日本での整備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/14 16:13 UTC 版)
「オリエント・エクスプレス '88」の記事における「日本での整備」の解説
日立製作所笠戸事業所では、オリエント急行の改造作業に向けて準備が進められた。 短期間に10数両の改造を行うための広い場所が必要であった が、生産ライン上には場所が確保できなかったため、やむを得ず別の場所に軌道の仮設やリフティングジャッキの整備などが行われた。また、オリエント急行の客車は重要文化財に相当する物件であると考えられた ため、綜合警備保障のガードマンを24時間体制で配置し、作業者や立入者は特定の腕章とヘルメットを着用することを義務付け、夜間照明の増設や鉄条網の新設を行う など、作業場所の警備対策を強化した。これらの準備が全て完了し、イントラフルークからも作業内容の承認を得られたのは、1988年10月4日であった。 オリエント急行の客車を載せた貨物船「せき・まつやま号」が日本の徳山下松港に入港したのは同年10月6日早朝で、台風の影響で1日遅れの到着であった。客車は艀によって陸揚げと工場内への搬入が開始された。 陸揚げされた車両はすぐに改造工事が実施されたが、同じ車両でも1両ごとに細部が異なっており、図面も揃っていなかった ため、実際の車両をチェックしながら行われた。客室に木材が多用されているだけでなく、調度品も大部分が可燃物であったため、火気取扱いには特に注意が必要であった。また、食堂車については事前情報よりも重量が重く、日本走行用の台車に車体を載せたところ、枕ばねが密着状態になってしまった。これではばねの役目を果たせない。やむを得ず、運行時期を考えれば不要と考えられる冷房装置を撤去することで対処した。 日本国内での運行にあたり、オリエント急行はJR東日本の品川運転所所属となった。各車両の連結面には、日本で運行するために必要な表記が日本語で表記された。イントラフルークのグラット社長は、この日本語表記については「日本に来た証として、ヨーロッパに戻った後もそのままにする」と表明した。 同年10月14日には全ての改造が完了し 工場内で編成単位では初の試運転が行われた。10月15日には報道陣や市民に公開され、10月16日には山陽本線下松駅から新下関駅まで本線上での試運転が行われた後、広島駅へ回送された。客車の前後には、控車として客車が1両ずつ連結された。
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