付近現在のレバノン-シリア国境越え、同山脈粘着区間のみで90.9km地点標高1380mで超えて標高700mのダマスカス至っている。途中ベッカー高原など標高の高い区間降雪地帯であり、特にレバノン山脈アンチレバノン山脈標高の高い区間多く降雪があり、必要に応じてスノーシェッド設置されているほか、本形式などの機関車前頭部に大型スノープラウ設置して運行されることもあった。また、鉄道途中レバノンのリヤークで1435mm軌間アレッポバグダード鉄道方面路線と、ダマスカスで1050mm軌間ヒジャーズ鉄道およびハウラン鉄道それぞれ接続していた。なお、1050mmという軌間1894年開業したダマスカス - Muzeirib間や、同時に建設されていたベイルート-ダマスカス鉄道以降ヒジャーズ鉄道などにも引き継がれたこの地域狭軌鉄道独特のものであったが、この軌間採用した理由については設計もしくは建設途上におけるミスなどによるものという説なども含めいくつかの推論挙げられているが明らかにはなっていない。 1895年8月ベイルート-ダマスカス鉄道開業に際しては本形式を含む14機の蒸気機関車のほか、客車20両、貨車73両で運行開始しており、開業当初旅客列車1往復貨物列車2往復基本として季節に応じてこれに加えて列車設定されており、全線所要時間12時であった1896年時点年間輸送量旅客150千人貨物80千tであったが、その後列車交換工夫などにより、1898年ダイヤでの全線所要時間は約9時間となっており、この頃には年間旅客350千人貨物150千tにまで増大していた。なおm開業時用意され機材内訳以下の通りラック蒸気機関車B形1-8号機、8機 粘着蒸気機関車D形51-56号機、6機 客車:2軸1等/2等合造車10両、2軸2等車7両、3軸3等車18貨車:2軸荷物車11両、2軸有蓋車66両、2軸無蓋車108両、2軸平物26その後ベイルート-ダマスカス鉄道ではより大型牽引力の高い、車軸配置D1'zzA形31-37号機および同じくEzzのS形301-307号機の計14機を1906年および1924-40年に導入し粘着区間専用機当時ザクセン王国ザクセン機械工場製で車軸配置 (B)B1'のC形61-62号機を1906年導入して輸送力増強図っているが、この間に、B形のうち補修待ちであった1、9、11号機の3機についてはS形運行開始に伴い1925年頃までにそのまま廃車となっているほか、3、4、5、8号機の4機については1949年頃までにラック駆動装置撤去して粘着区間専用改造され形式名もB形からBa形に変更となっている。 1956年シリアの鉄道国有化され1965年1月1日シリア国鉄が、1960年にはレバノン 国鉄それぞれ発足しベイルート-ダマスカス鉄道運行DHPから引き継いでおり、機材についてそれぞれの所属となっている。本形式B形Ba形の2II、6-81012号機の6機がレバノン国鉄所有Ba形の3-5号機がシリア国鉄所有となっている。なお、A形S形全機レバノン国鉄所有となり、旧番号引継いでそれぞれ31-37号機と301-307号機となっており、D形のうち当時残存していた51、53-56号機とC形6162号機はシリア国鉄所有となっている。 レバノン国鉄引き継がれた2II、6-81012号機は引続き番号のままベイルート-ダマスカス鉄道運行されていたが、1975年勃発したレバノン内戦影響により、ベイルート-ダマスカス鉄道レバノン側は1976年には運行停止したとされており、これに伴って形式運行されなくなり一部機体は現在でもベイルート・コダー駅やリヤーク駅隣接車庫内に放置されたままとなっている。 シリア国鉄引き継がれた旧Ba形の3-5号機は803-805号機に改番された上で運行されており、ベイルート-ダマスカス鉄道レバノン区間運行停止後も残ったダマスカス - Serghaya間で、旧D形51、53-56号機である751-755号機や、旧C形61-62号機である961-962号機、旧ヒジャーズ鉄道機などとともに運行されており、2000年代前後次点では805号機が運行されていた。その後ベイルート-ダマスカス鉄道2010年代でも一部区間が主に観光列車として運行されているものの本形式使用状況不明確であり、廃線列車運行されることもあって運行区間不明瞭であるが、旧3号機である803号機は2008年ダマスカスカダム駅および工場併設する形で開設されヒジャーズ鉄道博物館で、753号機や961号機ほか約20機の蒸気機関車とともに静態保存された。

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運行・廃車

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モントルー-ヴヴェ-リヴィエラ交通HGe2/2形電気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

製造後モントルー-グリオン鉄道全線運行されているが、この路線レマン湖畔で、スイス国鉄主要幹線ローザンヌ - ブリーク線やモントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道接続するモントルーから、グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道ケーブルカーとが接続していたグリオンに至る全長2.73km、標高395-689m、最急勾配130パーミル山岳路線である。 ラック方式ラックレール2条アプト式で、グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道とほぼ同じピッチ120mm、歯末たけ15mm、歯先レール面上高53mm、歯厚25mmとなっている。なお、モントルー-グリオン鉄道開業時モントルー駅構内などはラックレール設置されていなかったが、その後BChe2/4形などラック区間専用機体使用されるうになると、ラックレール敷設されている。また、現在でも平坦な駅構内車庫内などはラックレール片側1条のみの設置となっている。 モントルー-グリオン鉄道の開業時に用意され機材以下の通り客車コンパートメント式で全長11670mm、定員56名(2等8名、3等48名)のもので、非電化グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道直通できるよう室内灯用バッテリー搭載していた。旅客列車は本形式1機と客車1-2両および手荷物車1両の編成基本となっており、貨物列車含め形式が常に勾配最下端に位置するように列車編成されている。電気機関車(3機):HGe2/2 1-3号機(本形式客車(5両):BC 1-3形2等/3等客車)、BC 4-5形(2等/3等オープン客車貨車10両):M 11-12形およびL 21-23形(無蓋車)、K 1-2形(有蓋車)、F 1-4形のうちF 1-3号車(無蓋手荷物車) 1938年グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道直流850Vで電化され、同時にモントルー-グリオン鉄道直流750Vから850Vに昇圧され、同時に鉄道にBhe2/4形ラック電車の201-208号機が1966年にかけて導入され旅客列車の運行主力となって鉄道が一体として運行されるうになると、本形式は多客時の増発用、貨物列車工事除雪などの事業用列車などに使用されるようになっているまた、全線電化後は本形式も最急勾配220パーミルの旧グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道でも運行されるようになっているその後1980--2000年代にかけてのスイス国内私鉄再編流れの中で、1987年に両鉄道統合してモントルー-グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道となり、1992年にはグリオン接続しているテリテ-グリオン鋼索鉄道統合してモントルー-テリテ-グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道となっているが、さらに2001年には同社モントルー-ヴヴェ-リヴィエラ交通などこの地方公共交通4社が統合してモントルー-ヴヴェ-リヴィエラ交通となっている。なお、現在本形式運行されているモントルー - ロシェ・ド・ネー間は全長7.63km、標高395-1973m、最急勾配220パーミル山岳路線となっている。 原型のまま残っていたHGe2/2 1号機1966年廃車となっている。また、車体更新改造実施したHGe2/2 3号機(旧101号機)は1996年ブリエンツ・ロートホルン鉄道から譲受したHm2/2 4号機とともに事業用として使用されていたが、2011年落石事故巻き込まれ大きく損傷したため廃車となり、代替としてシュタッドラー製のディーゼル/電気両用ラック式機関車であるHem2/2 11および12号機が2013年導入されている。 残ったHGe2/2 2号機歴史的車両として、同じく残されている旧モントルー-グリオン鉄道BC 2号車および旧グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道BC 16号車の2両の客車とともに臨時列車等として運行されており、Hm2/2形やHem2/2形導入などとともに事業用としても運行されている。 各機体廃車年は以下の通り1 - 1966年 2 - 運行中 3 - 2011年

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運行・廃車

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スイス国鉄Ae3/6 II形電気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

スイス国鉄の主に平坦線使用されていた。 1923年1月19日に10401号機が試運転開始して以降1926年6月にかけて製造配置された。当時配置以下の通りチューリッヒ - 10401-10405 オルテン - 10405-10413、10439-10449 バーゼル - 10414-10438 ルツェルン - 10450-10460 各地急行列車旅客列車貨物列車使用されていたが、110km/h運用はAe3/6I形、重量ある列車はAe4/7形の担当であった。最も広く配置されていた1928年時点配置以下の通りサンクト・ガレン - 10401-10405 ロールシャッハ - 10406-10409 チューリッヒ - 10410-10412 ロマンショルン - 10413-10416 オルテン - 10417-10424、10436-10446 バーゼル - 10425-10434 ベリンツォーナ - 10435、10447 ルツェルン - 10450-10460 1965年から廃車始まり軸配置Bo'Bo'でBBCスプリングドライブ駆動Re4/4I形急行運用譲ったAe3/6I形やAe4/7形に置き換えられて、1973年時点では14両が残っていたが、1977年までに順次廃車となった。なお、1960年時点での配置以下の通りオルテン - 10401-10443 ヴィンタートゥール - 10444-10460 廃車後暖房電力の供給用として16両が定置変圧器として使用されたほか、10419号機は1973年電気検測車改造され1977年には事業用車X 30 85 98-30 505形式変更されている。 現在では10439号機がスイス国鉄歴史的機関車指定され原形復元され動態保存機としてオルテン配置されている。なお、復元に際して廃車となっていた他号機やAe3/5形、Ae3/6I形から各種部品流用している。 このほか、10448号機が1995年スイスの鉄道車両保存団体であるSWISSTRAINへ譲渡され静態保存のための復元待ちとなっている。

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運行・廃車

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スイス国鉄De6/6形電気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

本機ルツェルン近郊スイス国鉄のゼータル線のほぼ専用機として使用されていた。 ゼータル線が運営していたもの1922年国有化したもので、42.1kmの本線1997年廃止となった8.0kmの支線からなり、高度は本線海抜406-521m、支線は520-650m、最急勾配36パーミル電化方式AC5.5kV 25Hzであったが、1930年スイス国鉄の他の路線と同じAC15kV 16.7Hzに変更されている。 本機1926年製造以降ルツェルン配置されてゼータル線で使用されていたが、一時的に線区使用されることがあり、1926-29年には15303号機がベリンツォーナ配置され入換機として使用され、1929-31年には15302号機がチアッソに配置され貨物列車牽引使用されたのが長期にわたりゼータル線を離れた例である。 ゼータル線では旅客列車および貨物列車牽引使用されていたが、1983年1月に15302号機、3月に15303号機、4月には15301号機が廃車となっている。

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スイス国鉄Ae3/6 I形電気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

スイス国鉄の主に平坦線使用されていた。 1935年からはジュネーヴチューリッヒ間の急行列車にも使用されるなど各地急行列車にも使用されていたが、110km/h機と100km/h機では運用分けられていた。 1960年代頃には、ブフリ駆動装置改良や、主開閉器油遮断器から空気遮断器変更バッファ交換などの近代化更新工事を受けながら使用されていた。 1946年から軸配置Bo'Bo'でBBCスプリングドライブ駆動Re4/4I形使用されるうになる本機は他の旧型機を置換える形で普通旅客列車貨物列車使用されるようになった1978年時点では89両が稼動していたが、その後1982年以降はRBDe560形電車によるNPZにより置換えられる形で1994年まで順次廃車となった。 現在では10664号機と10700号機がスイス国鉄により歴史的機関車として残されているほか、10601、10639、10693号機が民間所有となっている。

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スイス国鉄Te III形電気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

製造後スイス全国主要駅配置され入換用および事業用として使用されている。なお、トラクター分類される本機本線機関士ではなく、駅の入換要員保守工事要員運転操作行っている。 1968年にエメンタル-ブルクドルフ-トゥーン鉄道譲渡されたTeIII137号機の代替としてゼンゼタル鉄道Te 11号機がスイス国鉄譲渡されてTeIII 179機に編入されている。なお、老朽化進行により2002年に2機が廃車されたのを手始め本格的に廃車進んでおり、各年毎廃車機番は以下の通りとなっている。2002年 - 168169号機 2003年 - 161165167号機 2004年 - 145148151158173号2006年 - 141146147155159172号機 2007年 - 152、160号機 2009年 - 140号機 2010年時点ではスイス国鉄旅客貨物各部門以下の通り配置されており、177号機はスイス国鉄歴史的車両であるSBB Historic指定されオルテン入換用として動態保存されている。旅客部門144号機 - ジュネーヴ 155176号機 - ベッリンツォーナ 貨物部門SBBカーゴ139154164号機 - チューリッヒ 142171号機 - ザンクト・ガレン 143150162166 - ビール/ビエンヌ 149153156163170175179号機 - ローザンヌ 171178号機 - キアッソ 廃車後はTeIII 147155号機が2006年モルジュ-ビエール-コソネ地域交通譲渡され、同番号のままモルジュ駅構内入換用として使用されている。

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運行・廃車

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ベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道Ae415形電気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

251252号機は試運転によって、27パーミル勾配などさまざまな環境試験行っており、251号機は1947年にはオーストリア連邦鉄道でも走行試験行っている。 ベルンブリーク間のレッチュベルクルートレッチュベルクトンネル)を越え貨物列車旅客列車使用され列車フェリー牽引にも使用されている。 1990年代以降スイス国鉄Re460形やRe465形、Re485形が使用されるうになる次第運用からはずれ、2002年252号機が火災により廃車になり、257258号機は2004年廃車となっている。 251号機も2004年定期運用から外れているが、BLSレッチュベルク鉄道BLS AGで「歴史的機関車」として動態保存されてイベント列車等を牽引している。

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運行・廃車

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ブルンネン-モルシャッハ-アクセンシュタイン鉄道He2/2形電気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

ルツェルン湖畔の高台であるモールシャッハには1870年代観光ホテル幾つか建設されたが、眺望のよさで有名であった高台のアクセンシュタインにも2軒のホテル建設されることとなり、宿泊客輸送手段としてルツェルン湖畔の東端でウルナー湖へつながるアクセン街道沿い水運栄えた港町であるシュヴィーツ州ブルンネンのスイス国鉄駅前のブルンネンBrMBからモルシャッハを経由してアクセンシュタインまでの登山鉄道1905年8月1日開業した。なお、標高1922mの展望台であるフロンアルプシュトック山頂付近まで延長される計画もあった。 同鉄道スイス国鉄主要幹線であるゴッタルド線のブルンネン駅に併設され標高437mのブルンネンBrMB駅からモルシャッハの集落内で標高645mのモルシャッハ駅を経由し方向を180度変えて標高705mアクセンシュタイン駅までを登る登山鉄道で、軌間1000mmの全線ラック式、最急勾配ラック区間170パーミルラックレール1条のシュトループ式、電化方式三相AC750Vで所要時間はブルンネンBrMBからモルシャッハまでが10分、アクセンシュタインまでが15であった開業時には本形式とともにローワン式で、2室は窓がなくカーテンのみが設置され開放客室、2室が通常客室コンパートメント客車のC 4-5形2両と、通常の2軸車で4室とも開放客室コンパートメント客車のC 7-8形2両、2軸無蓋車L10-11形2両が用意され客車はいずれ山頂側に運転合図を行う車掌乗車するオープンデッキ前照灯設置されていた。本形式はブルンネン-モルシャッハ-アクセンシュタイン鉄道の開業から廃止まで鉄道唯一の動力車としてすべての列車の運行使用されており、旅客列車ではC 4-5形1両もしくはこれにC 6-7形1両を加えた1-2編成運転され貨物および工事列車ではL 10-11形および工事用の作業台搭載したトロッコ運転されており、いずれの列車にも山麓側にHe2/2形が、客車もしくは貨車山頂側に配置されていた。 運行当初夏季のみの運行であったが、1935年からはブルンネンBrMBとモルシャッハの間が通年運航となっていた。その後1947年1969年にはアクセンシュタインのホテル営業休止して利用客減少したこともあり、ブルンネン-モルシャッハ-アクセンシュタイン鉄道1969年5月29日廃止となり、翌5月30日からはAAGSが運行する路線バス転換されており、本形式全車廃車解体されている。

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運行・廃車

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スイス国鉄Tem I形機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

製造後スイス全国主要駅のうち、非電化区間のある駅を中心に配置され運用されている。なお、トラクター分類される本機本線機関士ではなく駅の入換要員運転操作行っている。 老朽化進行最高速度が60km/h遅いことから1979年1983年に1機ずつが廃車されたのを手始めに、1997年以降2004年にかけて本格的に廃車進み、現在では5機が残存している。なお、廃車後263号機がGruppe Be4/6に、270273号機が鉄道車両保存団体であるEurovaporに、275号機は歴史的鉄道車両保存運行貨物列車運行を行う会社であるCentralbahnに譲渡されている。 2010年時点ではスイス国鉄旅客貨物インフラ各部門以下の通り配置されている。旅客部門268 - ヴィンタートゥール(Schwab製自動連結器装備貨物部門SBBカーゴ251 - ローザンヌ 262 - ローザンヌ 265 - ザンクト・ガレン(+GF+自動連結器装備インフラ部門255 - ベッリンツォーナ

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スイス国鉄BDe4/4形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

本機同形制御車からの遠隔制御が可能であり、EW IおよびEW II客車中間車としてプッシュプルトレインとして使用された。制御車本機同形状のもので、以下のような形式で計54両が製造されている。ABt 50 85 37-03 900-919 ABt 50 85 38-33 906-921 ABt 50 85 38-33 930-937 Bt 50 85 28-33 900-905 Bt 50 85 29-33 900-902 初号機であるCFe4/4 841号機は1952年5月17日から運用入りベルン-ルツェルン間で使用され2、3号機である842、843号機はベリンツォーナ-ロカルノ間で使用開始したその後本機はほぼスイス全線使用されたが、主にローザンヌオルテンおよびヴィンタートゥール配置されていたほか、一部ベリンツォーナにも配置されゴッタルドルートでも使用されていたほか、一部機体急行列車使用されたこともある。 1980年からは1622、1623、1624、1628、1629、1651号機がヴェヴェイオルテンなどの近郊区間列車使用されることとなり、自動扉運転室横へのバックミラー設置などの改造なされている。 その後1982年以降はRBDe560形によるNPZが運用始めると置換え開始され1994年から廃車始まり1997年までに一般運用から外れている。 1643号機と1646号機はスイス国鉄歴史的車両登録され動態保存されている。

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運行・廃車

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ブレンガルテン-ディーティコン鉄道Ce4/4 7-9形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

ブレンガルテン-ディーティコン鉄道アールガウ州のヴォーレンからブレンガルテンを経由してチューリッヒ州のディーティコンに至る18.9kmの路線であり、最急勾配56パーミル、最急曲線半径25m、標高389-550mでディーティコン付近0.8kmは併用軌道との路線であり、 両端駅でスイス国鉄接続するのであるまた、形式運用されていた当時はヴォーレンからブレンガルテン西間6.4kmは1435mm軌間の旧ヴォーレン-マイスターシュヴァンデン鉄道線との三線軌条となっており、最急勾配60パーミル1936年時点で4.4km、1958年時点で2.5kmが併用軌道もしくは路肩敷設軌道であり、ディーティコンでリンマッタル軌道接続していた。 なお、本形式運行していた時代より後の、1990年5月27日にはチューリッヒのSバーン指定されてS-17系統となってアールガウ州からチューリッヒ州への通勤路線として運行されており、1995年以降には一部区間複線化が行われているほか、ヴォーレン - ブレンガルテン・ウエスト間の三線軌条2015年撤去されて、線路用地のみが引続きスイス国鉄からリースされている。 Ce4/4 9I 号機は製造後メーカーSWSにより、1914年ベルン開催されスイス国営博覧会出品されており、その後1915年にブレンガルテン-ディーティコン鉄道納入され運行開始している。 Ce4/4 7I-9I形が導入され1910年代から1960年代にかけての同鉄道電車旅客列車貨物列車牽引する列車運行されており、本形式も他の電車と共通で全線で、単行での運行のほか、混合列車を含む客車列車貨物列車牽引使用されており、重連総括制御機能持たないものの電車同士での重連でも使用されていた。C 18-20形およびC4 24-25形も同様に他の旧型2軸客車ボギー客車貨車とともに全線使用されており、牽引機もCe4/4 7I-9I形に特定されておらず、さまざまな編成運用されていた。 1947年にはCe4/4 7Iおよび8I号機が一旦廃車となり、ブレーキ装置その後新造車流用されているが、1949年にはCe4/4 7I号機はCe4/4 4II号機に改番の上で、Ce4/4 8I号機は1951年客車化されC4 24号車となった上で運用復しており、同時にCe4/4 9I号機が1949年空き番号のCe4/4 5II号機に改番されている。 1956年称号改正により、本形式はBe4/4 4II-5II号機、B3 18-20号車B4 24-25号車となったが、その後1963年には車体の状態が悪化したBe4/4 5II号機が旅客列車での運用から外れまた、1966年11月にはBe4/4 4II号機が事故により損傷したためそのまま廃車となっている一方その後にはBe4/4 5II号機が修復の上再度運用復している。 ブレンガルテン-ディーティコン鉄道ではその後輸送量増大して1965年には輸送人員132万人超え従来からの機材の老朽化進んでいたことから総合的な近代化を図るために1960年代さまざまな検討がなされ、結果として固定編成による列車により効率的なパターンダイヤを組むこととなって3車体連接式のBDe8/8形9編成1967年発注し1969年6月1日ダイヤ改正通常運行されるの全ての旅客列車置き換え同時に架線電圧を900Vから1200Vに昇圧している。この結果従来の1000mm軌間機材のうち事業用もしくは貨物列車牽引用として残されることとなったBDe4/4形およびBe4/4 7II号機の計3機のみが架線電圧昇圧対応工事実施しそれ以外電車および事業用のものを除く客車全車廃車となっている。 これに伴い、本形式残存していたBe4/4 5II号機、B3 18-20号車B4 24-25号車廃車となっている。

