フルカ・オーバーアルプ鉄道
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「フルカ・オーバーアルプ鉄道HG3/4形蒸気機関車」の記事における「フルカ・オーバーアルプ鉄道」の解説
1923年のブリーク-フルカ-ディゼンティス鉄道の破産に際して一旦全機が運行を停止したが、フルカ・オーバーアルプ鉄道に全機が引継がれて引続きの運行および全線開業に向けた建設工事に使用されており、1925年夏ダイヤ当時の運行は以下の通りであった。ブリーク発(所要時間約2時間20-40分):7:05、11:00(7、8月の多客時のみ)、13:00(7月15日以降運転)、16:30 グレッチ発(所要時間約2時間15-30分):6:30、11:40(7月15日以降運転)、15:20(7、8月の多客時のみ)、17:20 建設工事は1925年に終了して試運転が実施され、冬季の運休期間を経て翌1926年7月4日にグレッチ - ディセンティス/ミュスター間 (50.7km) が開業して全線での運行が開始され、ディセンティス/ミュスターで接続するレーティッシュ鉄道との直通運転が開始されてクール - ブリーク間を客車が直通するようになったが、レーティッシュ鉄道は当時すでに電化されており、ディセンティス/ミュスターで機関車の交換がされていた。その後1927年にはBCFm2/2形ラック式気動車の21及び22号機が導入されてローカル運用に充当されるようになり、1930年代においてはHG3/4形は10機で年間約140-197千km、BCFm2/2形は2機で約11-17千kmの走行距離であった。一方で、おなじく旧フルカ・オーバーアルプ鉄道のシェレネン線は本形式が運用されていた当時はシェレネン鉄道のHGe2/2形電気機関車を使用して運行されており、客車のみが直通しており本形式は同線では運行されていない。なお、1927年夏ダイヤのうち、ピーク期の7月1日-9月10日間での運行は以下の通り。ブリーク - ディゼンティス/ミュスター間:3往復(いずれも主要駅のみ停車、所要約4時間45-5時間20分)ブリーク発:9:04、11:15、13:00 ディゼンティス/ミュスター発:9:05、12:10、15:00 ブリーク - アンデルマット間:2往復(所要約3時間15分-4時間40分)ブリーク発:6:45、17:00 アンデルマット発:7:46、15:55 アンデルマット - ディゼンティス/ミュスター間:1往復(所要約1時間40分)アンデルマット発:9:00 ディゼンティス/ミュスター発:17:28 セドルン - ディゼンティス/ミュスター間:1往復(所要約25分)セドルン発:8:10 ディゼンティス/ミュスター発:7:35 1930年6月6日には旧ブリーク・フィスプ・ツェルマット鉄道のブリーク - フィスプ間が開業してレーティッシュ鉄道のクールやサンモリッツからフルカ・オーバーアルプ鉄道を経由して旧ブリーク・フィスプ・ツェルマット鉄道のツェルマットまで客車の直通が行われるようになり、6月22日には現在まで運行の続く氷河急行の運転が開始されてフルカ・オーバーアルプ鉄道内では本形式がこれを牽引しているが、食堂車については本形式では牽引力が不足していたことと、使用されていたMITOROPAのDr4ü 10-12形はキッチンの調理器具が電気暖房用の引通しから電力の供給を受ける全電化式のものであったため、レーティッシュ鉄道内のみの運行となっていた。 フルカ・オーバーアルプ鉄道の本線は1940-42年に両端で接続するレーティッシュ鉄道およびフィスプ-ツェルマット鉄道と同じ交流11000V 16 2/3Hzでの電化が順次なされて、HGe4/4I形電気機関車とBCFhe2/4形電車とで運行されるようになり、第二次世界大戦の影響による有事の際の予備として8機がしばらくは存置されていたが、その後本形式は引続き工事列車や除雪列車などの事業用や入換用もしくは多客時の臨時列車や蒸気機関車と旧型客車による観光列車の牽引用としてHG3/4 3、4、5、10号機の4機が引続き使用されている。特に、標高 2431mのフルカ峠を全長1874m、標高最大2162mのフルカトンネルで越える区間は豪雪・雪崩多発地帯であり、電化後も10月半ばから翌6月初めまでの冬季はオーバーヴァルト - レアルプ間を運休して架線や架線柱を撤去し、フルカロイス川を越える勾配110パーミル、全長36mのシュテッフェンバッハ鉄橋についても両端1/3ずつを陸上へ引き上げ、そのうちの下流側端部1/3とともに河岸側へ引寄せられた中央部1/3は橋台に沿って下方へ折りたたむことによって雪崩の被害を回避していたため、春にはこれらや損傷した軌道の復旧および除雪を行っていたため多くの工事列車が必要となっていた。 4号機は1956-59年の間レーティッシュ鉄道に貸出されて主にクール駅構内の入換用として使用されたほか、工事列車やG4/5形蒸気機関車や同鉄道の旧型客車とともに観光列車を牽引している。
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