オリエント急行
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オリエント急行(オリエントきゅうこう、Orient Express、初期には Express d'Orient[1])は、ヨーロッパを走行する長距離夜行列車、およびこれにちなんで名付けられた列車である。
注釈
出典
- ^ a b c d e Guizol
- ^ a b Calder, Simon (Saturday, 22 August 2009). “Murder of the Orient Express” (英語). The Independent 2009年8月23日閲覧。
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- ^ a b c d e f g 平井
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- ^ a b c d e バースレイ
- ^ 山之内秀一郎 「車両の歴史と変遷」 教育社編『オリエント急行』
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- ^ a b Koschinski p.36
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- ^ a b Koshinski pp.88 - 89
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- ^ “オリエント・エクスプレスに関する一連の誤認報道について”. 2009年9月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g 山之内秀一郎「車両の歴史と変遷」 教育社編『オリエント急行』
- ^ 平井 pp. 261-263
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- ^ a b c d Koschinski pp.76-77
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- ^ “ご乗車前に - よくある質問”. 2010年11月15日閲覧。
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- ^ Suzanne Rowan Kelleher (2023年4月26日). “「そしてオリエント急行もなくなった」ブレグジットの余波は英鉄道旅にも”. Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン). 2023年4月27日閲覧。
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- ^ “イースタン& オリエンタル・エクスプレス - 東南アジアの豪華列車”. ベルモンド. 2019年4月28日閲覧。
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オリエントエクスプレス(ハイデッカー・スタンダード車)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 10:00 UTC 版)
「ジパング (大阪府)」の記事における「オリエントエクスプレス(ハイデッカー・スタンダード車)」の解説
同社を一躍有名にしたブランド車両で1983年に導入され、バスロケットを搭載したハイデッカー車に日野・ブルーリボンと三菱ふそう・富士R3ボディの2車種を採用し、32人乗り、38人乗り、40人乗りが存在した。このシリーズから本格的な中央観光特注車体が生まれ、日野車と三菱・富士車に関しては窓下のパネルのサイズ変更をはじめとし、特に三菱・富士車はR3ボディでよく見られたサイドウインドウのフロント側の切り下げをなくし、ストレートに仕上げた車体を用いていた。塗装は本家オリエント急行を意識した、ロイヤルブルーに黄色の縁取りを入れたもので、このスタイルは後のジパングシリーズのみならず、現在においても同業他社で頻繁に採用されている。平成5年頃に123号車とともに除籍された。後述する二次型真鍮製エンブレムを採用していたが、そのあまりの重量のためにサイドパネルが歪んでしまった車があり、樹脂製の三次型に変えられた個体も存在した。
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オリエントエクスプレス (ダブルデッカー・ハイグレード車)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 10:00 UTC 版)
「ジパング (大阪府)」の記事における「オリエントエクスプレス (ダブルデッカー・ハイグレード車)」の解説
1983年にハイデッカー車とほぼ同時期に9台が導入された。ベース車体にネオプラン車のN122J/3スカイライナーを採用し、正席乗車定員56人乗りとした。オリエントエクスプレスのみの仕様として、一階席の車内高を高くとり、中央交通輸入分のスカイライナーに比べて高さ方向にゆとりを持たせていた。リアビューも、非常口をエンパイアステートサルーンの外ヒンジから内ヒンジに改め、テールライトをバンパー埋め込みの欧州仕様そのままとし、エンジンのパネルもスイング式ではなく上部ヒンジの跳ね上げ式に変更されてスムージングの状態で導入していた。当初はドイツ本国で塗装されたが、アストロフレークは吹き付けられておらずソリッドカラーであり、フェリーから陸揚げされたときにはサイドバーチカルピラーにエンパイアステートサルーンとステッカーで貼られていた。後期導入車4843号車と4844号車はリアウインドウが全くない状態であった。また当初は縁取りも塗装ではなく金色のカッティングシートを使用したもので、光線の状態によって縁取りが光っていたといわれる。エンブレム取付前には、ワイパーガードに『中央観光』と貼られていた。なおこの9台だけは、縁取りの隅に飾られた花弁模様のアクセントは、ハイデッカー車や以降のZIPANGブランドのものと違うデザインが採用されていた。多人数乗車が可能なことから、平成9年頃まで現役で使用された。社長のオリエントシリーズに対する意気込みは凄まじく、昭和58年9月1日付けの関西地区の朝日新聞地域広告版として、8ページに亘る折込広告が製作された。このシリーズから俗に云われる『向獅子』のエンブレムが車体に取り付けられたが、当初製作されたリースタイプのものは彫刻の堀込が浅く、獅子も小さかったために社長がデザインのやり直しを命じ、その後に厚みのある真鍮製の二次型の大型のエンブレムが製作された。各種媒体への出演や撮影のために、日野車とネオプラン車にリースタイプのエンブレムを取り付けて臨んでいたが、二次型の物に随時置換えが進んでいった。取り外された初期型エンブレムは、三菱車に移設された後に再度外され、ほとんどが破壊された。なお初号車である4710号車が、僚車が解体されていく中、栃木県のバス愛好家団体アキバエクスプレスによって保存されていたが、主宰者の不祥事の影響をうけて、解体となった。
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オリエントエクスプレス(ハイグレード車)
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「ZIPANGバス」の記事における「オリエントエクスプレス(ハイグレード車)」の解説
1983年に導入された、車番1843、1844、1845の3台と、1984年に導入された、車番1945の4台が存在した。ベース車種は日野・レインボー。1983年車と1984年車との違いは、その内装にある。1983年車は、大阪に合わせてデビューさせるべく、内装生地も当初の大阪のオリエントに合わせてベージュカラーを採用し、オーディオもソニーを採用していたが、1984年に大阪でオリエントVIPが運行開始されるにあたり、岐阜でも同じようなオリエントを造ろうとして、社員にオーディオマニアがいたことから音響装置にヤマハを採用したり、内装生地色も青を基本として製作した。岐阜の社長のバスに対するこだわりは、本家の大阪をも凌ぐもので、1945号車についてはほぼ毎日富山の工場に通い、納得のいくまで手直しをさせた。とにかくありとあらゆる部品を金鍍金させ、当初は大阪の124号車でもやらなかったシフトレバーやウインカーレバーまで金鍍金を施させた。車体表面のクリアー塗装も、通常は3回くらいで終えるものを10回も重ね塗りをさせて、「表面にガラスを貼り付けたような」光沢を実現させた。勿論その作業には社長本人が立会ったことは言うまでもない。磨き工程もポリッシャーを使わせず、あえて手作業による磨きを入れさせたその車体は、まさしく工芸品であった。必ず車庫内保管を徹底させ、社長自ら車体やエンブレムを磨くという溺愛ぶりであった。なお岐阜中央観光バスの車体の拘りとして、車体の左右それぞれを、100Vと24Vの専用として分離した配線を行っている。
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