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運行・廃車

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ブレンガルテン-ディーティコン鉄道Ce2/2 1-5形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

ブレンガルテン-ディーティコン鉄道アールガウ州のヴォーレンからブレンガルテンを経由してチューリッヒ州のディーティコンに至る18.9kmの路線であり、最急勾配56パーミル、最急曲線半径25m、標高389-550mでディーティコン付近0.8kmは併用軌道との路線であり、 両端駅でスイス国鉄接続するのであるまた、形式運用されていた当時はヴォーレンからブレンガルテン西間6.4kmは1435mm軌間の旧ヴォーレン-マイスターシュヴァンデン鉄道線との三線軌条となっており、最急勾配60パーミル1936年時点で4.4km、1958年時点で2.5kmが併用軌道もしくは路肩敷設軌道であったほか、ディーティコンでリンマッタル軌道接続していた。なお、本形式運行していた時代より後の、1990年5月27日にはチューリッヒのSバーン指定されてS-17系統となってアールガウ州からチューリッヒ州への通勤路線として運行されており、1995年以降には一部区間複線化が行われているほか、ヴォーレン - ブレンガルテン・ウエスト間の三線軌条2015年撤去されて、線路用地のみが引続きスイス国鉄からリースされている。 本形式1902年のブレンガルテン-ディーティコン間の開業時より使用されているが、開業に際して用意され機体以下の通りであった電車:Ce1/2 1-3号付随客車C 4-6号車 有蓋車:K 21-22号車 無蓋車:L 31-32号車 開業時ダイヤでは旅客列車はブレンガルテン-ディーティコン間で通常6往復のほか、日曜祝日およびブレンガルテンでの市場開催日運行する1往復日曜祝日運行する1往復所要37-40分で運行されていた。 1960年代までの同鉄道電車旅客列車貨物列車牽引する列車運行されており、本形式全線で、単行での運行のほか、混合列車を含む客車列車貨物列車牽引使用されており、開業以降は1両の付随客車もしくは貨車を、1912年真空ブレーキ装備以降2軸車であれば最大2-3両を牽引して運行されていた。 その後、2軸ボギー式のCe4/4 7I-9I形、Ce4/4 10-11形、Ce4/4 6I-8II形および、同じく2軸ボギー式の客車増備により、1940-50年代には順次定期運行から外れて付随客車C 15および16号車は1953-54年に廃車となり、電車のうち出力67kW級のCe2/2 2および4号機1949年形式変更され事業用のXe2/2 51および52号となっている。また、電車のうち出力119kW級のCe2/2 1および3号機1954年入換用電気機関車のTe2/2 401Iおよび402I号機に改造されている。 ブレンガルテン-ディーティコン鉄道ではその後輸送量増大して1965年には輸送人員132万人超え従来からの機材の老朽化進んでいたことから総合的な近代化を図るために1960年代さまざまな検討がなされ、結果として固定編成による列車により効率的なパターンダイヤを組むこととなって3車体連接式のBDe8/8形9編成1967年発注し1969年6月1日ダイヤ改正通常運行されるの全ての旅客列車置き換え同時に架線電圧を900Vから1200Vに昇圧している。この結果従来の1000mm軌間機材のうち事業用もしくは貨物列車牽引用として残されることとなったBDe4/4形およびBe4/4 7II号機の計3機のみが架線電圧昇圧対応工事実施しそれ以外電車および事業用のものを除く客車全車廃車となっている。これに伴い残存していたTe2/2 401I-402I形も同年廃車となり、1967-68年に導入され自重13tの電気式ディーゼル機関車であるTm2/2 51-52形に置き換えられている。 Te2/2 402I号機の台枠流用して改造されたX 303II号車については事業用車として現在でも使用されている。

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運行・廃車

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ベルナーオーバーラント鉄道HGe3/3形電気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

製造後ベルナーオーバーラント鉄道全線で3軸もしくは2軸ボギーオープンデッキ客車組成され旅客列車および貨物列車牽引していたが、この路線全長23.69km、最急勾配粘着区間25パーミル、リッゲンバッハ式のラック区間120パーミル標高567mのインターラーケン・オストから795mのラウターブルンネンもしくは1034mのグリンデルヴァルトまでを登る山岳路線である。 1949年から製造されたABDeh4/4形3機が増備されたが、本形式も9機体制のまま引き続き主力として運行されていた。 その後1965年から1979年にかけてABeh4/4I形7機が増備されると、一部機体運行離れて廃車となり、1980年代初めにはHGe3/3形4機(22242529号機)と10機の電車運行をしていた。 1984年にABeh4/4II形およびBDt 401-403形制御客車導入され電車牽引列車一端制御客車連結したシャトルトレインとして運行されるようになり、ABeh4/4I形にもシャトルトレイン化の改造実施され列車はすべて電車牽引となったため、本形式通常運用からは外れ順次廃車となっている。 24号機と29号機は動態保存機として残され同様に残されている旧型客車牽引してさまざまなイベント列車牽引していたが、29号機は2013年保存鉄道であるブロネイ-シャンビィ博物館鉄道譲渡されている。また、26号機は廃車後ベルン近郊バンクドルフの運送会社譲渡され専用線使用されその後フリブール州ケルツェルスにある交通博物館静態保存されている。なお、各機体廃車年と解体年は以下のとおりであるが、文献によって廃車年の記述異なる。21 - 1969年廃車1976年1月解体 22 - 1989年廃車 23 - 1975年廃車1976年7月解体 24 - 動態保存 25 - 1989年廃車 26 - 1983年廃車 27 - 1965年廃車1975年解体 28 - 1975年廃車1976年7月解体 29 - 動態保存2013年にブロネイ-シャンビィ博物館鉄道譲渡

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イタリア国鉄E.326電気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

1931年導入され試作機ベネヴェント - フォッジア間やベネヴェント - ナポリ間で試運転行っており、この新運転を通じて前述様々な問題明らかになっている。その後量産機含めフィレンツェボローニャ機関区配置され1934年4月22日電化開業したフィレンツェ - ボローニャ間のディレッティシマでは一番列車重連牽引しているほか、1936年電化完了したフィレンツェ - ナポリ間でも長距離高速客車列車牽引する運行使用されていたが、両運用ともに最高速度当初130km/hであった最高速度は120km/hに制限されていた。 その後より高出力軌道への影響少ないE.428の試作機1934年から、量産機1937年から運用されるうになると、本形式ローマ - ナポリ間の運用転用され、最高速度も120km/hから105km/hに変更されている。なお、当時最速列車1936年から製造され最高速度160km/hのETR.200電車運行されていた。 第二次世界大戦により、全機稼働不能となったが、E.326.006号機がボローニャ機関区で、その他の機体フォリーニョ機関区1949年まで復旧されまた、その後電機品がE.626第4シリーズ同等のものに交換されている。 1960年代始めには最高速度がさらに低い90km/hに制限されるようになり、1960年代後半にはボローニャ中央機関区に配置されピアチェンツァリミニヴェローナパドヴァヴェネツィアへのローカル列車牽引使用されるようになった1979年より大規模な検査行わず順次廃車することになり、1982年にかけて全機廃車となっている。なお、本形式イタリア国鉄直流3000V用の電気機関車では最初に前者廃車となった形式となっているが、E.326.004号機がピエトラルサ国立鉄道博物館静態保存されている。

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南サルデーニャ鉄道ADe300形気動車」の記事における「運行・廃車」の解説

サルデーニャ鉄道は、イタリア国鉄接続するシリークアからサン・ジョヴァンニ・スエルジュ経由し、陸系砂州通ってサンタンティーオコ島へ渡りカラゼッタへ至る79.2kmの路線と、その路線途中サン・ジョヴァンニ・スエルジュからカルボーニャを経由してイタリア国鉄接続するイグレージアスまで至る33.1kmの路線構成されており、標高2-287m、最急勾配25パーミルとなっていた 本形式導入後、南サルデーニャ鉄道全線でALn200形とともに旅客列車使用されており、単行もしくは重連やRPe350形と編成組んで最大4-5編成運行されていた。 その後、南サルデーニャ鉄道輸送量減少1956年ヴィッラマッサルジャ - カルボーニア間のイタリア国鉄1435mm路線の開業、バウ・プレッシウ湖の建設による一部区間水没施設の老朽化などに伴い1968年にシクーリア - ナルカーオ間が、1969年にはモンテポニ - イグレージアス間が廃止となり、その後1974年には全線廃止となっている。 本形式路線廃止後はサルデーニャ鉄道(FCS)に譲渡されて、同形式、同番号のまま運行されており、その後鉄道サルデーニャ鉄道(FdS)となり、現在ではサルデーニャ地域交通鉄道路線として運行されるようになったことに伴い、本形式所属変更となっているとともに経年による廃車進み、現在では2機が残存している。

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南サルデーニャ鉄道ALn200形気動車」の記事における「運行・廃車」の解説

サルデーニャ鉄道は、イタリア国鉄接続するシリークアからサン・ジョヴァンニ・スエルジュ経由し、陸系砂州通ってサンタンティーオコ島へ渡りカラゼッタへ至る79.2kmの路線と、その路線途中サン・ジョヴァンニ・スエルジュからカルボーニャを経由してイタリア国鉄接続するイグレージアスまで至る33.1kmの路線構成されており、標高2-287m、最急勾配25パーミルとなっていた 本形式導入後、南サルデーニャ鉄道の主に閑散線区時間帯旅客列車使用されていた。その後1950年代以降沿線炭鉱順次閉鎖され輸送量大幅に減少したため、1960年にはADe300形とその制御気動車であるRPe350形を導入して形式とともに輸送効率化を図ることとなり、旅客列車がほぼ全面的に気動車化されている。 その後、南サルデーニャ鉄道輸送量減少1956年ヴィッラマッサルジャ - カルボーニア間のイタリア国鉄1435mm路線の開業、バウ・プレッシウ湖の建設による一部区間水没施設の老朽化などに伴い1968年にシクーリア - ナルカーオ間が、1969年にはモンテポニ - イグレージアス間が廃止となり、更新改造実施していないALn203およびALn204号機は1970年頃までに運用されなくなり、残るALn201およびALn202号機も1972年には運用されなくなっている。なお、その後1974年には残る区間全線廃止となっている。

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スイス国鉄Te I形電気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

製造後スイス全国主要駅配置され入換用および事業用として使用されている。なお、トラクター分類される本機本線機関士ではなく、駅の入換要員保守工事要員運転操作行っている。 老朽化進行最高速度60 km/h遅いことから1981年に1機、1982年に2機が廃車されたのを手始めに、1980年代半ば過ぎから本格的に廃車進み1996年31機を最後に全車廃車となっている。なお、各形式毎の廃車年は以下の通りTeI 1-43形 - 1968年1972年1984年1989 - 96年 TeI 44-60形 - 1983年1987 - 96年 TeI 951-963形 - 1974年1981 - 88年 廃車後5254、955号機がスイス南東鉄道に、957号機がポン-ブラッシュ鉄道譲渡され254号機は鉄道車両保存団体であるClub San Gottardo譲渡されている。

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モントルー-ヴヴェ-リヴィエラ交通Bhe2/4形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

製造後グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道およびモントルー - グリオン鉄道全線旅客列車として運用されていたが、前者スイス国鉄主要幹線ローザンヌ - ブリーク線のテリテからのケーブルカーであるテリテ-グリオン鋼索鉄道接続するグリオンから標高2042mのロシェ・ド・ネー山の山頂近く のロシェ・ド・ネー に至る全長7.63km、標高689-1973m、最急勾配220パーミルの、後者レマン湖畔で、スイス国鉄主要幹線ローザンヌ - ブリーク線やモントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道接続するモントルーから、グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道ケーブルカー接続していたグリオンに至る全長2.73km、標高395-689m、最急勾配130パーミル山岳路線である。ラック方式ラックレール2条アプト式で、ピッチ120mm、歯末たけ15mm、歯先レール面上高50mm(グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道もしくは53mm(モントルー - グリオン鉄道)、歯厚25mmとなっている。なお、モントルー-グリオン鉄道開業時モントルー駅構内などはラックレール設置されていなかったが、その後BChe2/4形などラック区間専用機体使用されるうになると、ラックレール敷設されている。また、現在でも平坦な駅構内車庫内などはラックレール片側1条のみの設置となっている。 本形式1938年導入後グリオン-ロシェ・ド・ネー線およびモントルー - グリオン線で主力として使用されており、両線は一体の路線として運行されていた。また、従来のH2/3 1-6形およびH2/3 7-8蒸気機関車一部事業用として残されたほか、HGe2/2形電気機関車による列車は多客時および貨物列車除雪列車などの事業用列車として運行されるようになっていた。本形式単行のほか、山頂側に貨車1-2程度連結した編成運行されており、貨車には手荷物のほか、沿線生産され牛乳や、冬季観光客スキーなどが搭載されている。また、本格的な連結器持たないため重連での運行行われず、多客時には続行運転で運行されている。 その後1983-10年にBhe4/8形301-305号機が導入され主力として運行されるようになり、本形式は多客期の増発用などに使用されるうになるとともに一部廃車となっており、現在ではBhe2/4 203204207号機の3機が運用されている。 その後1980--2000年代にかけてのスイス国内私鉄再編流れの中で、1987年グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道およびモントルー - グリオン鉄道統合してモントルー-グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道となり、1992年にはグリオン接続しているテリテ-グリオン鋼索鉄道統合してモントルー-テリテ-グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道となっているが、さらに2001年には同社モントルー-ヴヴェ-リヴィエラ交通などこの地方公共交通4社が統合してモントルー-ヴヴェ-リヴィエラ交通となっている。

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プリンチペ・グラナローロ鉄道1形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

プリンチペ・グラナローロ鉄道イタリア北部港湾都市であるジェノヴァイタリア国鉄のジェノヴァ・プリンチペ広場駅近くのイタリア国鉄越え陸橋の袂近く位置するプリンチペ駅から、サン・テオドーロ地区とラガッチョ地区境界にほぼ沿う形で、山上集落であるグラナローロに至る全長1.136km、標高194m路線である。この路線軌間1200mm、リッゲンバッハ方式ラック区間で最急勾配214パーミル片勾配路線で、両終端駅含め全線勾配上にあり、平坦部は終点のグラナローロ駅は駅舎通り抜けた最上部の広場のみでここが留置線となっていたが、現在では駅舎背面接続する検修庫が建設されている。なお、1200mmという軌間世界的にも例は少なくフランスイタリアスペインスイス各国ケーブルカー中心にいくつかの事例があるほか、スイスアッペンツェル鉄道ライネック-ヴァルツェンハウゼン線(ケーブルカーより通常の鉄道転換)、中国の汕潮路鉄道などで採用されているのみとなっている。 プリンチペ駅とグラナローロ駅間にはサリタ・サン・ロッコ(2012年開設)、ケントゥリオバーリ、カンビアーゾ、キアッサイウオラ、サリタ・グラナローロ(2012年開設)、ビア・ビアンコ(2012年開設)の7駅が設置されており、カンビアーゾとキアッサイウオラの間に交換設備設置されている。2012年開設の3駅を除く各駅のプラットホーム開業当初当時1形形状合わせてとなっていたが、1929年車体交換の際に勾配合わせた階段スロープ組合わせたものに変更されている。 2003年からはプリンチペ - バーリ間での運行縮小されていたが、その後沿線擁壁老朽化に伴い2011年から全面的に改修なされることになり、擁壁補修併せて3駅の増設ラックレールのリッゲンバッハ式からフォン・ロール式への変更、各駅のバリアフリー化実施されるとともに前述のとおり1号機更新改造実施され2012年10月13日全線での運行再開している。 始発駅プリンチペ駅に停車中の1形開業以来の駅はホームであった時代形跡が残る 同じくプリンチペ駅、2012年改良工事により階段位置変更となり、車両との段差低減されている、2016年 プリンチペ-グラナローロ鉄道下側約1/3の区間市街地走行しており、軌道並行して細い道路通っている 途中駅バーリ駅、2009年 終着駅のグラナローロ駅と1形プリンチペ駅同様ホームであった時代形跡が残る、2016年 同じくグラナローロ駅、駅を通り過ぎた奥に検修庫が設けられている、また、駅手前は併用軌道となっている、2009年

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スイス国鉄BDm2/4形気動車」の記事における「運行・廃車」の解説

本機1925年から試運転実施されその後ブルック配属されてヴォーレンまでの運行使用され走行距離一日平均172kmであった以降1927年から1932年まではブルックからヴェッティンゲンを経由してデーデルグラットまでの区間運行され走行距離一日平均206kmであったその後故障によりチューリッヒ留置され運行はCFm2/4 9921号機が代替していた。 1938年機関換装後はヴィンタートゥール配置されヴィンタートゥールからエッツヴィレンを経由してドイツジンゲンまでの区間ヴィンタートゥール - ヒンヴィール - エフレーティコン間で運行されていたが、1939年以降第二次世界大戦による燃料油不足の影響1945年まで運行されなかった。 1945年以降スイス北東部路線電化進展によって、スイス南部ベッリンツォーナ配置となり、ベッリンツォーナから、ゴッタルド線のロカルノまでの支線経由してイタリアルイーノに至る路線国境手前ランツォまでの22.8kmの区間で、Dm2/4形とともに使用され当初1日平均走行距離は268kmであったが、不調により次第使用されなくなったその後スイス西部レマン湖畔のニヨンからクラシエ国境越えてフランスのディボンヌへ至る路線電化されず、蒸気機関車による運行残っていたため、一部列車本機投入して運行効率化を図ることとなり、1951年2度目機関換装行った上で2月から運行入りニヨン - ディボンヌ間を21分で結んでいた。 1962年7月重大な故障起こし、同路線1962年9月29日廃止となったことにより運行から外れて留置されていたが、1965年機関降ろして代わりに各種測定機器搭載して事業用検測車であるX 91502号車として1966年より使用開始されその後1976年には新しUIC方式車号であるXa 30 85 97 30 100-8号車となり、1989年まで使用されていた。

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スイス国鉄RCm2/4形気動車」の記事における「運行・廃車」の解説

本機1935年以降製造後試運転経て順次運用入りローザンヌ配置されて、ローザンヌリーズおよびゾロトゥルン間で定期列車使用され、1両が使用され1日当たりの534km走行する運用につき、もう1両が予備となっていた。 その後3年程度運行についていたが1940年代になると燃料の不足と価格高騰影響により使用されなくなっている。 1945年以降少しずつ運用に入るようになり、パイェルヌとフリブール間の約132kmの区間使用され1947年5月の同区間電化後ニヨンフランスのディヴォンヌ間で使用された。 電車化改造後には611号機はオルテンおよびヴィンタートゥール配置されその後1954年から1956年の間はルツェルンに、1957年からはベッリンツォーナ配置され、612号機はベッリンツォーナ配置され運用されている。 1964年ローザンヌ開催され博覧会では観覧輸送用列車としてRe4/8形とともに特別ダイヤ運用された後、博覧会終了後同年中に廃車となっている。各機体廃車まで走行距離以下の通り1008 - 418,850km 1009 - 733,700km

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運行・廃車

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シャフハウゼン-シュライトハイム軌道BDe4/4 1-5形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

シャフハウゼン-シュライトハイム軌道スイス北端で、ライン川北岸位置するシャフハウゼン州州都シャフハウゼンから北西方向にシャフハウゼン通り進み、ベリンゲン、シュライトハイムを経由してその後シュバルツバルト通りドイツ国内のシュテューリンゲンの街のスイス - ドイツ国手前数百mのオーバーヴィーゼンにあるオーバーヴィーゼン-シュテューリンゲン駅までの18.9kmの路線運行しており、シャフハウゼン駅前広場からドイツ国鉄アンダークロスする地点付近までの2.5kmがほぼ全ての列車の直通運転先であるシャフハウゼン軌道線以降16.4kmがシャフハウゼン-シュライトハイム軌道線となっている。 同鉄道シャフハウゼン軌道を含む18.9kmの路線のうち開業時で16.4km、道路軌道分離進んだ1946年でも13.7kmが併用軌道残り軌道もほとんどが道路端部設置されたものであり、最急曲線半径は17m、最急勾配60パーミル標高390(シャフハウゼン-シュライトハイム軌道線では432m)-558mの路線であり、シャフハウゼンスイス国鉄ドイツ国鉄接続していたほか、オーバーヴィーゼン-シュテューリンゲン駅から国境挟んで数百mの地点でヴタハール鉄道シュテーリンゲン駅に連絡をしていた。 本機全線使用されており、単行での運行のほか、客車列車貨車牽引使用されており、重連総括制御機能持たないものの電車同士やFe2/2 51形との重連でも使用されていたほか、貨物列車ではスイス国鉄シャフハウゼン貨物駅乗り入れていた。 1964年10月1日路線廃止伴って全機廃車となり、1、24号機そのまま解体され、3、5号機がBDe4/4 6形とともにビール-テウフェレン-インス鉄道譲渡されたが、同鉄道では1965年新しいBe4/4 1-5形導入されており、あまり使用され全機1966年廃車となっている。

