食堂車について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 04:59 UTC 版)
1935年に列車名のない急行列車として運転を開始した時には和食堂車を連結していたが、1978年1月に「あさかぜ」1・4号(いわゆる「博多あさかぜ」)の24系25形化に伴い、食堂車の運用を捻出するため、食堂車は浜田駅までの基本編成から出雲市駅までの付属編成へと変更された。この措置は共通運用の「富士」「はやぶさ」についても同様に行われた。 この当時、食堂車については増備を行わない方針であったため、運行時間が丸一日となる「富士」「はやぶさ」の食堂車を途中折り返しとすることで東京駅に戻る日を一日早めることができた。「出雲」は運行時間から言えば変更によるメリットはなかったが、「富士」「はやぶさ」との共通運用である側杖を被った格好であった。 また、「いなば」 → 「出雲」2・3号については、1975年の「いなば」運行当初より連結されていたものの、運行時間から営業を行っておらず、1984年の「紀伊」廃止に伴う「出雲」2・3号単独運転以降連結を廃止した。
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