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ベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道Ae6/8形電気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

初号機である201号機は1926年6月17日トゥーン到着し15パーミルで800t、27パーミルで510tの列車牽引使用されたが、試運転では600tの列車牽引して27パーミル急カーブ区間起動して64km/hまで加速することが可能であったため、その後営業列車での牽引トン数は550tとなり、1929年には600tとしている。 205-208号機は製造直後には90km/hの最高速度生かし急行列車牽引機として使用されている。 205号機は1939年チューリッヒ博覧会出品されている。 本機は主にレッチュベルクルート越え重量列車使用されていたが、1940年春からはスイス国鉄乗入れバーゼルからブリークシンプロントンネル経由してドモドッソラまでの貨物列車牽引使用されるようになったほか、1958年にシンプロンルート南側土砂災害により寸断された際にはスイス国鉄ゴッタルドトンネルを通るゴッタルドルート使用され1964年ローザンヌ博覧会の際にはバーゼルまでの臨時旅客列車牽引している。 1981年から廃車始まり、まず1977年から運用外れていた201号機が廃車となっている。各機の廃車年は以下の通り201 - 1981年 202 - 1984年 203 - 1989年 204 - 1985年 205 - BLS AGにて動態保存 206 - 鉄道車両保存団体譲渡ヴィンタートゥール保管 207 - 1995年 208 - 鉄道車両保存団体譲渡、ペイエルンで静態保存

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ベルナーオーバーラント鉄道ABDeh4/4形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

製造後ベルナーオーバーラント鉄道全線旅客列車および貨物列車牽引していたが、この路線全長23.69km、最急勾配粘着区間25パーミル、リッゲンバッハ式のラック区間120パーミル標高567mのインターラーケン・オストからツヴァイリュッチーネンで分岐して標高795mのラウターブルンネンもしくは1034mのグリンデルヴァルトまでを登る山岳路線である。 本機はHGe3/3形電気機関車とともに使用され最大6両程度客車牽引して運行され機関車牽引時と同様に終端駅では先頭電車付け替えていた。また、製造当初客車連結器従来のピン・リンク式連結器のものが多く、本形式連結器にリンクを設置して運行されていたほか、暖房用引通しも、先頭下部電気連結器ではなく端部屋根上の電気連結器使用していた。 その後1965年以降新しいABeh4/4I形7機が増備されて、旧型のHGe3/3形は9機中5機が廃車となったが、本形式引続き主力として使用されラウターブルンネン行およびグリンデルヴァルト行列車の方面別2編成電車牽引列車併結して協調運転をする最大14編成列車でも運行されていた。 1984年にABeh4/4II形およびBDt 401-403形制御客車導入され電車牽引列車一端制御客車連結したシャトルトレインとして運行されるようになり、ABeh4/4I形には重連総括制御機能追加されたが、本形式には改造実施され次第予備的に使用されるようになったほか、1等室を2等扱いとして運用されるようになり、形式名もBDeh4/4形もしくは(A)BDeh4/4形と呼ばれるようになったが、客室等級表記1等室窓上の黄帯など外観上は大きく変更はされていない。なお、HGe3/3形はその後歴史的機関車として残され24号機と29号機を残して廃車となっている。 1988年には301号機がマイリンゲン-イネルトキルヒェン鉄道譲渡され集電装置をシングルアーム式パンタグラフ変更の上鉄道運行されたが、同鉄道初の新造車であるBe4/4 8号機増備に伴い1996年廃車となり、翌1997年には解体されている。 スイス国内列車パターンダイヤ化されBahn+Bus 2000計画によってベルナーオーバーラント鉄道でも旅客列車の運行系統の整理による運行効率化計画され1999年ウムラー信号場 - ツヴァイリュッチーネン間の複線化や、列車のシャトルトレイン化などがなされたことによって302号機、303号機ともに事業用として使用されるようになり、形式名もDeh4/4形に変更されている。

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レーティッシュ鉄道ABe4/4 501-504形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

製造後はABe4/4 501-504形とA 1251-1252形、B 2301-2306形で最大5両程度編成組んでクールからダヴォス間およびサンモリッツ間で使用されたが、牽引力小さく第二次世界大戦の影響などによる1940年代旅客数増加に対応できなかったため、本格的な軽量高速列車1947年以降製造されたGe4/4I形が牽引することとなったその後本機エンガディン線や区間列車使用されるようになり、旅客列車のほか混合列車貨物列車牽引使用され平坦線では最大8両程度列車牽引したほか、サメーダンポントレジーナ間ではベルニナ急行牽引している。 1950年代には夏季期間にはABe4/4 501-504形とA 1251-1252形、B 2301-2306形で編成組んでサンモリッツとシュクオール・タラスプ間の急行列車にも使用されている。 1968年ダイヤ改正より本機最高速度が70km/hに引き上げられている。 その後Be4/4 511-516形がクール近郊のシャトルトレインに使用されるうになると、ABe4/4 501-504形は主にダヴォス近郊オーバーエンガディン地方使用されるようになり、1982年以降にABe4/4 501-504形とBDt 1721-1723形が編成組んだシャトルトレインとして運用されるうになると、ポントレジーナサメダン間の主力となったほか、冬季にはダヴォス近郊でのスキー輸送列車として運用されている。 1990年代にはGe4/4I形とともに中央扉の旧型軽量客車自動扉化などシャトルトレイン用に改造したものとBDt 1721-1723形と編成組んで3、4編成程度エンガディン線でシャトルトレインとしても使用されていた。 A 1251-1252形、B 2301-2306形は1940年代ころから通常の客車列車にも使用されるようになり、1943年以降クール・アローザ線でも使用されるようになったが、逆に1990年代になってエンガディン線でABe4/4 501-504形と編成を組むことが多かったなどABe4/4形との関係も深かった。 ABe4/4 501-504形は1997年以降順次廃車となり、1999年エンガディン線の列車BDt 1751-1758形を使用した"NEVA Retica"に置き換えられた際に運用終了しているが、501号機は歴史的車両としてサメダン機関区残されており、車両不足の際など場合によっては定期列車にも充当される。また、A 1251-1252形、B 2301-2306形はABe4/4 501-504形の廃車後2006年廃車となったA1252号車除き、現在でもクール・アローザ線中心に運用されている。

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スイス国鉄RABDe510形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

RABe12/12形は竣工予定通りチューリッヒ中央駅 - ラッパースヴィール間で30分間隔の運行開始しており、これに伴い区間のうちKüsnachi - ヘルリベルク間4.8kmとシュテーファ - エリコン間2.5kmが複線化されている。 運行開始間もない1971年1月18日にRABDe12/12 1109編成と1119I編成がヘルリベルクで事故起こし3月31日には1109編成の1109/3I号車と1119I編成の1119/3I号車廃車に、1119/2I号車保留車となったまた、同年3月25日にはRABDe12/12 1113編成と1117I編成エリコン別の事故起こし4月30日には1113編成の1113/1I号車と1117I編成の1117/1I号車、1117/2I号車廃車となっている。これに伴い事故編成残存し車両休車となるとともに、RABDe12/12 1120編成3月に空番となった1119に改番されてRABDe12/12 1119II編成となって各車も改番され、4月30日には空番の1117に再度改番されてRABDe12/12 1117II編成となり、併せて編成各車も1117/1II、1117/2II、1117/3II号車改番されている。 その後残存した1109/1I、1113/2、1113/3I、1117/3I、1109/2、1119/1I号車の各車は一時的にRABDe12/12 1106編成およびRABDe12/12 1111編成の各車と併せて編成の組み換え行って運行されていた。各編成編成番号車両番号)は以下の通り。 RABDe12/12 1106(1109/1I - 1106/2 - 1113/3) RABDe12/12 1109(1119/1I - 1109/2 - 1111/3I) → (1111/3I - 1109/2 - 1119/1I) RABDe12/12 1111(1111/1 - 1111/2 - 1106/3) RABDe12/12 1113(1106/1I - 1113/2 - 1117/3I) → (1117/3I - 1113/2 - 1106/1I) そして、1971年6月16日から1972年7月19日にかけて順次改番行い以下の通り編成番号車両番号揃えられている。また、保留となっていた1119/2号車1981年8月14日事業用客車のX 50 85 99-73 106-4号車に、その後X 60 85 99-90 106-3号車改造されている。 RABDe12/12 1106(1106/1II - 1106/2 - 1106/3II) RABDe12/12 1109(1109/1II - 1109/2 - 1109/3II) RABDe12/12 1111(1111/1 - 1111/2 - 1111/3II) RABDe12/12 1113(1113/1II - 1113/2 - 1113/3II) なお、上記事故編成組換えなどによる各車の廃車年および編成番号車両番号改番履歴以下の通り 廃車1109/3I、1119/3I - 1971年3月31日 1113/1I、1117/1I、1117/2I - 1971年4月30日 編成番号変更編成内の各車も同様に改番)RABDe12/12 1120→1119II - 1971年3月 RABDe12/12 1119II→1117II - 1971年4月30日 車両番号変更1113/3I→1106/3II - 1971年6月16日 1106/1I→1113/3II、1111/3→1109/1II - 1971年8月18日 1106/3I→1111/3II - 1972年2月18日 1119/1I→1109/3II - 1972年3月19日 1117/3I→1113/1II - 1972年3月20日 1109/1I→1106/1II - 1972年7月19日 その後1990年発足したチューリッヒのSバーンでは、RBe540形、RBDe560形電車牽引する客車列車、Re450形電気機関車牽引する4両固定編成2階建列車通称DPZとともに路線運行されるようになり、115編成とともにSバーン路線運行されることとなったチューリッヒ中央駅拠点放射状運転されているSバーンはS2-S18、S21、S22、S24S26、S29、S30、S33、S35、S40、S41、S55系統および深夜便のSN1、SN3SN4、SN5、SN7-SN9系統などであり、スイス国鉄のほか、ジールタル・チューリッヒ・ユトリベルク鉄道スイス南東鉄道BDWM交通フォルヒ鉄道により運行されている。詳細チューリッヒのSバーンおよびドイツ語チューリッヒSバーンの項の項を参照2001年2月23日にはRABDe510 010-2編成とRABDe510 013-6編成がEffretikonで事故起こし4月9日から510 121-7号車がTRABDe 510 013-6の編成へ組込まれ510 121-7 - 510 213-2 - 510 127-4で編成組み、RABDe510 010-2編成として510 120-9、510 210-8、510 126-6号車廃車となっている。その後チューリッヒSバーンシーメンス製デジロシリーズを2階建て車両としたRABe514形(通称DTZ)が増備されると、平屋建3両編成輸送力小さく連結器違いから客車列車牽引することができないRABDe510形は順次廃車となり2008年10月ダイヤ改正定期運行から外れ2010年まで全車解体されている。各編成廃車年月日以下の通り。 RABDe510 000-3 - 2009年3月24日 RABDe510 001-1 - 2009年3月24日 RABDe510 002-9 - 2008年11月6日 RABDe510 003-7 - 2008年11月20日 RABDe510 004-5 - 2009年3月24日 RABDe510 005-2 - 2009年3月24日 RABDe510 006-0 - 2009年3月24日 RABDe510 007-8 - 2008年10月2日 RABDe510 008-6 - 2009年3月24日 RABDe510 009-4 - 2009年3月24日 RABDe510 011-0 - 2009年3月24日 RABDe510 012-8 - 2009年3月24日 RABDe510 013-6 - 2009年3月24日 RABDe510 014-4 - 2009年3月24日 RABDe510 015-1 - 2009年3月24日 RABDe510 016-9 - 2009年3月24日 RABDe510 017-7 - 2009年3月24日

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スイス国鉄Dm2/4形気動車」の記事における「運行・廃車」の解説

本機1930年から実施され試運転では最大130tの列車牽引可能であることが確認された後、ヴィンタートゥール配属されてまずエッツヴィレンからタールハイム間20kmの運行使用され以降1935年からはドイツジンゲンまでの運行にも充当されようになった1936年ターボチャージャー搭載改造後ヴィンタートゥールからシャフハウゼンコンスタンツバーゼル経由してヴィンタートゥールに戻るルート急行運用バーゼルからコブレンツ経由してヴィンタートゥールまでの区間使用され、1938-39年にはひと月走行距離が18000kmにも達したが、以降第二次世界大戦による燃料油不足の影響1945年まで運行されなかった。 1945年以降スイス北西部路線電化進展によって、スイス南部ベッリンツォーナ配置となり、ベッリンツォーナから、ゴッタルド線のロカルノまでの支線経由してイタリアルイーノに至る路線国境手前ランツォまでの22.8kmの区間で、BDm2/4形とともに使用され当初1日平均走行距離は268kmであったが、1947年には再度ヴィンタートゥール配置となってジンゲンまでの路線使用されていた。 その後BFm2/4形に引続いてスイス西部レマン湖畔のニヨンからクラシエ国境越えてフランスのディボンヌへ至る路線一部列車ディーゼル動車化に使用されることとなって1961年機関換装後にジュネーヴ配属されたが、同路線1962年9月29日廃止となったことからによりほとんど使用されないまま再々ヴィンタートゥール配属となったその後はエッツヴィレンからシャフハウゼン経由ジンゲン間で旅客列車牽引する運行につき、1969年以降はBm4/4形ディーゼル機関車とともに使用されていたが、次第運行から外れて1971年には廃車となり、機関はEm3/3形ディーゼル機関車流用され、残った車体はエメンタル-ブルクドルフ-トゥーン鉄道譲渡されて1201号救援車となった

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スイス国鉄Te I形電気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

ブリューニック線全長74.0 km、高度差566 m、最急勾配120パーミルルツェルン-インターラーケン間を結ぶ山岳路線であり、スイス国鉄唯一の1 m軌間路線であった製造後198号機がヘルギスヴィール、199号機がアルプナッハ・ドルフの各駅で使用されており、1980年代にはザルネンとギスヴィールの各駅で入換用使用されていたほか、粘着区間での区間列車牽引にも使用されていた。 現在では廃車となり、2両ともルツェルン駅構内留置されている。

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モントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道De4/4 27-28形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

モントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道全線全長75.3km、高度差526m、最急勾配68パーミル山岳路線であり、ツェントラル鉄道ブリューニック線ルツェルン - インターラーケン・オスト間とBLS AGのインターラーケン・オスト - ツヴァイジンメン間、モントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道のツヴァイジンメン - モントルー間を合わせてゴールデンパス・ラインを構成しているほか、ツヴァイジンメン - レンク間の路線有している。 導入後はDZe6/6形などとともに貨物列車牽引主として旅客列車の牽引にも使用されており、1980年代以降事業用列車工事列車等の牽引行っているほか、除雪列車にも使用されている。 その後1983年のGDe4/4形電気機関車増備などにより次第定期運用外れて事業用での運用が主となり、27号機は1996年運用外れた2002年廃車され、28号機は2008年以降事業用列車牽引専用機となり、定期列車牽引には使用されなくなっているが、歴史的車両として博物館鉄道であるブロネイ-シャンビィ博物館鉄道運行されることもある。

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イタリア国鉄980蒸気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

形式運行されていた当時チェーチナ-ヴォルテッラ線はトスカーナ州リヴォルノ県ティレニア海沿岸で、標高12mのチェーチナから標高468mのヴォルテッラ・チッタに至る1,435mm軌間、38.4kmの路線であったチェーチナ駅ではイタリア国鉄ピサローマを結ぶティレニカ線に接続している。同線は路線終端部のヴォルテッラ・サリーネ・ポマランチェ - ヴォルテッラ・チッタ間8.4kmのうち3.7kmが最急勾配100パーミルラック区間となっており、シュトループ式のラックレールは歯厚70mmピッチ100mm、歯たけ15mm粘着レール面上高75mmであり、ヴォルテッラ・チッタ駅の手前にスイッチバック設けられていた。 本形式運行されていた当時パオラ-コゼンツァ線はイタリア南部カラブリア州コゼンツァ県ティレニア海沿岸で、標高10mのコゼンツァから途中標高514mのサン・フィーリ駅を経由して標高202mのパオラに至る路線であったパオラ駅ではイタリア国鉄の南ティレニア線に接続しコゼンツァではイタリア国鉄コゼンツァ-シーバリ線と950mm軌間私鉄であるカラブロ-ルカネ鉄道接続する。同線はチェーチナ-ヴォルテッラ線に続くラック路線であり、シュトループ式のラックレールチェーチナ-ヴォルテッラ線と同一仕様の歯厚70mmピッチ100mm、歯たけ15mm粘着レール面上高75mmであった。 本形式導入後ピサ機関区配置されチェーチナ-ヴォルテッラ線で使用され旅客列車及び貨物列車牽引使用されている。旅客列車当初ピサからの直通であったが、1921年ブレーキピニオン装備したCDUzもしくはBCDUz客車がヴォルテッラ・サリーネ・ポマランチェ - ヴォルテッラ・チッタ間で専用使用されるようになっている1915年パオラ-コゼンツァ線の開業に伴い、8両がピサ機関区からコゼンツァ機関区転属されてパオラ-コゼンツァ線で運行され単機もしくは重連旅客列車及び貨物列車牽引している。パオラ-コゼンツァ線ではその後1922年ボイラー過熱式として牽引力を向上させた981が8両導入されたほか、さらに1937年にはALn56.1900気動車が、1955年にはALn64気動車導入され旅客列車ブレーキピニオン装備する粘着気動車による運行が主となり、粘着区間での最高速度向上および機関車付替と給水省略などがなされたため、所要時間蒸気機関車牽引列車の約2時間20に対して90分と大幅に短縮されている。また貨物列車および他線から直通する客車による中長距離旅客列車の牽引には981が主として使用されるようになり、本形式使用されなくなっている。 チェーチナ-ヴォルテッラ線のラック区間所要時間は約45分で、自動車15に対して大きく見劣りしていたことなどから、1958年11月12日廃止され残存し区間はALn556気動車もしくは740および940蒸気機関車による運行となり、本形式全機廃車となっている。 廃車後、980.002号機がナポリにあるピエトラルサ国立鉄道博物館静態保存されている。 チェーチナ-ヴォルテッラ線の線路高低パオラ-コゼンツァ線の線路高低図 最急勾配100パーミルチェーチナ-ヴォルテッラ線で運行される980 001号機、1938年 チェーチナ-ヴォルテッラ線の終点ヴォルテッラ付近走行する980が牽引する列車後方山頂メディチ要塞1920年 同じくチェーチナ-ヴォルテッラ線で運行される980、1912年 新線切替後のパオラ-コゼンツァ線のラック区間 パオラ-コゼンツァ線で本形式とともに運行されたALn56.1900、1971年 同じくALn56.1900の改良増備形であるALn64、カスティリオーネ・コゼンティーノ駅、1978年 ピエトラルサ国立鉄道博物館静態保存されている980.002号機、2012年

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運行・廃車

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スイス国鉄Ae8/14形電気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

製造後ゴッタルドルート重量列車牽引使用された。 11852号機は1939年チューリッヒ博覧会出品された後、1940年から運用入っている。 1941年からは11852号機をベースとした重連総括制御可能なAe4/6形が、1953年にはゴッタルドルートで600tを牽引可能なAe6/6形が製造され主力として使用されるようになったため、1960年代には主力としては使用されなくなっている。 1971年7月26日にはゴッタルドトンネル内での火災により11852号機が被災したため、そのまま1972年廃車となり、外観のみ復元されルツェルン交通博物館保存されている。 11851号機は1977年廃車となり解体されたが、11801号機は歴史的機関車として残され動態保存され、現在でも特別列車牽引している。

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運行・廃車

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カラブロ-ルカネ鉄道M1C 80R形気動車」の記事における「運行・廃車」の解説

形式は1951-53年にM1C 81R-90R号車10両が導入されて4両がコゼンツァ-カタンザーロ・リド線(イタリア語版)のカタンザーロ・リド機関区に、6両がラゴネグロ-スペッツァーノ・アルバネーゼ線(イタリア語版)のカストロヴィッラリ機関区配置されている。 コゼンツァ-カタンザーロ・リド線はイタリア南部カラブリア州コゼンツァ県県都である標高202mのコゼンツァから、途中標高866mのビアンキカタンザーロ県標高201mのカタンザーロ・チッタを経由してカタンザーロ分離集落であるイオニア海沿岸のカタンザーロ・リドに至る950mm軌間全長109.8kmの路線であったコゼンツァではイタリア国鉄コゼンツァ-シーバリ線とパオラ-コゼンツァ線に接続し標高423mのペダーチェからはカラブロ-ルカネ鉄道コゼンツァ-サン・ジョヴァンニ・イン・フィオーレ線が分岐しており、カタンザーロ・リドではイタリア国鉄イオニア線およびラメーツィア・テルメ-カタンザーロ線と接続している。なお、本形式運行されていた当時ラメーツィア・テルメ-カタンザーロ線がカタンザーロ・サラ(当時駅名カタンザーロ) - カタンザーロ・リド間で本路線並行していたほか、カタンザーロ・チッタおよびカタンザーロ・サラではカタンザーロ市内線接続していた。同線の粘着区間の最急勾配35パーミルであったが、尾根上に広がっていたカタンザーロ旧市街地内のカタンザーロ・プラティカ - カタンザーロ・サラ間のうち2.05kmが最急勾配100パーミルラック区間となっており、1934年開業したこの区間のシュトループ式ラックレールは歯厚62mm、ピッチ100mm、歯たけ15mm粘着レール面上高75mmである。カタンザーロ・リド機関区配置された本形式M1C 80形置き換えて開業当時から使用されていたラック式の500形蒸気機関車とともに主にカタンザーロ・チッタ - カタンザーロ・リド間で運行されていた。 その後機材更新旅客輸送増強のため、本形式および蒸気機関車牽引列車運行されていた同区間列車ラック式のディーゼル機関車粘着式のM2 200形などの2軸ボギー気動車牽引する列車運行されることとなり、スイスSLM製のLM2 700形1982年-84年導入されて本形式および500形置換えている。なお、LM2 700形による運行当初不具合多かったこともあり、1991年96年Fiat製のラック気動車であるM4C 350形10両が、2009年-10年スイスのシュタッドラー製のDE M4C 500形2両5編成導入されて現在ではラック区間はこの2形式運行されている。 ラゴネグロ-スペッツァーノ・アルバネーゼ線はイタリア南部バジリカータ州ポテンツァ県標高600mのラゴネグロから、途中標高582mのラウリーア、290mのライーノ・ボルゴ、1025mのパヴォーネ、381mのカストロヴィッラリ経由して標高46mでカラブリア州コゼンツァ県スペッツァーノ・アルバネーゼに至る950mm軌間全長105.0kmの路線であったラゴネグロではイタリア国鉄シチニャーノ・デッリ・アルブルニ-ラゴネグロ線に、スペッツァーノ・アルバネーゼでは同じくイタリア国鉄コゼンツァ-シーバリ線に接続している。同線の粘着区間の最急勾配60パーミルであったが、ラゴネグロ - リヴェッロ間2.6km、チーヴィタ - マドンナ・デッラ・カテーナ間2.4km、カッサーノ・アッロ・イオーニオ - ガルダ間3.8kmのうち計5.85kmが最急勾配100パーミルラック区間となっており、シュトループ式ラックレールコゼンツァ-カタンザーロ・リド線と同じく歯厚62mm、ピッチ100mm、歯たけ15mm粘着レール面上高75mmである。 この線は開業当初イタリア国鉄のR370ラック蒸気機関車借用して運用していたが、その後ラゴネグロおよびカストロヴィッラリの両機関区配置されラック式の200形260形500形蒸気機関車粘着式の350形蒸気機関車ラック式のM1C 80形気動車運行されており、さらにその後1951年に本形式導入されM1C 80形置き換える形で主にカストロヴィッラリ - スペッツァーノ・アルバネーゼ間で運行されている。 ラゴネグロ-スペッツァーノ・アルバネーゼ線では、ラゴネグロ駅付近にあった上路アーチ橋であるセラ緩慢地動により1径間においてアーチがずれて1952年には列車の運行ができなくなったため、ラゴネグロ - リヴェッロ間がバスによる運行転換され、さらに1970年にはカッサーノ・アッロ・イオーニオ付近のエイアノ水害により損傷したためカストロヴィッラリ - スペッツァーノ・アルバネーゼ間が廃止となってラック区間がすべて廃止となっており、ラック駆動装置撤去したM1C 88R-90R号車同じくラック駆動装置撤去したM1C 8588号とともに区間運行されている。なお、1978年6月18日には残っていた全線運行停止され1979年9月20日全線廃止となっている。また、その間1961年12月23日発生したフィウマレッラ鉄道事故契機地中海-カラブロ-ルカネ鉄道の各路線の運行は、1964年1月1日からカラブロ-ルカネ鉄道担当することとなり、本形式も同鉄道所有となっている。なお、本形式運用後の1990年には同社二分され、コゼンツァ-カタンザーロ・リド線を中心とするカラブリア鉄道およびアップロ・ルカーネ鉄道となって現在に至っている。 廃車後ローマ近郊パリアーノ公園である "La Selva"内の観光鉄道においてM1C 88号車およびM1C 90号車や他の機関車客車などとともにM1C 80R形が動態保存されていた。 コゼンツァ-カタンザーロ・リド線で運行されるM1C 82R号車1984年形式とともにラック区間運行されていた500形ラック蒸気機関車動態保存されている504号機、2006年形式の後にコゼンツァ-カタンザーロ・リド線のラック区間短期間運行されたLM2 700形ラックディーゼル機関車コゼンツァ機関区 現在コゼンツァ-カタンザーロ・リド線のラック区間運行されているM1C 350形M1C 353号車 2009年以降増備されたDE M4C 500形、カタンザーロ・リド駅、2016年 コゼンツァ-カタンザーロ・リド線の路線図 コゼンツァ-カタンザーロ・リド線のうち、ラック区間のあるカタンザーロ・チッタ間付近路線図 コゼンツァ-カタンザーロ・リド線の線路高低図、赤色部分ラック区間 コゼンツァ-カタンザーロ・リド線のラック区間 ラゴネグロ-スペッツァーノ・アルバネーゼ線の線路高低図、赤色部分ラック区間 ラゴネグロ-スペッツァーノ・アルバネーゼ線のラゴネグロ駅付近セラ1930年コゼンツァ-サン・ジョヴァンニ・イン・フィオーレ線(赤実線)およびクロトーネ-ペティーリア・ポリカストロ線(黒点線)の路線図、両線は接続する計画であった

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運行・廃車

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フォルヒ鉄道BDe4/4 9-10形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

本機使用されるフォルヒ鉄道チューリッヒ市交通局路面電車線と直通運転をしておりチューリヒ州チューリヒスイス国鉄チューリッヒ・シュタデルホーフェン駅前からレーアルプ間3.35kmはレーアルプ – アウツェルク間のチューリッヒ市交通局11系統一部区間、レーアルプからフォルヒおよびフォルヒ峠を経由してエスリンゲンまでチューリッヒから南東方面延びる13.06kmの区間フォルヒ鉄道線となっており、フォルヒ鉄道のほぼ全ての列車チューリッヒ・シュタデルホーフェン駅まで直通運転している。なお、エスリンゲンでは1949年までの間、ウスター-オエツヴィル鉄道接続していたほか、本機廃車後1990年にはチューリッヒSバーン18系統指定されてチューリッヒ・シュタデルホーフェン - フォルヒ間は終日フォルヒ以降ラッシュ時には15分間隔で運行されている。 フォルヒ鉄道道路端に敷設されたの専用軌道区間の多い路線であり、最急勾配67パーミル標高485-680mの路線であり、レーアルプからフォルヒ駅の一つ手前の新フォルヒ駅までの間が1956年から1978年にかけて順次複線化されている。 本機フォルヒ鉄道の運行する全線使用されており、1959年66年製造され改良型であるBDe4/4 11-16とともに単行での運行のほか、客車や後に製造されBt 101-108形制御客車、B 118-119号車牽引していた。 BDe4/4 10号機歴史的車両として動態保存されており、同様に動態保存されている1912年製のCFe2/2 4号機や2軸付随車C 11号車などと共に特別列車として運行されている。

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シャフハウゼン-シュライトハイム軌道BDe4/4 6形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

シャフハウゼン-シュライトハイム軌道スイス北端ライン川北岸位置するシャフハウゼン州州都シャフハウゼンから北西方向にシャフハウゼン通り進み、ベリンゲン、シュライトハイムを経由してその後シュバルツバルト通りドイツ国内のシュテューリンゲンの街のスイス - ドイツ国手前数百mのオーバーヴィーゼンにあるオーバーヴィーゼン-シュテューリンゲン駅までの18.9kmの路線運行しており、シャフハウゼン駅前広場からドイツ国鉄アンダークロスする地点付近までの2.5kmがほぼ全ての列車の直通運転先であるシャフハウゼン軌道線以降16.4kmがシャフハウゼン-シュライトハイム軌道線となり、最終1964年時点ダイヤでは所要60-70分程度であった。 同鉄道シャフハウゼン軌道を含む18.9kmの路線のうち開業時で16.4km、道路軌道分離進んだ1946年でも13.7kmが併用軌道残り軌道もほとんどが道路端部設置されたものであり、最急曲線半径は17m、最急勾配60パーミル標高390(シャフハウゼン-シュライトハイム軌道線では432m)-558mの路線であり、シャフハウゼンスイス国鉄ドイツ国鉄接続していたほか、オーバーヴィーゼン-シュテューリンゲン駅から国境挟んで数百mの地点でヴタハール鉄道シュテーリンゲン駅に連絡をしていた。 BDe4/4 6号機はBDe4/4 1-5形と共通で全線使用されており、単行での運行のほか、混合列車を含む客車列車貨物列車牽引使用されており、重連総括制御機能持たないもののBDe4/4 1-5形やFe2/2 51形との重連でも使用されていたほか、貨物列車ではスイス国鉄シャフハウゼン貨物駅乗り入れていた。また、B4 61号車も同様に他の2軸客車貨車とともに全線使用されており、牽引機もBDe4/4 6号機特定せず、BDe4/4 1-5形やFe2/2 51形使用されていた。 1964年10月1日路線廃止伴って廃車となり、BDe4/4 6号機はBDe4/4 3および5号機とともにビール-テウフェレン-インス鉄道譲渡されたが、同鉄道では1965年新しいBe4/4 1-5形導入されており、あまり使用されず他の譲渡車とともに1966年廃車となっている。 同様に1964年廃車となったB4 61号車はオーベルアールガウ-ジュラ鉄道譲渡されB 25号車として車体下半部をオレンジ上半部をクリーム色とした塗装運行されていたが、その後1967年にBDe4/4 6号機と同じビール-テウフェレン-インス鉄道再度譲渡され車体下半分を濃緑色上半分をクリーク色とした塗装運行され1968年使用停止1969年廃車となっている。なお、この間更新改造実施され側面窓が大きいものとなり、台車変更されている。

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レーティッシュ鉄道ABe4/4 31-37形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

ベルニナ鉄道として開業したレーティッシュ鉄道ベルニナ線サンモリッツからイタリアティラーノ間の全長60.69 km、最急勾配70パーミル、最急曲線半径45 m、最高高度2253 m、高度差1824 mの山岳路線である。 本形式製造後一貫してベルニナ線旅客列車貨物列車牽引使用されている。ベルニナ線では一時本線用の電気機関車2両を運用していたこともあるが、基本的に電車客車および貨車牽引する列車主力となっている。なお、勾配及び曲線等によって牽引トン数下表のとおり定められている。 BC4 1-14→ABe4/4 31-37形牽引トン数一覧区間急勾配BCe41-14単機ABe4/4 31-37単機ABe4/4 31-37重連サンモリッツ-ポントレジーナ-サンモリッツ38パーミル 40 t 70 t 110 t ポントレジーナ-オスピッツォ・ベルニナ70パーミル 23 t 40 t 60 t オスピッツォ・ベルニナ-ティラーノ70パーミル 60 t 60 t 70 t ティラーノ-カンポコローニョ70パーミル 26 t 40 t 60 t カンポコローニョ-オスピッツォ・ベルニナ70パーミル 20 t 40 t 60 t オスピッツォ・ベルニナ-ポントレジーナ70パーミル 70 t 70 t 120 t ^ 貨物列車は100t 本形式通常の営業列車のほか冬季除雪列車などの事業用および工事列車牽引などにも使用されている。なお、ベルニナ線では通常の除雪列車活線下で電車もしくは電気機関車除雪車使用して運行されており、X 9131形、L 6049形、X9126-9129形などのラッセル車やXrot e 9215形およびXrot et 9218-9219形電気ロータリー除雪車やXrot d 9213-9214形蒸気ロータリー除雪機関車の推進およびX 9132形マックレー車牽引に本形式多く使用されているほか、Xk 9141-9147形ラッセルヘッドを連結した旅客列車等でも運行されている。 ABe4/4 31-34号機はクール・アローザ線でも使用されているが、この路線スイス最古都市クールから著名な避暑地でありスキーリゾートであるアローザ間での全長25.7 km、最急勾配60パーミル、最急曲線半径60 m、最高高度1739 m、高度差1155 mの山岳路線である。なお、勾配及び曲線等によって牽引トン数下表のとおり定められている。 ABe4/4 31-34号機牽引トン数一覧区間急勾配ABe4/4 31-34単機ABe4/4 31-34重連クール-Depot Sand40パーミル 55 t 100 t Depot Sand-アローザ60パーミル 45 t 85 t アローザ-クール60パーミル 95 t 110 t

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スイス国鉄De4/4形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

本機新造後まずチューリッヒバーゼル都市近郊列車として運行開始され1929年からは重連総括制御機能活用してチューリッヒ - マイレン - ラッパースヴィール間およびバーゼル - リースタル - オルテン間のシャトルトレインとして、2軸もしくは3軸客車を2両半永久連結としたB-B3等車もしくはB-C2等/3等合造)中間車片側運転室を持つ2軸ボギー式のBt4 4001形2等制御客車、BCt4 5301-5305形2等/3等合造制御客車荷物付きのため主にCe4/6形と使用されたCFt4 9751-9754形3等/荷物合造制御客車編成組んでCe4/6形電車およびCe4/4形電車とともに使用されていた。 これらのシャトルトレインのうち、Fe4/4 18517号機とFe4/4 18518号機の2機がそれぞれ3等客車C-C 5714-5721号車2等/3等合造客車B-C 4201-4204号車3等制御客車Bt4 4001号車もしくは2等/3等合造制御客車BCt4 5301号車1両ずつと編成組んだ2編成については、1929年車体下半分を青、上半分をクリーム色とした特別塗装変更してチューリッヒ - ラッパースヴィール間で通称"Arbeiter-Pullman(労働者プルマン車)"として1939年まで運行されていた。 1931年には18501-18508号機の8機がスイス中央部ルツェルン配置変更となり、通称ゼータル線で運行されるようになった。ゼータル線はゼータル鉄道運営していたもの1922年国有化したもので、ルツェルン - レンツブルク間42.1kmの本線1997年廃止となった途中のバインヴィール・アム・ゼーから分岐してベロミュンスターまで8.0kmの支線からなり、高度は本線海抜406-521m、支線は520-650mであるほか、最急勾配本線36パーミル支線39パーミルであり、この勾配対応するために18501-18508号機に回生ブレーキ追加されている。 同線は1930年電化方式をAC5.5kV 25Hzからスイス国鉄の他の路線と同じAC15kV 16.7Hzに変更しており、Fe4/4形は電化方式変更により廃車となったゼータル鉄道引継ぎ電車代替として、従来から同線で運行されていた複電圧対応のDe6/6形電気機関車とともに同線で客車および貨車牽引しており、原形時は従来制御客車と、車体更新後Vst IIIe対応のBti 1951-1961形2等制御客車やBDti 1971-1977形2等/荷物合造制御客車などと編成組んでシャトルトレインとしても使用されていた。。 ゼータル線は沿道との交差が多いほか、道路軌道近接しており、自動車との接触事故多く発生していたため、1956年には車体塗色濃緑色から赤茶色変更をし、1957年には前照灯黄色のものに変更しているほか、車体更新改造後1982年には車体前面下部黄色オレンジ警戒色追加している。なお、この警戒色は後にゼータル線に配属されたRBe540形にも引継がれている。 1938年には18509-18511号機の3機がスイス西部ローザンヌ配属変更となり、ジュラ山脈渓谷であるヴァレ・ドゥ・ジューのヴァロルブからル・デを経てル・ポンからポン-ブラッシュ鉄道乗入れてル・ブラッススまでの間の1938年10月電化された24.8kmで運行されるようになり、一時的にヴェヴェイ - ビュイドゥー・シュブル間7.8kmでも運行されていた。ヴァロルブ - ル・ブラッスス間は高度787-1049mで、途中6km以上40パーミル勾配区間連続する路線であるため18509-18511号機に回生ブレーキ追加されている。 18512号機以降引き続きチューリッヒバーゼルジュネーヴなどの都市近郊列車としてシャトルトレインで、1950年代頃までは旧型の2軸もしくは3軸客車などとも編成組んで使用されていたが、1960-70年代には各地ローカル列車牽引するようになった原形のまま残った1672-1685号機は、1966年に1672号機が車体更新機の予備部品確保用に廃車となったほか、1971年以降順次廃車となり、1983年には全機運用外れており、このうち1678号機は青とクリーム色の"Arbeiter-Pullman"塗装変更の上ルツェルン交通博物館静態保存されており、また、製造以降1975年までチューリッヒ配属され都市近郊列車牽引しその後1983年までロールシャッハ配属されザンクト・ガレン - スルゲン間とザンクト・ガレン - ロマンスホルン間で運行されていた1679号機がスイス国鉄歴史的車両指定されロールシャッハ拠点動態保存されている。 車体更新改造実施した1661-1671号機もRBDe560形が牽引するシャトルトレインであるNPZの増備進んだことなどにより、ゼータール線では主にRBe540形の試作機である401-406号機によって、ポン-ブラッシュ鉄道ではRBDe560形によって置き換えられて1987-88年に順次廃車となっている。 各機体廃車年は以下の通り 原形機1672 - 1966年10月 1673 - 1982年4月 1674 - 1971年7月 1675 - 1983年5月 1676 - 1978年4月 1677 - 1978年7月 1678 - 1982年5月 - ルツェルン交通博物館静態保存 1679 - 1983年よりスイス国鉄歴史的車両として動態保存 1680 - 1983年5月 1681 - 1974年12月 1682 - 1983年5月 1683 - 1974年8月 1684 - 1974年12月 1685 - De4/4 12001号機へ改造1981年12月廃車 車体更新機1661 - 1988年8月 1662 - 1988年12月 1663 - 1988年12月 1664 - 1987年2月 1665 - 1988年11月 1666 - 1988年8月 1667 - 1988年12月 1668 - 1988年12月 1669 - 1988年11月 1670 - 1988年6月 1671 - 1989年8月

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運行・廃車

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ツェントラル鉄道BDeh4/4形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

ツェントラル鉄道の旧ルツェルン-シュタンス-エンゲルベルク鉄道区間使用されるが、この線はフィーアヴァルトシュテッター湖畔ルツェルンから途中までブリューニック線経由したあとシュタンス経て天使の里」を意味する修道院でありスキーリゾートでもあるエンゲルベルクに至る、全長24.78km、最急勾配50パーミル粘着区間もしくは250パーミルラック区間)、最急曲線半径70m(粘着区間もしくは100mラック区間)、最高高度1002m、高度差566mの山岳路線である。 通常本機2等客車1両、1/2等制御客車1両で編成定員147名、編成重量74t(空車)/91t(積車)の編成組み粘着区間では輸送量に応じて数両の客車増結している。なお、保安上の理由で必ず本機が坂の下側ルツェルン側)に連結される1967年電源方式変更以降動力車本機のみで運行されてきたが、1990年以降ブリューニック線使用されていたDeh120形電車譲受して粘着区間専用改造したDe4/4が粘着区間旅客列車使用されている。 2010年12月にはオーバーマット - エンゲルベルク間の250パーミル区間短絡するエンゲルベルクトンネルが開業して急勾配34パーミル粘着区間もしくは105パーミルラック区間)に緩和され所要時間短縮輸送力増強運用編成数の低減図られることとなり、ルツェルン - エンゲルベルク間のインターレギオはHGe101形電気機関車更新改造実施した従来型軽量客車4両程度、3車体連接部分低床式ABt 941-943形制御客車牽引する列車による運用変更となっている。これに伴いBDeh4/4形が牽引する列車ルツェルン - エンゲルベルク間の多客時の増発列車のみとなっており、2011年以降順次廃車となり、2012年3月時点では4機が残存している。

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運行・廃車

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ブレンガルテン-ディーティコン鉄道Be4/4 6-8形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

ブレンガルテン-ディエティコン鉄道アールガウ州のヴォーレンからブレンガルテンを経由してチューリッヒ州のディーティコンに至る18.9kmの路線であり、最急勾配56パーミル、最急曲線半径33m、標高389-550mの路線であり、両端駅でスイス国鉄接続するほか、ヴォーレンからブレンガルテン西間6.4kmは1435mm軌間の旧ヴォーレン-マイスターシュヴァンデン鉄道線との三線軌条、ディーティコン付近約1.3kmは併用軌道となっている。なお、本形式運行していた時代より後の、1990年5月27日にはチューリッヒのSバーン指定されてS-17系統となってアールガウ州からチューリッヒ州への通勤路線として運行されており、1995年以降には一部区間複線化が行われている。 Be4/4 6I-8II形が導入され1940年代の同鉄道電車旅客列車貨物列車牽引する列車運行されており、本形式従来からの電車と共通で全線で、単行での運行のほか、混合列車を含む客車列車貨物列車牽引使用されており、重連総括制御機能持たないものの電車同士での重連でも使用されていた。また、B4 41-43形も同様に他の旧型2軸客車ボギー客車貨車とともに全線使用されており、牽引機もBDe4/4に特定されていなかった。 ブレンガルテン-ディエティコン鉄道ではその後輸送量増大して1965年には輸送人員132万人超え従来からの機材の老朽化進んでいたことから総合的な近代化を図るために1960年代さまざまな検討がなされ、結果として固定編成による列車により効率的なパターンダイヤを組むこととなって3車体連接式のBDe8/8形9編成1967年発注し1969年6月1日ダイヤ改正通常運行されるの全ての旅客列車置き換え同時に架線電圧を900Vから1200Vに昇圧している。この結果従来の1000mm軌間機材のうち事業用もしくは貨物列車牽引用として残されることとなったBDe4/4 10-11形およびBe4/4 7II号機の計3機のみが架線電圧昇圧対応工事実施しそれ以外電車および事業用のものを除く客車全車廃車となっている。なお、新しいBDe8/8 7III号機と機番が重複するBe4/4 7II号機はこの際にBe4/4 27機に改番されている。 Be4/4 6I、8II号機は廃車後1969年7月フラウエンフェルト-ヴィル鉄道譲渡されてBe4/4 204206号機となって使用され、Be4/4 27号機(もとのBe4/4 27II号機)も翌1970年1月に同鉄道譲渡されてBe4/4 205号機となっている。詳細次項参照B4 41-43号車廃車後1969年夏にスイス中央部私鉄であるビール-テウフェレン-インス鉄道譲渡されてB 41-43形となり、車体下半部を赤、上半部をクリーム色とした塗装となって使用されている。 その後B 41号車B 42号車1978年スイス西部私鉄であるニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道譲渡されてB 41-42形となって譲渡前の塗装のまま電車牽引する列車使用されていたが、1985年のBe4/4 201-205電車およびBt 301-305形制御客車導入に伴い1990年-91年には両形式中間車として重連総括制御用の引通し線を設け車体塗装も濃オレンジ色ベースオレンジ色の太帯の入ったものに変更され、機番も変更されてB 341-342形となっている。また、B 43号車1979年スイス中央部私鉄オーベルアールガウ-ジュラ鉄道譲渡されB 18号車となった1984年にはB 162号車改番され、1987年にはビュッフェ・バー車Br 162号車改造されている。

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運行・廃車

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マイリンゲン-インナートキルヒェン鉄道BDa2/2 4-5形蓄電池車」の記事における「運行・廃車」の解説

マイリンゲン-インナートキルヒェン鉄道軌間1000mm、全長5.0km、最急勾配20パーミル標高595-637mの路線であり、1926年にKWOの専用線としてスイス国鉄唯一の1000mm軌間路線であったブリューニック線マイリンゲン駅に接続する同線マイリンゲン駅からアーレ川岸を遡って、KWOの本社工場のあるインナートキルヒェンまでが開業して貨物及び人員輸送行っており、1946年にはKWOが子会社としてマイリンゲン-インナートキルヒェン鉄道設立して鉄道路線としての営業開始している。インナートキルヒェンからグリムゼル峠に至るルート古くからの街道であるとともに観光ルートでもあったほか、マイリンゲンから一部並行していた、ライヘンバッハの滝へ至る軌道線であるマイリンゲン-ライヒェンバッハ-アーレシュルヒト軌道1956年廃止となり、本鉄道アルプバッハ駅がライヒェンバッハの滝へ至るケーブルカーであるライヒェンバッハ鉄道への最寄駅となったこともあり、マイリンゲン-インナートキルヒェン鉄道観光用として側面有することとなっている。 KWOは1925年から1932年にかけてハンデック第一発電所を、その後1939-42年にはインナーキルトヒェン第一発電所建設が行われ、これに合わせてCFa2/2 4号機導入され、1947-50年にハンデック第二発電所建設されており、これと営業運行開始合わせてCFa2/2 5号機導入されている。なお、1952-79年には引続き5箇所発電所建設され、2002-07年には2箇所発電所更新が行われている。 本形式導入当初専用線時には職員輸送列車として運行されたほか、Ta2/2形とともに貨物列車牽引使用されたており、1947年営業運行開始してからは一般旅客列車として運行され臨時列車としてスイス国鉄から乗り入れた客車列車牽引したこともある。また、営業運行開始後も引続き貨物列車牽引単行もしくは重連使用されており、自社またはスイス国鉄所有する1000mm軌間用のほか、ロールワーゲン積載した標準軌貨車牽引している。 マイリンゲン-インナートキルヒェン鉄道1977年直流1200Vで電化されており、これに伴って OEGから授受し路面電車ディーゼル発電機搭載したディーゼル/電気両用2等/荷物車であるBem4/4 6-7形2機が導入されると、本形式軸重の重いこともあり、同年中に運用から外れている。廃車後4号機1982年ルツェルンスイス 交通博物館譲渡され保存されており、5号機はKWOの工場前に静態保存されている。 なお、KWOでは所有する地下専用鉄道のうち、全長4.8km、軌間500mm、最急勾配88パーミルのグッタネン-ハンデック線においても、近隣の道路雪崩の危険がある場合には通学用として人員輸送用蓄電池電車牽引列車運行しているほか、沿線には観光用としてダムおよび湖に至るケーブルカー1路線、ロープウェイ・リフト3路線運行し、他の電力会社保有するケーブルカー1路線保守行っている。

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運行・廃車

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イタリア国鉄ALn990気動車」の記事における「運行・廃車」の解説

形式はまずALn990.1001号車および1002号車1950年8月ロールアウトし、トリノ配置され試運転実施している。その後トリノにはALn990.1000とLn990.1000が配置されALn990.1000はさらにトレヴィーゾパレルモにも配置され、ALn.990.3000およびLn990.3000はボローニャ配置されて、全車1953年までに営業運転開始している。 トリノ配置されFIat製の機体その後トレヴィーゾ転属し、代わりにボローニャからOM製の機体転入している。トリノではトリノ - アローナトリノ - プレ=サン=ディディエ間などで運行されていたほか、ATR100とともにトリノ - ジェノバトリノ - サヴォーナ間の都市間列車使用されることもあった。 ボローニャ配置され機体ボローニャ - ヴェネツィア - トリエステトリエステ - パドヴァ間の都市間列車などで使用されている。また、1950年代前半には一部非電化であったミラノ - バーリ間でALe840電車併結して運行されていた。 トレヴィーゾ配置され機体はALn880とともにヴェネツィア - カラルツォ・ディ・カドーレ運用使用されたほか、主にヴェネツィア - ウーディネウーディネ - ヴィチェンツァヴィチェンツァ - トリエステ間の都市間列車運行されていた。 その後Fiat製の機体ローマにも配置されていたが、1964年には全車シチリア島パレルモ配置となっており、勾配の多い同島の路線での運行のため、前述のとおり5両のLn990.1000は動力装置一式搭載してALn990.1000改造されており、その後一時カターニアにも配置されている。 ボローニャ配置されOM製の機体その後トリノのほかピサパヴィーア転属となり、トリノ配置機体パヴィーア転属となっている。ピサ配置機体フィレンツェ - ヴィアレッジョルッカ - アウッラピサ - ヴォルテッラ間などで運用されていた。また、パヴィーア配置機体ヴァレンツァ - アレッサンドリア間などで運用されていたほか、カラルツォ - ベッルーノ - ヴィチェンツァ - ミラノ間の急行列車であるフレッチャ・デッレ・ドロミーティの運用に、元TEE用のALn442-448に置換えられる1975年まで使用されていた。 1979年1月時点での配置以下の通りパレルモALn990.1000 21パヴィーアもしくはピサALn990.3000 39両/Ln990.3000 10両 本形式断熱材および防音材として使用されていたアスベスト除去が困難であることから、1980年代には廃車始まり1988年までに全車廃車されている。また、ALn990.1005号車シチリア島関連する鉄道車両保存団体であるTreno D.O.C.によって静態保存のための復元待ちの状態となっている。

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イタリア国鉄ALn880気動車」の記事における「運行・廃車」の解説

形式はまずナポリトレヴィーゾ配置されている。 ナポリ配置され機体ナポリからローマカゼルタ方面列車の運用使用されており、ナポリ - ターラント間の都市間列車でも使用されている。なお。ナポリ配置機体優等列車での運用1959年にD.341ディーゼル機関車牽引する客車列車置き換えられており、その後1964年にはトレヴィーゾ転属している。 トレヴィーゾ配置され機体はALn990とともに主にヴェネツィア - カラルツォ・ディ・カドーレ間の列車使用されたほか、いくつかの区間使用されたのち、ヴェローナ転属している。ヴェローナではレニャーゴロヴィーゴキオッジャフェラーララヴェンナ方面路線運用されていたが、より新し気動車ディーゼル機関車牽引列車などに置換えられて一部ボローニャ転属し、トレヴィーゾ残った機体1983年には全車予備となっている。 1979年1月時点での配置以下の通りヴェローナもしくはボローニャ:ALn880 40両/Ln880 10両 本形式断熱材および防音材として使用されていたアスベスト除去が困難であることから、1980年代には廃車始まり1985年までに全車廃車されている。また、ALn880.2018号車はピエトラルサ国立鉄道博物館静態保存されている。

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ヌーシャテル・ブードリー・コルタイヨ地域鉄道HG2形蒸気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

ヌーシャテル・ブードリー・コルタイヨ地域鉄道は、スイス北西部ヌーシャテル湖北岸ヌーシャテルから、近郊のブードリーおよびコルタイヨ間を結ぶ路面軌道線であり、ヌーシャテル市内など都市部では道路上走行する併用軌道近郊区間では専用軌道となっており、ヌーシャテル駅 - ブードリー間10.24kmの路線と、途中アレウスから分岐してコルタイヨに至る0.83kmのいずれも1000mm軌間非電化路面軌道である。この路線のうち、高台にあるジュラ-シンプロン鉄道ヌーシャテル駅からヌーシャテル湖畔のヌーシャテル港までの区間急勾配を伴う路線となっており、このうち586mの区間が最急勾配86パーミルのリッゲンバッハ式ラック区間となっており、粘着区間では最急勾配26パーミルとなっていた。本鉄道のリッゲンバッハ式のレール15mm厚の山形鋼2本を95mm間隔配置しその間ラックとして長辺45mm、短辺27mm、高さ36mmの台形断面鋼材を80mm間隔設置したものであり、通常溝形鋼使用するところを併用軌道において障害とならないよう山形鋼使用しまた、山形鋼上面ラックとなる鋼材の上面が平面となるようになっていた。本鉄道では1892年9月16日開業にあたり、本形式含め以下の機材用意されている。粘着式/ラック兼用蒸気機関車:2機(HG2 1および2号機(本形式)) 粘着蒸気機関車:1機(G2 3号機客車:2軸ボギー2等/3等合造車2両(BC 1-2号車)、2軸2等/3等合造車4両(BC 5-8号車貨車:2軸荷物車2両(F 11-12号車)、2軸有蓋車4両(K 15-18号車)、2軸無蓋2車両(L 21-22号車)、2軸平物車2両(M 26-27号車その後順次機材増備がなされ、1895年には本形式増備としてHG2 4号機が、後述一部電化後1898年には粘着専用機であるG2 5号機増備されたほか、1894年には客車2両、1897年には貨車6両が増備されており、本形式はヌーシャテル・ブードリー・コルタイヨ地域鉄道全線客車および貨車牽引して運行されていた。 1898年にはラックであった586mの区間粘着式に改めとともにヌーシャテル駅 - ヌーシャテル港 - エヴォル間のみ電化なされてCe2/2 1-3形電車およびこれと編成を組む2軸ボギー客車C 2-3号車運行されるようになったため、本形式はこの区間では運行されなくなるとともにラック駆動装置使用されなくなりG2 3号機およびG2 5号機と共通で運行されるようになった。これに合わせ同年にはHG2 4号機SLMにてラック駆動装置撤去ボイラー換装工事実施しており、改造後粘着専用機として運行されている。一部区間電化のこの当時電化されたヌーシャテル駅 - ヌーシャテル港 - エヴォル間の市内線区間列車と、ヌーシャテル港 - ピュリー広場 - エヴォル - コルタイユおよびブードリー間の近郊区間スチームトラム牽引区間列車とに運行分かれていた。 一方ヌーシャテルでは市内線として1894年にヌーシャテル・セントブレーズ鉄道開業して1897年にはヌーシャテル軌道社名変更していたほか、その後1910年近郊路線のヌーシャテル・ショーモン鉄道が、1890年ケーブルカーのエクルーズ・プラン線が開業していた。ヌーシャテル・ブードリー・コルタイヨ地域鉄道1901年ヌーシャテル軌道統合されその後1943年にかけて順次軌道統合されていったが、本形式引続きヌーシャテル・ブードリー・コルタイヨ地域鉄道非電化路線運行されていた。 HG2 4号機1901年廃車となってスイス西部ブーレ-ロモン鉄道譲渡され、G2/2 4号機として建設工事機関車として使用された後、モンテイ-シャンペリ-モルジャン鉄道の建設工事にも使用され1929年廃車となっている。 1902年には旧ヌーシャテル・ブードリー・コルタイヨ地域鉄道全線直流600Vで電化され、電車による運行切り替えられたため、本形式のうち残存していたHG2 1、2号機はG2 3、5号機とともに定期運用外れている。その後1902年にHG2 1、2号機はG2 3、5号機とともに当時オスマン帝国であった現在のシリアダマスカスからアレッポに至る鉄道路線の建設用として譲渡されベイルート-ダマスカス鉄道接続するリヤックからバグダード鉄道接続するアレッポに至る1435mm軌間鉄道の建設使用されたものとされているが、詳細不明となっている。 なお、ヌーシャテル市内線順次トロリーバス転換されており、本形式運行されていた旧ヌーシャテル・ブードリー・コルタイヨ地域鉄道についても市内ヌーシャテル駅 - ピュリー広場間が廃止となり、インターアーバン路線としてピュリー広場以降運行されていたが、1984年には支線であるアレウス - コルタイヨ間がバス転換され廃止となっており、現在ではピュリー広場 - ブードリー間の8.86kmの運行となっている。

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運行・廃車

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カラブロ-ルカネ鉄道M1C 80形気動車」の記事における「運行・廃車」の解説

形式運行されていたコゼンツァ-カタンザーロ・リド線(イタリア語版)はイタリア南部カラブリア州コゼンツァ県県都である標高202mのコゼンツァから、途中標高866mのビアンキカタンザーロ県標高201mのカタンザーロ・チッタを経由してイオニア海沿岸のカタンザーロ・リドに至る950mm軌間全長109.8kmの路線であったコゼンツァではイタリア国鉄コゼンツァ-シーバリ線とパオラ-コゼンツァ線に接続し標高423mのペダーチェからはカラブロ-ルカネ鉄道コゼンツァ-サン・ジョヴァンニ・イン・フィオーレ線が分岐しており、カタンザーロ・リドではイタリア国鉄イオニア線およびラメーツィア・テルメ-カタンザーロ線と接続している。なお、本形式運行されていた当時ラメーツィア・テルメ-カタンザーロ線がカタンザーロ・サラ(当時駅名カタンザーロ) - カタンザーロ・リド間で本路線並行していたほか、カタンザーロ・チッタおよびカタンザーロ・サラではカタンザーロ市内線接続していた。同線の粘着区間の最急勾配35パーミルであったが、尾根上に広がっていたカタンザーロ旧市街地内のカタンザーロ・プラティカ - カタンザーロ・サラ間のうち2.05kmが最急勾配100パーミルラック区間となっており、1934年開業したこの区間のシュトループ式ラックレールは歯厚62mm、ピッチ100mm、歯たけ15mm粘着レール面上高75mmである。 本形式同じくラック式の500形蒸気機関車とともカタンザーロ・リド機関区配置され、主に同区間を含む、カタンザーロ・チッタ - カタンザーロ・リド間で運行されていた。 本形式運行されていたもう一つ路線であるラゴネグロ-スペッツァーノ・アルバネーゼ線(イタリア語版)はアペニン山脈南部ポリーノ山塊通過するもので、イタリア南部バジリカータ州ポテンツァ県標高600mのラゴネグロから、途中標高582mのラウリーア、290mのライーノ・ボルゴ、1025mのパヴォーネ、381mのカストロヴィッラリ経由して標高46mでカラブリア州コゼンツァ県スペッツァーノ・アルバネーゼに至る950mm軌間全長105.0kmの路線であったラゴネグロではイタリア国鉄シチニャーノ・デッリ・アルブルニ-ラゴネグロ線に、スペッツァーノ・アルバネーゼでは同じくイタリア国鉄コゼンツァ-シーバリ線に接続している。同線の粘着区間の最急勾配60パーミルであったが、ラゴネグロ - リヴェッロ間2.6km、チーヴィタ - マドンナ・デッラ・カテーナ間2.4km、カッサーノ・アッロ・イオーニオ - ガルダ間3.8kmのうち計5.85kmが最急勾配100パーミルラック区間となっており、シュトループ式ラックレールコゼンツァ-カタンザーロ・リド線と同じく歯厚62mm、ピッチ100mm、歯たけ15mm粘着レール面上高75mmである。 この線は開業当初イタリア国鉄のR370ラック蒸気機関車借用して運用していたが、その後ラゴネグロおよびカストロヴィッラリの両機関区配置されラック式の200形260形500形蒸気機関車粘着式の350形蒸気機関車運行されており、さらにその後1937年に本形式導入されて主にカストロヴィッラリ - スペッツァーノ・アルバネーゼ間で運行されている。 その後形式代替として1951年-53年M1C 80R形のM1C 81R-90R号車10両が導入されて4両がコゼンツァ-カタンザーロ・リド線のカタンザーロ・リド機関区に、6両がラゴネグロ-スペッツァーノ・アルバネーゼ線のカストロヴィッラリ機関区配置されると、本形式1953年以降順次ラック駆動装置撤去している。 ラゴネグロ-スペッツァーノ・アルバネーゼ線では、ラゴネグロ駅付近にあった上路アーチ橋であるセラ緩慢地動により1径間においてアーチがずれて1952年には列車の運行ができなくなったため、ラゴネグロ - リヴェッロ間がバスによる運行転換され、さらに1970年にはカッサーノ・アッロ・イオーニオ付近のエイアノ水害により損傷したためカストロヴィッラリ - スペッツァーノ・アルバネーゼ間が廃止となってラック区間がすべて廃止となっており、車体更新工事ラック駆動装置撤去実施したM1C 85号車M1C 88号車も同区間運行されている。なお、1978年6月18日には残っていた全線運行停止され1979年9月20日全線廃止となっている。 ラック駆動装置撤去したM1C 81868990号車全線粘着式のクロトーネ-ペティーリア・ポリカストロ線に転用されて運行されていた。この路線コゼンツァ-サン・ジョヴァンニ・イン・フィオーレ線のサン・ジョヴァンニ・イン・フィオーレへの接続計画していたもので、カラブリア州東部クロトーネ県イオニア海沿岸のクロトーネ・チッタからイタリア国鉄接続するクロトーネ経由して同じくクロトーネ県標高264mのペティーリア・ポリカストロに至る950mm軌間、40.7kmの本線と、クロトーネ市街のビヴィオ・ポルトから分岐してクロトーネ・ポルトに至る950mm軌間、1.5kmの支線1930年開業した。同線では蒸気機関車M1 1形、M1 30形およびM1C 80形単端式気動車により運行されており、本形式1972年の同線の廃止まで使用されていた。 なお、1961年12月23日発生したフィウマレッラ鉄道事故契機地中海-カラブロ-ルカネ鉄道の各路線の運行は、1964年1月1日からカラブロ-ルカネ鉄道担当することとなり、本形式も同鉄道所有となっている。なお、本形式運用後の1990年には同社二分され、コゼンツァ-カタンザーロ・リド線を中心とするカラブリア鉄道およびアップロ・ルカーネ鉄道となって現在に至っている。 1953年にはM1C 87号車コゼンツァ機関区事業用車となって使用されており、その後M2DE 50形1両などとともに放置されていたが、1999年解体されている。 廃車後ローマ近郊パリアーノ公園である "La Selva"内の観光鉄道においてM1C 80R形や他の機関車客車などとともにM1C 88号車およびM1C 90号車動態保存されていた。 本形式とともにラック区間運行されていた500形ラック蒸気機関車動態保存されている504号機、2006年 コゼンツァ-カタンザーロ・リド線の路線図 コゼンツァ-カタンザーロ・リド線のうち、ラック区間のあるカタンザーロ・チッタ間付近路線図 コゼンツァ-カタンザーロ・リド線の線路高低図、赤色部分ラック区間 コゼンツァ-カタンザーロ・リド線のラック区間 ラゴネグロ-スペッツァーノ・アルバネーゼ線の線路高低図、赤色部分ラック区間 ラゴネグロ-スペッツァーノ・アルバネーゼ線のラゴネグロ駅付近セラ1930年コゼンツァ-サン・ジョヴァンニ・イン・フィオーレ線(赤実線)およびクロトーネ-ペティーリア・ポリカストロ線(黒点線)の路線図、両線は接続する計画であった

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運行・廃車

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ストレーザ-モッタローネ鉄道1形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

ストレーザ-モッタローネ鉄道マッジョーレ湖西岸の町であるストレーザアルプス西部の山である標高1492mのモッタローネ山を結ぶ、全長10km観光路線であり、最急勾配粘着区間55パーミル、シュトループ式のラック区間200パーミル標高は197-1380m、電化方式 DC750Vの観光路線であり、1880年代蒸気機関車による運行計画されいたものであるが、その後計画改め電気鉄道として建設され1911年7月12日開業したのである路線マッジョーレ湖畔のフェリー乗り場隣接したストレーザ湖駅もしくはイタリア国鉄ドモドッソラからミラノに至る路線ストレーザ駅に隣接した鉄道ストレーザ駅(標高197m)から併用軌道ストレーザ市内抜けて山岳路線移り途中ヴェダスコ・ビンダ、ヴェッツォ、ジニェーゼ・レヴォ、アルピーノ、ボロメの途中5駅を経由してモッタローネ山頂付近標高1380mのモッタローネに至っており、1946年にはマッジョーレ湖駅が若干内陸側に移転をしている。終点のモッタローネ付近に1884年開業し1909年からは通年営業開始したグランドホテル・モッタローネをはじめとした高級ホテルが何件か営業をしており、マッジョーレ湖を望む夏季避暑地としてだけでなく、スキーはじめとするウィンタースポーツ拠点として、特に1906年シンプロントンネル開業による、ストレーザまでの交通アクセスの向上を契機として発展していった。 開業にあたっては本形式5機のほか、55乗りオープン/コンパートメント式2軸ボギー客車3両、無蓋貨車3両と有蓋貨車1両、ストレーザ湖 - ストレーザ間の市内運行用の小型電車1機が用意されていたほか、建設工事使用され1910年SLM製の蒸気機関車1機が事業用として残されており、1920年にはスキー板運搬用の貨車3両が増備されている。本形式は同鉄道全盛単行もしくは客車/貨車1両を牽引して運行され全線所要時間資料により異なるが約65-75分、開業時運賃は9リラであったほか、後年になって前後デッキ部に木枠フェンス設けて簡易的荷台として運用されていた。 その後、同鉄道施設機材の老朽化のため1963年5月13日廃止されて一旦バス転換された後、代替となるロープウェイ1970年開業している。1-5号機はこの際全機廃車となっているが、1、2号機などの何機かの車体近隣バヴェーノにあるキャンプ場設置されており、2013年においてもほぼ運行当時塗装表記のまま使用されているほか、台車ランコにある交通博物館保管されている。

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運行・廃車

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フルカ・オーバーアルプ鉄道HGe2/2形電気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

本機終始アンデルマット-ゲシェネン間のシェレネン線使用されたが、同線は全長3.7km、高度差330m (1435m - 1106m) の最急勾配179パーミル連続する山岳路線で、アルプス十字路呼ばれるアンデルマットからシェレネン渓谷急流下り途中悪魔の橋の脇を通りスイス国鉄ゴッタルド鉄道トンネル北側入口であるゲシェネン間を結ぶもので、中間に駅はなく、両端2駅およびスイス国鉄ゲシェネン駅と連絡する貨物駅のみで営業をしていた。 シェレネン鉄道では本形式のほか以下の車両有しており、すべて本形式牽引する列車運行されていた。客車(7両):BC4 21-242等/3等合造客車、BCF4 31-332等/3等/荷物合造客車 貨車11両):K 51-52形有蓋車Lk 61-62形、L 71-72形、M3 671-672形、K 441-442形、OM6 821形 シェレネン鉄道では開業後、1930年代頃までは通常列車先頭機関車連結していたが、その後保安上の理由で常に勾配下側(ゲシェネン側)に機関車配置するようになり、先頭客車には前照灯設置され先頭乗った保安要員ベル信号使って機関車連絡とっていた。 フルカ・オーバーアルプの電化工事中の1940年にはフルカ・オーバーアルプ鉄道アンデルマット - オーバーアルプゼー間が直流1200Vで電化され、一部列車が本形式牽引によって運行されている。 1940年交流電化後はBCFhe2/4形の41号機とともに使用されている。BCFhe2/4 41号機用とプッシュプル式の列車組成するために1942年にBCF4 33号車を改造した制御客車BCFt4 30号車が用意されているが、本形式および客車2両程度とBCFt4 30号車と編成でも運用されている。同車1916年製のBCF4 31-33形のBCF4 33号車を制御客車改造したもので、全長13.8m、自重14.8tの2等/3等/荷物合造制御客車であり、その後称号改正により ABFt4s 4191I号車となり、1968年廃車となっているほか、本形式同車総括制御出来ないため、本形式と編成組んだ編成アンデルマット方行きの列車従来どおり推進運転運転されている。 シェレネン鉄道フルカ・オーバーアルプ鉄道への合併後引続きシェレネン線使用され、主に同じ旧シェレネン鉄道客車などを牽引していたが、1971年製の新し前面パノラミックウインドウの制御客車ABt 4191-4194形とも編成組んでいる。ABt 4191II-4194形はSIG製 の標準型客車系列であるEW Iシリーズの1車種であり、全長17.02m、自重14.2tの1等/2等合造制御客車となっている。 1967年製のHGm4/4形ディーゼル機関車1971年製のDeh4/4 51-55形荷物電車シェレネン線使用されるうになる1972年以降旅客列車には使用されなくなりその後貨物列車およびアンデルマット駅構内入換用として運用され1976年から1985年にかけて順次廃車となった。なお、HGe2/2 21号機の変圧器などの電機品一部1986年にX 4929II形暖房車流用されている。同車1914年製の有蓋貨車であるGk 4420号車パンタグラフ変圧器搭載したもので、留置中の客車暖房用および食堂車調理用電源供給用として使用されている。 各機体廃車年は以下の通りである。21 - 1985年 22 - 1976年 23 - 1982年 24 - 1980年

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運行・廃車

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フルカ・オーバーアルプ鉄道BChm2/2形気動車」の記事における「運行・廃車」の解説

マッターホルン・ゴッタルド鉄道の旧フルカ・オーバーアルプ鉄道区間ローカル列車として使用されていた。 フルカ・オーバーアルプ鉄道本線全長96.9km、最急勾配90パーミル(旧フルカ峠区間は110パーミル)で、レーティッシュ鉄道ディセンティススイス国鉄、旧BVZのフィスプを結ぶ路線である。 支線シェレネン線全長3.7km、最急勾配179パーミルで、本線アンデルマットスイス国鉄のゲシェネンを結ぶ路線である。 本形式需要少な冬季におけるブリーク - オーバーヴァルト間およびディゼンティス/ミュンスター - セドルン間の輸送想定したものであり、製造後ローカル輸送使用されていた。なお、実際運行では客車/貨車牽引時のクラッチ滑り問題となり、ディゼンティス/ミュンスター - セドルン間の運行ではクラッチ滑り防止のため、客車/貨車牽引した際にはこの区間内の8km、90パーミルラック区間では1段で、粘着区間では2段走行していた。このため単行では15であった所要時間客車/貨車牽引した際には45分となっており、経済性損なうものとなっていた。 1941-42年のフルカ・オーバーアルプ鉄道電化後同様にそれまで運行されていたラック式の蒸気機関車であるHG3/4形3-5および10号機とともに事業用として残り、主にブリークやフィスプ-ツェルマット鉄道のフィスプ構内入換用として使用されていた。その後CFhm2/2 21号機は1947年レーティッシュ鉄道売却されたが22号機はその後残り1958年事業用貨車形式変更されX 4969号車となり、1965年には廃車となっている。 その後旧CFhm2/2 22号機はルツェルン交通博物館保存されることとなり、一旦は車体のみ保存され台車スイス国鉄ブリューニック線のアルプナッハシュタットに保管されていた。その後1973年に同線のマイリンゲン工場復元され翌年から博物館展示されていた。さらにその後1996年にはCFhm2/2 22号機はフルカ・オーバーアルプ鉄道の旧フルカ峠区間保存鉄道としたフルカ山岳蒸気鉄道譲渡され動態保存目指し復元計画されている。

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運行・廃車

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マッターホルン・ゴッタルド鉄道HGe4/4 I形電気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

マッターホルン・ゴッタルド鉄道の旧フルカ・オーバーアルプ鉄道区間本線では、氷河急行やその他ローカル列車客車列車貨物列車牽引使用されており、最急勾配110パーミルのオーバーヴァルト - セドルン間では2軸ボギー台車6両に相当する100tの列車を、同じく90パーミルブリーク - オーバーヴァルト間およびセドルン - ディセンティス/ミュスター間では2軸ボギー台車8両に相当する130tの列車牽引している。 旧フルカ・オーバーアルプ鉄道本線は現在では全長96.9km、最急勾配110パーミル粘着区間67パーミル標高671-2033mで旧ブリー ク・ フィスプ・ツェルマット鉄道およびBLS AGレッチュベルクトンネルおよびレッチュベルクベーストンネル方面スイス国鉄ローザンヌ およびシンプロントンネル方面接続するブリークから、レーティッシュ鉄道クール方面接続するディゼンティス/ミュスターを結ぶ路線である。なお沿線豪雪地帯であり、アンデルマット - ディセンティス/ミュスター間は電化前1940年まで冬季運休しており、同じくフルカ峠越え区間1982年フルカベーストンネル開業まで10月半ばから翌6月初めまでの冬季はオーバーヴァルト - レアルプ間を運休していた。 一方おなじくフルカ・オーバーアルプ鉄道シェレネン線は最急勾配179パーミルであったため、本形式運用されておらず、1971年にDeh4/4 51-55形によるシャトルトレインが導入されるまでは、HGe2/2形電気機関車4機とABDeh2/4形電車1機とが牽引する列車で主に運行されていた。また、マッターホルン・ゴッタルド鉄道となった後も旧ブリーク-フィスプ-ツェルマット鉄道区間も本形式基本的に使用されていない。 本形式はまず最初に1941年1月にHGe4/4I 31号機がゲシェネン経由フルカ・オーバーアルプ鉄道入線しており、1940年10月21日電化後しばらくの間はフィスプ-ツェルマット鉄道のHGe4/4形や旧来のHG3/4形蒸気機関車列車運行されており、1次発注最終のHGe4/4I 34号機がブリーク配属されるまでHGe4/4形の運行継続されている。なお、本形式のうち35号機は1970年事故により早期廃車となっている。 1989年HGe4/4II形の104-108号機が増備されると全機予備として季節列車事業用列車等の牽引となったほか、1998年開業したチェッパ信号場 - ルエラス間のセドルンゴッタルドベーストンネル建設基地専用線からレーティッシュ鉄道連絡する不定期貨物列車牽引に本形式使用されていた。また、HGe4/4I 37号機が1992年の夏ダイヤレーティッシュ鉄道貸し出されてイランツ - ウンターバッツ間のミネラルウォーター輸送用貨物列車牽引使用されている。 その後1993年にはHGe4/4I 34号機と37号機がブリーク水害被害などによって廃車となり、その後1995年にはHGe4/4I 31号機が廃車となっている。なお、HGe4/4I 37号機のパンタグラフフルカ山岳蒸気鉄道動態保存計画中のHGe4/4 16号機(後述)のシングルアーム式パンタグラフから菱形パンタグラフへの復旧流用されている。 現在ではHGe4/4I 323336号機が事業用および歴史的機関車として残存してブリークアンデルマットディセンティス/ミュスターに配置されている。ブリーク機体ブリーク付近のグリーサーグルンドの車両基地入換用アンデルマット機体アンデルマット構内および車両基地での入換用および予備機として、ディセンティス/ミュスターの機体予備機および冬季除雪用としてそれぞれ使用されているほか、旧型客車による観光用列車牽引等にも使用されている。各機体廃車年は以下の通り31 - 1995年故障により廃車2004年解体 32 - 運用中 33 - 運用中 34 - 1993年ブリーク水害被害により廃車2004年解体台車予備として残存 35 - 1970年事故により廃車同年解体 36 - 運用中 37 - 1992年レーティッシュ鉄道貸出し後、1993年廃車2007年解体 HGe4/4I 31号機が牽引する貨物列車1980年代 HGe4/4I 32号機が牽引する1980年代氷河急行 HGe4/4I 33号機が牽引するローカル列車アンデルマット駅、1980年 HGe4/4I 33号機が牽引する列車客車フルカ・オーバーアルプ鉄道車とレーティッシュ鉄道車の混成1980年頃 HGe4/4I 34号機が牽引する1980年代氷河急行機関車次位2両目レーティッシュ鉄道の食堂車 HGe4/4I 37号機が牽引する列車客車直通する各車の混成1980年頃

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運行・廃車

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スイス国鉄HGe100形電気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

スイス国鉄唯一の1 m軌間路線であったブリューニック線ルツェルン - インターラーケン・オスト間で旅客列車および貨物列車牽引使用されていた。 ブリューニック線全長74.0 km、高度差566 m、最急勾配120パーミル山岳路線である。 Deh4/6形荷物電車と共に主力として使用され十数両の客車をDeh4/6との重連牽引することもあった。基本的な旅客列車編成以下の通り。HGe4/4I形 + 軽量客車7両(120 t、定員470人) HGe4/4I形 + Deh4/6形 + 軽量客車10両(170 t、定員680人) その後HGe101形電気機関車旧形式HGe4/4II形)が1986-1990年に8両製造されると、本形式駆動装置故障多く粘着区間最高速度50 km/hと遅いこともあり、重大な主電動機故障のにより1991号機が1994年に、1992号機は1996年廃車となった。なお、HGe4/4II形2両が導入され試験運用されていた1988年時点では主にギスヴィール - ブリューニック・ハスリベルク間およびギスヴィール - マイリンゲン間の補機として単独の1運用およびDeh4/6形と共通の1運用組まれていた。 1992号機はブリューニック線車両保存団体であるブリューニック保存鉄道譲渡され動態保存され、2007年以降主変圧器故障に伴い長期間ルツェルン留置されていたが、2010年にはアルプナハシュタット車庫戻され復旧作業が行われている。

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マッターホルン・ゴッタルド鉄道HGe4/4形電気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

マッターホルン・ゴッタルド鉄道の旧ブリーク・フィスプ・ツェルマット鉄道区間本線では、氷河急行やその他ローカル列車客車列車貨物列車牽引使用されていた。 旧ブリーク・フィスプ・ツェルマット鉄道本線は現在では全長44.0km、最急勾配125パーミル粘着区間27パーミル標高651-1605mで旧フルカ・オーバーアルプ鉄道およびBLS AGレッチュベルクトンネル方面スイス国鉄シンプロントンネル方面接続するブリークから、同じくBLS AGレッチュベルクベーストンネル方面スイス国鉄ローザンヌ方面接続するフィスプまでスイス国鉄並行し、そこからローヌ川支流のフィスパ川に沿って遡りゴルナーグラート鉄道ゴルナーグラート方面接続するツェルマットに至る路線であり、1890-91年にフィスプ - ツェルマット間が、1930年ブリーク - フィスプ間が開業している。 本形式1929年8月より試運転開始されて、計画通り60tの列車牽引することが出来ること確認しており、その後それまでのHG2/3形を置き換える形で各列車牽引する運用入っている。また、1940年フルカ・オーバーアルプ鉄道電化に際しては、当初鉄道のHGe4/4I形が所要数揃わなかったため、同鉄道のHG3/4形蒸気機関車引き続き使用されたほか、フィスプ・ツェルマット鉄道からHGe4/4 11-15号機が貸し出され列車牽引している。 1962年6月22日発生した事故ではHGe4/4 11号機と15号機が損傷しているが、11号機は同年中に復旧され15号機は翌1963年再建されそれぞれ運用再開している。 その後客車列車牽引には196065年製のABDeh6/6形やABDeh8/8形なども併せて使用されるようになり、特に氷河急行牽引にはABDe8/8形が主に使用されるようになっているまた、1975-76年にはラック荷物電車のDeh4/4 21-24号機が、1989年にはHGe4/4II 1-5号機が導入され長編成の客車列車および貨物列車運行使用されるうになると本形式全機予備となって歴史的車両として旧型客車牽引する観光列車および工事列車などの事業用列車としての運行使用されるようになっているその後1992年にHGe4/4 14号機が廃車となったのを皮切りに2002年には13号機が廃車となってマッターホルン・ゴッタルド鉄道にはHGe4/4 11-12および15-16号機が継承されているが、2005年までにHGe4/4 11および12号機が順次廃車となっている。また、HGe4/4 16号機は前述通りツェルマット - テッシュ間のシャトルトレインの予備機として運用されていたが、シュタッドラー・レール製の部分低床ラック電車であるBDSeh 4/8形が2002-06年にシャトルトレイン用として導入されたため、予備機としての運用外れその後2007年廃車となっている。 現在ではHGe4/4 15号機が事業用および歴史的機関車として残存しており、同じく歴史的車両として残存しているサロン車のAB 2121号車などの牽引などに使用されている。各機体廃車年は以下の通り11 - 2003-05年 12 - 2003-05年 13 - 2002年 14 - 1992年 15 - 運用中 16 - 2007年フルカ山岳蒸気鉄道譲渡 16号機は2007年廃車後、旧フルカ・オーバーアルプ鉄道フルカベーストンネル開業により廃線となったフルカ峠越えのレアルプ - オーバーヴァルト間を夏季運行観光鉄道として復活させたフルカ山岳鉄道譲渡され保管されている。同鉄道1992年から2010年にかけて開業したもので、全線非電化であるが、本機動態保存向けて電気式ディーゼル機関車改造含めた検討なされている。なお、譲渡に際しては、廃車となったフルカ・オーバーアルプ鉄道のGe4/4I 37号機のパンタグラフ流用してシングルアーム式パンタグラフから菱形パンタグラフへの復旧されている。

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運行・廃車

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ルガーノ-テッセレテ鉄道ABDe4/4形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

ルガーノ-テッセレテ鉄道スイス国鉄主要幹線であるゴッタルド線のゴッタルドトンネル抜けたアルプス山脈南側ティチーノ州ルガーノ湖畔の街ルガーノ近郊私鉄路線であり、スイス国鉄ルガーノSBB駅の東側設けられ標高335mのルガーノ駅から市街抜けて北方ディーノ川のカッサーレーテの谷の右岸をテッセレテ通り沿って遡り途中カッサーレーテの谷から分かれたテッセレテ川添いに進んだ標高516mのテッセレテまでの全長7.8km(うち併用軌道もしくは道路併設軌道3.8km)、軌間1000mm、最急勾配60パーミル路線であったまた、カッサーレーテの谷は古い時代には洪水多発していたことから集落が谷の斜面発達したため、谷の対岸左岸側にも同鉄道と約1km間隔並行して、ほぼ同距離の私鉄であるルガーノ-カドロ-ディノ鉄道運行をしていた。なお、このルガーノ-カドロ-ディノ鉄道起点ルガーノSBBではなくルガーノ市街地で湖の水運およびルガーノ市内線連絡するピアッツァ・マンツォーニであったほか、ルガーノSBB駅から西方へは同じく1000mm軌間ルガーノ-ポンテ・トレーザ鉄道運行しており、同鉄道ルガーノ-テッセレテ鉄道ルガーノ駅で軌道接続しており、貨車融通直通が行われていた。 1909年7月28日運行開始したルガーノ-テッセレテ鉄道はテッセレテまで途中9駅を設けルガーノ留置線、テッセレテには車庫工場併設していたが、終点のテッセレテを含め沿線ルガーノ近郊集落大きな街はなく、ルガーノへの通勤通学客の近郊輸送中心に観光客輸送もあり、年々旅客輸送量も伸びてはいたが列車終始形式3両の単行もしくは数両の客車牽引する列車十分な規模で、貨物輸送終始低調であった開業時には本形式のほか、以下のとおり客車貨車用意されていたが、いずれも2軸の小型車であった客車C2 11、BC2 121925年C2 12改造有蓋車K2 21、K2 22 無蓋車L2 31L2 321951年にM241に改造その後輸送量増加とともに中古客車中心に機材増備行なって運用していたが、1948年SIG製の初期軽量客車であるC4 15導入しているのが特徴である。また、制御客車導入されず、終端駅では機回し線使って形式列車先頭連結しなおしていた。なお、増備された客車および貨車以下のとおり客車C2 13およびC2 14(1926、27年モントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道より購入)、C4 15C2 16およびC2 171957年ゾロトゥルン-ツォリコーフェン-ベルン鉄道より購入長物車:S2 51、S2 52 架線作業車:X2 61 旅客列車は1934/35年のダイヤでは通常9往復のほか、日曜/休日夜に1往復ルガーノ市街でのマーケット開催日午前平日夕方それぞれルガーノ発の0.5往復ずつが設定され1965年ダイヤでは通常11往復一部列車曜日により時刻変更あり)、土曜/日曜/祝日夜間と、夏季日曜/祝日深夜に1往復ずつ、平日/土曜日祝日除く)の夕方ルガーノ発の0.5往復が全列車各駅停車所要時間22分で設定されており、輸送人員1935年で265505人、1966年で451208人、貨物輸送量は両年とも1295tであったルガーノ-テッセレテ鉄道開業以来機材設備ともに大きな更新をせずに運行続けてきたが、1960年代になっていずれも老朽化が目立つようになり、特に橋梁橋脚強度問題となり、1967年5月27日全線廃止となっている。これにより、ABDe4/4形は1号機ティチーノ州地域鉄道譲渡されたが実際運行には使用され解体されているほか、2、3号機は譲渡はなくそのまま1968年解体されている。なお、1号機同様にティチーノ州地域鉄道譲渡されB4 15号車(旧C415号車)はA4 130号車となり、1991年にはアルプス山麓鉄道転属となって現在も運行されており、K 21、K 22号車(旧K2 2122号車)がルガーノ-ポンテ・トレーザ鉄道譲渡され1977年まで運行されているほか、ルガーノ駅とテッセレテ駅および一部の駅はバスターミナルもしくはバス停として使用され、テッセレテの車庫バス車庫転用されて現存している。

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アッペンツェル鉄道ABDm2/4 55-56形気動車」の記事における「運行・廃車」の解説

本機使用されるアッペンツェル鉄道のゴッサウ - アッペンツェル間はザンクト・ガレン州ゴッサウからアッペンツェル・アウサーローデン準州のウルネシュを経由してアッペンツェル・インナーローデン準州アッペンツェルに至る25.92kmの路線であり、最急勾配37パーミル標高638-904mの路線であり、ゴッサウでスイス国鉄に、アッペンツェル1947年アッペンツェル鉄道統合された旧アッペンツェル-ヴァイスバート-ヴァッサーラウエン鉄道のヴァッサーラウエン方面と、1988年アッペンツェル鉄道統合された旧ザンクト・ガレン-ガイス-アッペンツェル電気鉄道ザンクト・ガレン方面接続する本機1929年4月2日から実施され試運転では3両の客車牽引した68tの列車牽引して37パーミル勾配で約15km/hで、30パーミル勾配で約20km/hで走行する事が可能であることが確認されている。 本機その後実際運行使用されるようになったが、成績良好であり、最大ではダイヤの約75%を本機牽引する列車運行されていた。また、一部急行列車などではG4/5形蒸気機関車との重連でも運行されているが、本格的な運行電化までの短期間であり走行キロ数は1両約200000kmであった本機燃料価格差のほか、運転準備必要な時間が蒸気機関車の2時間比較して10分であることなどから、蒸気機関車比較して大幅なコスト削減なされており、268日間1日約220km走行)での比較において、蒸気機関車列車運行費用31,088スイス・フランであったのに対し本機では6,014スイス・フランであった1933年のゴッサウ-アッペンツェル間の直流1500Vでの電化後も本機はそのままBCe4/4 27-30形(後のABe4/4 40-43形)の予備機としてアッペンツェル配置されていた。夏季週末などにはアッペンツェルからヴァッサーラウエン方面列車用として運行されたほか、ヘリザウ-ゴッサウ間の近距離列車電力設備障害時、多客時の臨時列車事業用列車牽引などにも使用されている。 電車改造されたABFe2/4 46号機は、1956年から主にヘリザウ-ゴッサウ間の区間列車事業用列車として使用されている。なお、その後1973年運用外れ1983年には保存鉄道であるバレムベルク蒸気鉄道譲渡されマイリンゲン留置されレストア待ちとなっていたが、後に修復不能判断され解体されている。 ABFm2/4 56号機1975年アッペンツェル鉄道開業100周年記念して歴史的車両として旧塗装となるとともに修復工事を受け、形式旧形式のBCFm2/4 26号機となって動態保存され、現在ではアッペンツェル鉄道歴史的車両整備運行している団体であるAG2が運用をしている。

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運行・廃車

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ブレンガルテン-ディーティコン鉄道BDe4/4 10-11形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

ブレンガルテン-ディーティコン鉄道アールガウ州のヴォーレンからブレンガルテンを経由してチューリッヒ州のディーティコンに至る18.9 km路線であり、最急勾配56パーミル、最急曲線半径33 m、標高389 - 550 mの路線であり、両端駅でスイス国鉄接続するほか、ヴォーレンからブレンガルテン西間6.4 kmは1435 mm軌間の旧ヴォーレン-マイスターシュヴァンデン鉄道線との三線軌条、ディーティコン付近約1.3 km併用軌道となっている。なお、1990年5月27日にはチューリッヒのSバーン指定されてS-17系統となってアールガウ州からチューリッヒ州への通勤路線として運行されており、1995年以降には一部区間複線化が行われており、1995年以降には一部区間複線化が行われているほか、ヴォーレン - ブレンガルテン・ウエスト間の三線軌条2015年撤去されて、線路用地のみが引続きスイス国鉄からリースされている。 本形式導入され1930年代の同鉄道電車旅客列車貨物列車牽引する列車運行されており、本形式従来からの電車と共通で全線で、単行での運行のほか、混合列車を含む客車列車貨物列車牽引使用されており、重連総括制御機能持たないものの電車同士での重連でも使用されていた。 ブレンガルテン-ディーティコン鉄道ではその後輸送量増大して1965年には輸送人員132万人超え従来からの機材の老朽化進んでいたことから総合的な近代化を図るために1960年代さまざまな検討がなされ、結果として固定編成による列車により効率的なパターンダイヤを組むこととなって3車体連接式のBDe8/8形9編成1967年発注し1969年6月1日ダイヤ改正通常運行されるの全ての旅客列車置き換え同時に架線電圧900 Vから1200 Vに昇圧している。この結果従来1000 mm軌間機材のうち事業用もしくは貨物列車牽引用として残されることとなったBDe4/4 10および11号機とBe4/4 7II号機の計3機のみが架線電圧昇圧対応工事実施しそれ以外電車および事業用のものを除く客車全車廃車となっている。 事業用もしくは貨物列車牽引用として残されることとなったBDe4/4 10および11号機は引続き工事列車貨物列車牽引用として運用されており、前述のとおり昇圧合わせて荷物室の拡大工事実施されている。 1986年1999年にはBDe4/4 10号機11号機がそれぞれ団体列車用に改造され運用されているが、BDe4/4 11号機は2009年10月廃車となり解体されており、現在ではBDe4/4 10号機同じく団体列車用に改造されたBDe8/8 7III 号機とともに運用されている。

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運行・廃車

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ヴァルデンブルク鉄道BDe4/4 1-3形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

本機使用されるヴァルデンブルク鉄道スイス北部バーゼル南東バーゼル=ラント準州州都リースタルからヴァルデンブルク通り沿って川を遡り、ブーベンドルフ、ランベンベルク-ラムリンスブルク、ヘルシュタイン、ニーダードルフ、オーバードルフを経由してヴァルデンブルクに至る13.07 km片勾配路線であり、最急曲線半径60 m、最急勾配35 ‰、標高326 - 515 mの路線であり、リースタルではスイス国鉄バーゼルSBB駅からオルテン駅に至る路線接続する本機1953年10月25日全線電化同時に運行開始しており、単行での運行のほか、蒸気機関車牽引列車時代から引継ぎ全長13 m級オープンデッキ付き客車や、それらとほぼ同形1953年製のB 49-50形および1968年製のB 51-52形客車のほか、貨車牽引にも使用されているが、予備機無しでの運行であったその後1980年代にはヴァルデンブルク鉄道利用客急増したため機材一新し輸送力増強を図ることとなり、新しいBDe4/4 11-17形電車Bt 101-120号車1985年から1993年にかけて導入され本機1985年廃車となって全機解体されている。

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運行・廃車

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モントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道DZe6/6 2001-2002形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

モントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道全線全長75.3km、高度差526m、最急勾配68パーミル山岳路線であり、ツェントラル鉄道ブリューニック線ルツェルン - インターラーケン・オスト間とBLS AGのインターラーケン・オスト - ツヴァイジンメン間、モントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道のツヴァイジンメン - モントルー間を合わせてゴールデンパス・ラインを構成しているほか、ツヴァイジンメン - レンク間の路線有している。 1931年運行開始されたゴールデンマウンテン・プルマンエクスプレスは世界恐慌の影響運行中止となる1939年まで運転されており、1931年ダイヤでの運行以下の通りで、うち1往復についてはツヴァイジンメンでいずれも後にBLS AGとなるエルレンバッハ-ツヴァイジメン鉄道およびシュピーツ-エルレンバッハ鉄道ベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道経由してインターラーケン までのゴールデン・パスラインの標準軌区間列車接続をしていた。101列車モントルー11:10 - シャトーデー12:10 - ツヴァイジンメン着13:33接続列車:ツヴァイジンメン発13:43 - インターラーケン・オスト着14:58103列車モントルー14:00 - シャトーデー15:20 - ツヴァイジンメン着16:19 102列車:(接続列車:インターラーケン・オスト発10:43 - ツヴァイジンメン着11:58)ツヴァイジンメン発12:05 - グシュタード12:43 - モントルー14:18 104列車:ツヴァイジンメン発16:19 - グシュタード16:56 - シャトーデー17:18 - モンボヴォン発17:37 - レザヴァン発18:18 - モントルー18:38 1931年運行ではBFZe4/4 23-26形が牽引しそのうち24号機はクリーム色と紺のゴールデンマウンテン・プルマンエクスプレス塗装変更されており、1932年からは本形式がその牽引をしている。列車はCLWLのプルマン車であるAB4ü103-106形とモントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道自社所有していたサロン車であるAB4ü101号車、AB4ü102号車、CSWRの運営する食堂車であるDr411-13形、Dr417号車と、通常の客車とで編成組んでおり、接続する1435mm軌間ツヴァイジンメン - インターラーケン・オスト間の列車ではCIWLサロン車である2444E-2446E号車の3両が編成組み込まれていた。 1968年にABDe8/8 4001-4004形が導入されるまでは本形式鉄道最大出力機体であったため、貨物列車牽引にも多用されており、197779年ロールボック積載貨車対応改造後標準軌貨車直通貨物列車牽引しているほか、ツヴァイジンメン - レンク間では同じくロールボック積載した標準軌客車による列車牽引している。 その後1983年のGDe4/4形電気機関車増備などにより次第運用外れ2001号機は1988年運用外れてモンボヴォンに留置され部品取等に使用された後2007年廃車となった後に静態保存されており、2002号機は2002年運用外れてグシュタード留置された後に2008年には博物館鉄道であるブロネイ-シャンビィ博物館鉄道譲渡され動態保存されている。

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運行・廃車

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ブリエンツ・ロートホルン鉄道H2/3 1-5形蒸気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

製造後ブリエンツ・ロートホルン鉄道全線運用されている。この鉄道スイス国鉄唯一の1m軌間路線で現在ではツェントラル鉄道路線となっているブリューニック線およびブリエンツ湖船運接続するブリエンツから、標高2350mのブリエンツ・ロートホルン山頂付近のロートホルンクルムへ登る登山鉄道であり、全長7.60km、標高566.0-2244.0m、最急勾配250パーミル山岳路線である。ラック方式ラックレール2条アプト式で、ピッチ120mm、歯末たけ15mm、歯先レール面上高50mm、歯厚25mmとなっている。 ブリエンツ・ロートホルン鉄道開業時用意され機材以下の通りであり、本形式客車1両を押し上げる形で列車運行されており、多客時には続行運転で運転されるまた、開業から現在に至るまで冬季運休している。蒸気機関車(4機):H2/3 1I-4号機(本形式客車(5両):C 1-2形3等客車)、C 11-12形(3等オープン客車)、CF 21形3等/荷物客車貨車(2両):M 1-2形(無蓋車蒸気機関車その後1912年ヴェンゲルンアルプ鉄道からH2/3 1号機譲受けラック方式を同鉄道ラックレールラダー1条のリッゲンバッハ式の亜種であるパウリ-リッゲンバッハ式からアプト式変更の上使用されている。 しかし、ブリエンツ・ロートホルン鉄道開業後はヴェンゲルンアルプ鉄道など他の各地登山鉄道開業や、ジュラ-シンプロン鉄道1903年まで)およびスイス国鉄1903年以降)によって運行されていたブリューニック線ルツェルン - ブリエンツ間のみの運行で、1916年ブリエンツ - インターラーケン・オスト間が開業するまで、インターラーケン方面からブリエンツまでは船運しかなかったことなどから、利用客数伸びていなかったこともあり、第一次世界大戦の影響もあって1914年8月1日運行休止し1931年6月14日運行再開するまでは1918年以降途中のプランアルプから少量木材輸送実施されるのみとなっていた。本形式その間整備続けられており、運行再開後にH2/3 2-5号機が過熱改造実施しつつも引続き使用されており、過熱化した機体は、上り方向所要時間80分から55分に短縮されたほか、中間駅での水の補給片道2回から1回減少している。また、1933、36年には客車2両を押し上げることができる新形式であるHG2/3 6-7形客車増備なされている。 H2/3 1I号機は1940年ボイラー故障により運行されなくなり1961年にその代替としてモンテ・ゼネロッソ鉄道よりH2/3 7号機譲受し、1I号機を解体して得られ部品組み合わせてH2/3 1II号機としている。この機体はもともとグリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道の電化により1941年モンテ・ ゼネロッソ鉄道譲渡されたH2/3 4号機であり、グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道所有していた1914年時点ボイラー過熱式化改造実施している。 その後輸送力増加伴って1970年代入ってHm2/2 8-11ディーゼル機関車導入されて本形式などの蒸気機関車とともに運行され気動車導入計画されたこともあった。さらに 1992-96年、05年には新設計・新造蒸気機関車であるH2/3 12...16形が増備されており、次第運用外れている。2010年頃時点では、H2/3 1II号機が廃車となり、H2/3 3、45号機運用外れて保管され、H2/3 2号機のみが週1便のソーセージ急行臨時列車のサロン・ルージュ・サービスで運用されていたが、その後H2/3 5号機運用復している。

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ヴェンゲルンアルプ鉄道BDhe4/4 101-118形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

製造後ヴェンゲルンアルプ鉄道全線旅客列車および貨物列車牽引しているが、この路線はインターラーケン・オストから出るベルナーオーバーラント鉄道接続する標高795 mのラウターブルンネン右回りルートもしくは1034 mのグリンデルヴァルト左回りルート)からユングフラウ鉄道接続する標高2061 mのクライネ・シャイデックに至る右回りルート全長8.64 km左回りルート全長10.47 km全線パウリ・リッゲンバッハ式のラック区間で最急勾配250 ‰の山岳路線である。 本形式客車もしくは制御客車1 - 2両と編成組んで運行されており、本形式常時勾配下側配置されるようになっており、勾配の上下り変化するクライネ・シャイデックおよびグリンデルヴァルト=グランドの両駅はスイッチバックとなっている。なお、編成最大3両編成と短いため、多客時には続行転により運行されている。 105号機は2005年5月Bt 225号車とともにシーニゲ・プラッテ鉄道譲渡され運行されていたが、同年8月24日洪水により浸水して運行不能となり、翌2006年4月解体されている。また、103号機が2005年廃車となっている。 なお、2010年代における対応する客車制御客車以下の通り。B 221223形:221223号車 Bt 211-214形:211-214号車 Bt 221-226形:222224226号車 Bt 261-266形:261-263、266号車 Bt 267-278形:267、270-278号車

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運行・廃車

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ルガーノ-カドロ-ディノ鉄道BDe2/3 1-4形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

ルガーノ-カドロ-ディノ鉄道スイス国鉄主要幹線であるゴッタルド線のゴッタルドトンネル抜けたアルプス山脈南側ティチーノ州ルガーノ湖畔の街ルガーノ市内および近郊私鉄路線であり、ルガーノ湖畔の水運およびルガーノ市内線連絡する標高272 mのルガーノ・マンツォーニ広場から市街抜けて北方ディーノ川のカッサーレーテの谷の左岸をプレガッソナ通り、カントレーナ通りなどに沿って遡り途中カッサーレーテの谷から分かれたディーノ川添いの集落標高482 mのディノまでの全長7.8 km(うち併用軌道2.1 km)、軌間1000 mm、最急勾配40 ‰の路線であったまた、カッサーレーテの谷は古い時代には洪水多発していたことから集落が谷の斜面発達したため、谷の対岸右岸側にも同鉄道と約1 km間隔並行して、ほぼ同距離の私鉄であるルガーノ-テッセレテ鉄道運行をしていた。なお、このルガーノ-テッセレテ鉄道起点スイス国鉄ゴッタルド線のルガーノSBB駅前であった1911年1月2日にルガーノ・マンツォーニ広場 - ラサンタ間、6月27日にラサンタ - ディノ運行開始したルガーノ-カドロ-ディノ鉄道ディノまで途中14駅を設けディノ留置線、ラサンタ車庫駅には車庫工場併設していたが、終点ディノ含め沿線ルガーノ近郊集落大きな街はなく、ルガーノへの通勤通学客の近郊輸送中心に観光客輸送もあったが旅客輸送量の伸び鈍く列車終始形式その他の電車牽引する単行もしくは数両の客車牽引する列車十分な規模で、貨物輸送実質的に行われていなかった。開業時には本形式のほか、以下のとおり客車貨車用意されていたが、いずれも2軸の小型車であり、C2 21号車は座席屋根のみを設置したオープン客車であった客車C2 11C2 21 有蓋車:EK2 51 その後輸送量増加とともに電車客車増備行なって運用したほか、ルガーノ市内の区運用ルガーノ市内線使用されていた2軸単車3両を導入し、ルガーノ・マンツォーニ広場 - ラサンタ間で専用運行されていた。また、制御客車導入されず、初期においては電車が1両程度客車牽引していたほか、1940年代以降客車列車両端に本形式などの電車連結した形態運行されている。 旅客列車1965年ダイヤでは通常13往復夏季日曜/祝日深夜に1往復所要時間約25-30分で設定されていたほか、市街地内のルガーノ・マンツォーニ広場 - ラサンタ間2.0 km15分間隔で運行されており、輸送人員1936年で391704人、1969年で361328人であったその後1950-60年代に入ると自動車輸送増加に伴いルガーノ市内においても自動車増加して併用軌道輸送に困難をきたすようになったため、ルガーノ市内線1959年廃止となり、ルガーノ-カドロ-ディノ鉄道ルガーノ市内区間であるルガーノ・マンツォーニ広場 - ラサンタ間の区間運行1964年12月31日廃止となり、さらにその後1967年11月27日にはルガーノ・マンツォーニ広場 - ルガーノ・インデペンデンツァ広場500 m廃止となっている。 本形式残ったルガーノ・インデペンデンツァ広場 - ディノ間で運行続けていたが、この区間1970年5月30日バス転換され全線廃止となり、本形式は3両とも他社には譲渡されそのまま廃車となっている。なお、本形式と編成組んでいたオープン客車であるB2 21号車(旧C2 21号車)が個人譲渡された後、1990年にはブロネイ-シャンビィ博物館鉄道譲渡され動態保存されているほか、同じく個人譲渡されB2 31号車同じく個人譲渡された後、1998年ティチーノ州保存鉄道であるメソルチーナ鉄道譲渡されたが2011年廃車となっている。また、同じく形式と編成組んでいたBe4/4 9形号機はモントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道譲渡されてBe4/4 1001II号機となっており、現在では入換用として使用されている。

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ベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道Ae485形電気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

ベルンブリーク間のレッチュベルクルートレッチュベルクトンネル)を越え貨物列車に主に使用されている。 1990年代以降スイス連邦鉄道スイス国鉄)Re460形やRe465形、Re485形が使用されるうになる次第運用からはずれ、1998年火災により放置されていた271272号機が2003年廃車になり、274275号機は2004年廃車となっている。 2002年には特別列車牽引してスイス国鉄のゴッタルド線で使用されている。 273号機も2004年定期運用から外れているが、BLSレッチュベルク鉄道BLS AGで「歴史的機関車」として動態保存されてイベント列車等を牽引している。また、275号機がVHS保存されていたが、2006年BLS戻っている。

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ゼルンフタル鉄道BDe4/4 5-7形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

形式使用されるゼルンフタル鉄道は、スイス東部グラールス州中央南北流れリント川沿い標高521 m、スイス国鉄接続するシュヴァンデンの街から、リント谷の支谷であるゼルンフ川のゼルンフ谷を遡り途中工場のあるエンギ・フォルタードルフ、交換設備のあるワースマットなど11駅を経由して標高962 mのエルムに至る軌間1000 mm全長13.8 km路線であった。最急勾配68パーミル、最急曲線半径は30mでトンネルはなく、橋梁も2か所のみであったまた、全線のうち13.5kmがゼルンフ川沿いの狭い街道との併用軌道になっており、多く区間では街道片側軌道敷設され集落内など特に道路幅員のないところでは軌道道路幅一杯となる箇所もあった。 本形式導入後単行もしくは客車および貨車牽引する列車運用されており、それまでの2軸単車のBDe2/2 1-3形およびBDe2/2 4形が最高速度25 km/hでの運転であったのに対し、本形式45 km/hでの運転となり、全線所要時間52分から42分に短縮されている。牽引していた客車および貨車以下の通りで、いずれも開業以来のものを中心とした2軸車で、客車木造鋼板張り車体のもの計5両、貨車木造車体のもの計19であった客車B2 12-13形、 B2 14形、 B2 15形 有蓋車:K 31-34形、K 35形、K 36形 無蓋車: L 41-45形、L 46-47形、L 48-49形、L 50形、M 81形、M 82-83形 ゼルンフタル鉄道沿線産業は主に農業と畜産業のみで大きな観光地ともならず、古くからの産業であった沿線でのスレート産出1960年代までには終了し沿線輸送自動車移行しており、本形式導入後状況好転しなかった。また、毎年のように発生する土砂崩れ雪崩被害からの復旧や、自動車増加によって併用軌道維持にかかる費用増加していた。このため経営状況芳しくなく、1935年年間旅客輸送人数163794人、貨物輸送量8579 t、1965年でも同じく294144人、5623 tという状況であったその後、1968-69年の冬雪崩大きな被害受けたことも契機となり、同年5月31日には廃止となり、ゼルンフタル鉄道から社名変更したゼルンフタル交通バス転換されている。 後述通りオーストリアシュターン・ハッファール旅客交通ET 26.108形となっていた本形式のうち2両をゼルンフタル鉄道沿線であったエンギにあるゼルンフタル鉄道博物館戻して保存するプロジェクト実施され2016年9月30日には旧BDe4/4 6号機であるET26.109号機が同博物館まで陸送されてゼルンフタル鉄道使用されていた当時塗装復元され2017年7月には旧BDe4/4 5号機であるET26.110号機が当時形態復元され上で同様にゼルンフタル鉄道博物館にの輸送され展示されている。 開業時用意され、本形式前に使用されていた2軸電車のBDe2/2 1号機、2軸客車B2 13形号車牽引している 同じく開業時用意されて、本形式前に使用されていた2軸荷物電車のFe2/2 21号1928年増備された2軸電車のBDe2/2 4号機、現在はブロネイ-シャンビィ博物館鉄道保管されている、1930年代

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西ドイツ国鉄VT98型気動車」の記事における「運行・廃車」の解説

本機製造後広く西ドイツ全国運用されており、支線区間のみならず本線系統区間列車としても運行されていた。また、VT98型とVS98型の2両編成もしくはその間にVB98型を連結した3両編成での運用が主であり、想定では以下のような6両編成までが計画されていたが、実際にそれより長い編成でも運行されている。VT - VB - VB - VB - VB - VT VT - VS - VS - VS - VS - VT VS - VB - VT - VT - VB - VS VT - VB - VS - VT - VB - VS VT - VB - VB - VT - VB - VS VT - VB - VS - VS - VB - VT VS - VS - VT - VT - VS - VS また、VT98型1機に対して通常2両、最大3両のVB98型もしくはVS98型で編成を組むこととなっていた。 その後1970年代より少しずつ運用外れその後1980年より本格的な廃車が進むようになり、1990年代半ばにはほとんどの機体運用から外れ2000年定期運用終了している。 廃車後はVT98型13機とVS98型1両が信号検測車などの事業用車の721型、725型、728型、740型に改造されている。これらは必要な装備搭載して事業用車標準黄色塗装となって運用されていた。 その他ドイツ国内私鉄保存鉄道鉄道車両保存団体多く譲渡されたほか、一部機体後述通り国外にも譲渡されている。

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運行・廃車

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イタリア国鉄E.428電気機関車」の記事における「運行・廃車」の解説

形式1934年電化されたフィレンツェ - ボローニャ間のディレッティシマ1936年電化完了予定であったフィレンツェ - ナポリ間で長距離高速客車列車牽引する運行使用することを想定して製造されており、製造後は主に「StellaもしくはSpecial」形客車編成され最高速度110km/hの急行列車牽引使用されている。なお、1938年にはローマ - ナポリ間の試運転で156km/hを記録している。当初配置され機関区以下の通りミラノ フィレンツェ リヴォルノ ローマ ナポリ レッジョ カラブリア 第3シリーズのうち減速比2.88の高速型のE.428.225-242号機の39機は製造後には一部区間最高速度が130km/hのミラノ - ナポリ間の高速客車列車牽引使用され1946年にはミラノ中央ローマリヴォルノの各機関区配置されミラノ - ボローニャ間とローマ - ナポリ間で運用されていた。なお、当時最速列車1936年から製造され最高速度160km/hのETR.200電車運行されていた。 第二次世界大戦により、E.428.035、036、040090、091、108139242号機が大きな被害を受け、特に損傷大きかったE.428 090242号機は復旧されずに廃車となっているが、残りの6機は1947年6月から1951年12月にかけて復旧されている。また、同様に戦災受けたE.428.162号機は1942年復旧の際に、車体オリジナル第2シリーズのものから第3シリーズ同一ものに交換されている。 E.646などの新し機関車増備に伴い、本形式徐々に貨物用転用されることとなり、1972年には最高速度を100km/hに制限している。 1979年より廃車始まり1984年終わりには以下の6機関区に計218機が配置されていた。ミラノ・スミスタメント メストレ ボローニャ=サン・ドナート リヴォルノ アンコーナ フォッジア 1987年夏ダイヤではフォッジア機関区配置され機体バーリ - ターラント間の定期貨物列車のほか、時折ボローニャへの貨物列車牽引使用されており、翌1988年初めに17機が稼働しており、1989年まで運行されていた。また、シャトルトレイン用に改造されたE.428.226号機はボローニャ1991年まで定期列車牽引していた。 現在動態保存されている機体配置機関区以下の通り。E.428.014(第1シリーズ):ピストイア E.428.058(第1シリーズ):トリノ E.428.202(第3シリーズ):ラ・スペツィア E.428.226(第4シリーズ):ラ・スペツィア 静態保存されている機体以下の通り。E.428.131(第3シリーズ):サヴィリアーノピエモンテ鉄道博物館保存 E.428.174(第3シリーズ)およびE.428.208(第4シリーズ):ルイーノ拠点を置く鉄道保存団体であるVerbano Express Associationにより保存 E.428.209(第4シリーズ):ピエトラルサ国立鉄道博物館保存

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運行・廃車

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カラブロ-ルカネ鉄道M2DE 50形気動車」の記事における「運行・廃車」の解説

1937年竣工した10両は各機1500 - 2000 km程度試運転行い性能要件満たしていることを確認しており、平坦線での最高速度80 km/hであり、その後M2DE 53 - 58号機の6両がバーリ-モンタルバーノ・イオーニコ線のバーリに、M2DE 51 - 52および59 - 60号機の4両がコゼンツァ-カタンザーロ・リド線のカタンツァーロ配置され営業での使用開始された。1937年4月21日から同年11月末までの約7ヶ月間での各機の走行実績最少28300 km(M2DE 56号機)、 最多55600 km(M2DE 59号機)、平均43030 kmであったバーリ配置され機体バーリ-モンタルバーノ・イオーニコ線やアルタムーラ-アヴィリアーノ-ポテンツァ線などで運行されていた。バーリ-モンタルバーノ・イオーニコ線は、イタリア南部プッリャ州州都で、バーリ県県都でもあるアドリア海沿岸バーリにあるバーリ中央駅から、バーリ県第2の都市であるアルタムーラ経由してバジリカータ州マテーラ県県都で、世界遺産マテーラの洞窟住居知られるマテーラにある標高408 mのマテーラ南駅に至る75.3 km路線であり、本形式運行されていた当時はさらに南下して同県フェッランディーナピスティッチ経由してモンタルバーノ・イオーニコに至る141.2 km路線であり、全線950 mm軌間であったが、フェッランディーナ - モンタルバーノ・イオーニコ間は1972年に、その後マテーラ南 - フェッランディーナ間が廃止されている。バーリ中央ではイタリア国鉄アドリア線およびバーリ-マテーラ・フランカ-ターラント線に、アルタムーラではイタリア国鉄ロッケッタ・サンタントーニオ-ジョーイア・デル・コッレ線にそれぞれ接続しフェッランディーナ - ピスティッチ間ではイタリア国鉄バッティパーリア-ポテンツァ-メタポント線に並行していた。 アルタムーラ-アヴィリアーノ-ポテンツァ線はバーリ-モンタルバーノ・イオーニコ線のアルタムーラから分岐してバジリカータ州ポテンツァ県アヴィリアーノのアヴィリアーノ・ルカニア駅を経由してバジリカータ州州都ポテンツァ県県都でもあるポテンツァポテンツァ中央駅に至る118.3 kmと、アヴィリアーノ・ルカニア駅からアヴィリアーノ・チッタ駅に至る7.7 km支線からなる路線であり、全線950 mm軌間であった。アヴィリアーノ・ルカニア駅 -ポテンツァ中央駅間ではイタリア国鉄フォッジャ-ポテンツァ線と並行しポテンツァ中央駅ではバッティパーリア-ポテンツァ-メタポント線と接続している。 カタンツァーロ配置され機体運行されていたコゼンツァ-カタンザーロ・リド線はイタリア南部カラブリア州コゼンツァ県県都である標高202mのコゼンツァから、途中標高866mのビアンキカタンザーロ県標高201mのカタンザーロ・チッタを経由してカタンザーロ分離集落であるイオニア海沿岸のカタンザーロ・リドに至る950mm軌間全長109.8kmの路線であったコゼンツァではイタリア国鉄コゼンツァ-シーバリ線とパオラ-コゼンツァ線に接続し標高423mのペダーチェからはカラブロ-ルカネ鉄道コゼンツァ-サン・ジョヴァンニ・イン・フィオーレ線が分岐しており、カタンザーロ・リドではイタリア国鉄イオニア線およびラメーツィア・テルメ-カタンザーロ線と接続している。なお、本形式運行されていた当時ラメーツィア・テルメ-カタンザーロ線がカタンザーロ・サラ(当時駅名カタンザーロ) - カタンザーロ・リド間で本路線並行していたほか、カタンザーロ・チッタおよびカタンザーロ・サラではカタンザーロ市内線接続していた。同線の粘着区間の最急勾配35パーミルであったが、尾根上に広がっていたカタンザーロ旧市街地内のカタンザーロ・プラティカ - カタンザーロ・サラ間のうち2.05kmが最急勾配100パーミルラック区間となっており。、ラック式のM1C 80形および500形蒸気機関車が主にカタンザーロ・チッタ - カタンザーロ・リド間で運行されており、本形式ラック区間では運行されていない第二次世界大戦中1943年にはマテーラの駅でドイツ軍の攻撃により損傷したM2DE 58号車廃車となっている。 1961年12月23日発生したフィウマレッラ鉄道事故契機地中海-カラブロ-ルカネ鉄道の各路線の運行は、1964年1月1日からカラブロ-ルカネ鉄道担当することとなり、本形式も同鉄道所有となっている。なお、本形式運用終了後1990年には同社二分され、コゼンツァ-カタンザーロ・リド線を中心とするカラブリア鉄道およびアップロ・ルカーネ鉄道となって現在に至っている。 本形式コゼンツァ周辺では1970年代半ばまで運行されており、バーリ-モンタルバーノ・イオーニコ線では1973年にM2DE 53号機とM2DE 56号機解体され最終運行1974年マテーラ南 - フェッランディーナ間での運行であったまた、M2DE 59号機はコゼンツァ駅に留置されていたが1999年解体されている。 1994年ポンテデーラピアッジオ社本社に隣接して開設されピアッジオ博物館にM2DE 54号車静態保存されている。また、1983年3月にはローマ近郊公園であるSelva di Paliano観光鉄道運行する予定でM2DE 55号車およびM2DE 57号車譲渡されたが、その後観光鉄道運行停止されたためそのまま放置され、現在では1両が公園施設として使用されている。 1960年時点カラブロ-ルカネ鉄道路線図 コゼンツァ-カタンザーロ・リド線の路線図 コゼンツァ-カタンザーロ・リド線の線路高低図、赤色部分は本形式運用されなかったラック区間 バーリ配置されていた機体運用されていた区間とほぼ同一の、現在の Ferrovie Appulo Lucane鉄道路線図

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運行・廃車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 15:36 UTC 版)

アッペンツェル鉄道ABDeh4/4 1-5形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

形式使用されるアッペンツェル鉄道ザンクト・ガレン - アッペンツェル間は、スイス東部中心都市であるザンクト・ガレン州ザンクト・ガレンからアッペンツェル・アウサーローデン準州ガイス経由してアッペンツェル・インナーローデン準州アッペンツェルに至る20.06 km、最急勾配100パーミル標高669.3 - 928.2 mの路線であり、ザンクト・ガレン2006年アッペンツェル鉄道統合された旧トローゲン鉄道トローゲン方面スイス国鉄スイス南東鉄道に、途中ガイスで旧アルトシュテッテン-ガイス鉄道のアルトシュテッテン方面に、アッペンツェル1947年アッペンツェル鉄道統合された旧アッペンツェル-ヴァイスバート-ヴァッサーラウエン鉄道のヴァッサーラウエン方面と、アッペンツェル鉄道ヘリザウ方面接続する。 この路線はもともとは途中7箇所4.9 kmにリッゲンバッハ式の亜種であるリッゲンバッハ-クローゼ式のラック区間敷設されていたが、1983年までに路線改良が行われて6箇所ラック区間迂回路設ける、もしくは69パーミル以下の区間ラックレール撤去して粘着式とするなどして廃止されザンクト・ガレン付近に残る1箇所についても線形の改良がなされ、最急勾配92パーミルから100パーミルに、距離が978 mから946 mに変更され、この区間ラックレールはシュトループ式との併用となっているほか、トイフェナー通り区間併用軌道ラック区間となっている。 本形式1931年ザンクト・ガレン - アッペンツェル間の直流1500 Vと同時に運行開始しており、客車列車貨物列車牽引使用されており、1953年のABDeh4/4 6-8形増備後も同形と共に使用されていたが、同形式が旧アルトシュテッテン-ガイス鉄道線でも運行されていたのに対し、本形式は旧ザンクト・ガレン-ガイス-アッペンツェル電気鉄道線でのみ運行されていた。その後1981年に本形式代替としてBDeh4/4 11-17形の11-15号機が導入される基本的に旅客列車運用から外れているが、1990年6月1日からはガイス - アッペンツェル間でロールボック積載した標準軌貨車による貨物列車牽引している。この際にはロールボックと本形式間を連結棒で連結するか、本形式ロールボック積載標準軌貨車の間に、本形式用の+GF+式および、ロールボック積載した標準軌貨車連結器の高さに合わせた標準軌ねじ式連結器双方連結器備え控え車連結していた。 ABDeh4/4 1号機1994年事業用車種別変更され形式、機番もXeh4/4 91号機に変更され工事列車牽引などに使用されていた。なお、外観等には変更はなく機番の身を変更した状態で運行されている。 なお、各機体廃車年は以下のとおりであり、廃車早い3号機アッペンツェル鉄道引き継がれずに廃車となっているほか、5号機歴史的車両として旧塗装となるとともに修復工事受けて動態保存され、同様に動態保存されている客車と共に運行されている。また、Xeh4/4 91号となっていた旧ABeh4/4 1号機廃車後に、ジュラ鉄道路線利用して動態保存車両運行している保存鉄道のラ・トラクションに譲渡され修復待ちの状態となっている。各機体廃車年は以下の通り。1(91) - 1990年 - 保存鉄道のラ・トラクションへ譲渡 2 - 1992年 3 - 1981年運行停止1987年廃車 4 - 1996年 5 - 歴史的車両として動態保存

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運行・廃車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/16 04:20 UTC 版)

ヴェンゲルンアルプ鉄道BDhe4/8 131-134形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

製造後ヴェンゲルンアルプ鉄道全線運行されているが、この路線はインターラーケン・オストから出るベルナーオーバーラント鉄道接続する標高795mのラウターブルンネン右回りルートもしくは1034mのグリンデルヴァルト左回りルート)からユングフラウ鉄道接続する標高2061mのクライネ・シャイデックに至る右回りルート全長8.64km、左回りルート全長10.47km、全線パウリ・リッゲンバッハ式のラック区間で最急勾配250パーミル山岳路線である。 本形式製造後ラウターブルンネン側でBDhe4/8 131号機とBDhe4/8 133号機、Bt 231号車編成が、グリンデンヴァルト側でBDhe4/8 132号機とBDhe4/8 134号機が運行されており、後にBDhe4/8 131号機とBDhe4/8 133号機の運転室後部ラウターブルンネン紋章が、同じくBDhe4/8 132号機とBDhe4/8 134機にはグリンデンヴァルトの紋章設置されている。 その後ヴェンゲルンアルプ鉄道輸送力増強計画であるWAB2005計画によって、グリンデンヴァルト側の列車最大6両編成運行するとともに全線低床式バリアフリー対応機材導入することとなり、本形式と編成を組むための新たな制御客車として、2003年シュタッドラー・レール製のBt 251-253形部分低床式制御客車3両が導入されている。この車両全長22900mmの2車体3台車座席定員68名で台車間を低床式とした片運転台式の制御客車で、1998年にBDhe4/4 119-124形用に導入されBt 241-243形の改良型となっている。このWAB2005計画によってグリンデンヴァルト側で通常運行使用される列車基本的に2004年導入された3両固定編成新し部分低床式電車であるBhe4/8 141-144形の重連2編成と、BDhe4/8 132号機、BDhe4/8 134号機とBt 251-253形1編成もしくはBDhe4/8 131号機、BDhe4/8 133号機とBt 251-253形1編成の6両3編成となり、輸送力増強続行運転の廃止による運行効率化図られている。なお、ラウターブルンネン側ではBDhe4/8形とBt 251-253形との重連2編成運行されるほか、余剰となったBt 231号車2003年廃車となっている。 なお、本形式偏心台車ラック駆動装置側が常時勾配下側配置されるように運行される必要があるため、勾配の上下り変化するクライネ・シャイデックおよびグリンデルヴァルト=グランドの両駅はスイッチバックとなっている。

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運行・廃車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/08/15 05:44 UTC 版)

マルティニ・シャトラール鉄道ABDe2/4 21-22形電車」の記事における「運行・廃車」の解説

マルティニ・シャトラール鉄道線軌間1000mm、開業当初全長19.072km、その後1931年路線改良されて18.363km、最急勾配粘着区間70パーミル、シュトループ式のラック区間200パーミル路線であり、1906年マルティニー - ル・シャトラール=フロンティエール間18.8km(当時)が開業し1908年にはル・シャトラール=フロンティエール - スイス/フランス国境間0.29kmが開業して同じくフランス国内のヴァロルイーネから国境まで路線延長したコル・デ・モンテ線接続している。開業時には直流750V、1957年以降直流850Vで電化されており、山岳部のヴェルネイヤーズ - ル・シャトラール=フロンティエール間では第三軌条からの集電としていたが、道路横断者等の安全確保のため、1991年-97年にかけてフィンハウト - ル・シャトラール=フロンティエール間、サルヴァン - ル・トレティアン間が架線集電変更されている。この路線ローヌ川沿いでスイス国内イタリアフランス方面への街道交差する古くからの交通 の要衝で、スイス国鉄主要幹線ローザンヌ - ブリーク線のマルティニー駅に隣接する標高467mのマルティニ・シャトラール鉄道マルティニー駅を起点として、ヴェルネイヤーズからサルヴァンまでは総延長約2.5kmの200パーミルラック区間で、サルヴァン以降は最急70パーミル粘着区間同じくローヌ川から分かれたトリアン川に沿って西方にトリアンの谷を遡り、フィンハウトで路線最高の1224m地点を過ぎ、引き続き最急70パーミル粘着区間で、名を変えたオー・ノワール川に沿って標高1115mのル・シャトラール=フロンティエールに至り、そこからスイス/フランス国境を越えてヴァロルイーネに至っている。 国境フランス側コル・デ・モンテ線当初パリ・リヨン・地中海鉄道、現在ではフランス国鉄により運営されている、軌間1000mm、最急勾配90パーミル全線粘着式、第三軌条集電山岳路線であり、フランス国鉄標準軌路線接続するサン=ジェルヴェ=レ=バン・ル=ファイエからモンブラン山麓リゾート地であるシャモニー=モン=ブラン、ヴァロルイーネを経由してスイス/フランス国境へ至っている。なお、同鉄道1950年代まで架線電圧が600Vであり、全線直通運転1997年に両鉄道のBDeh4/8 21-22形およびZ800形によるモンブラン急行運行開始されるまで行われていなかった。 開業当初5月から8月までの夏季のみの運行であり、冬季運行開始1931年から実施されることとなり、以降スノーシェッド除雪車徐々に整備している。 本形式開業後マルティニ・シャトラール鉄道全線で主に旅客列車として単行運行されていたが、BCFe4/4 1...15形との重連ラック区間通過列車として運用されることもあった。1908年ダイヤでは旅客列車1日あたり全線直通列車としてマルティニー - ル・シャトラール=フロンティエール - ヴァロルイーネ間が6往復区間列車としてマルティニー - サルヴァン間とフィンハウト - ヴァロルイーネ間がそれぞれ1往復の運転であり、本形式はこの区間列車使用されている。なお、貨物列車は主にGe2/2形とABDeh4/4 31-32形が牽引していたが、本形式マルティニー - ヴェルネイヤーズ間などの平坦線では2軸貨車牽引した列車運行されている。運転速度は、平坦線マルティニー - ヴェルネイヤーズ間が17km/h、サルヴァン - ヴァロルイーネ間の70パーミル粘着区間が12-18km/h、最高運速度前記区間それぞれで25km/h、20km/hあった。 1957-64年に新し軽量車体を持つラック電車であるABDeh4/4 4-8形(後のBDeh4/4 4-8形)電車と、これと編成を組むBt 63-68形制御客車導入されて本形式順次代替されており、ABFe2/4 21号機が1957年廃車となり、ABDe4/4 22号機は1990年まで事業用としてマルティニー - ヴェルネイヤーズ間で貨車牽引したり、両駅構内入換用として使用されていたがその後廃車となっている。なお、このころのABDe2/4 22号機は電磁吸着ブレーキ集電靴など一部装備撤去されていた。各機体廃車年は以下の通り21 - 1957年 22 - 1990年

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