運行・廃車・譲渡
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「ロイク-ロイカーバート鉄道ABDeh4/4形電車」の記事における「運行・廃車・譲渡」の解説
本形式はロイク-ロイカーバート鉄道の開業から廃止まで同鉄道の唯一の動力車としてすべての列車の運行に使用されていた。同鉄道はスイス国鉄の主要幹線であるローザンヌ-ブリーク線のロイク駅に併設された標高626mのロイク・SBB駅からローヌ川を渡ってヴァレー州ロイクの街の中心地に位置する標高750mのロイク・シュタット駅を通り、スイスの伝統的な温泉地で現在では多数のスパがある、 ゲンミ峠を経由するローマ時代からの街道筋の街ロイカーバートの中心に位置する標高1394mのロイカーバート駅へ至る全長10.5km(うちラック区間5.1km、併用軌道2.5km)の山岳鉄道で、軌間1000mm、最急勾配は粘着区間60パーミル、ラック区間160パーミルでラックレール2条のアプト式、電化方式は直流1500Vであった。 同鉄道は1915年7月15日の開業に際して本形式3機のほか、BC4 20-22形(称号改正後はAB4 20-22形)2軸ボギー客車3両とK 40-41形有蓋車、M 50-52形無蓋車、L 60-61形無蓋車の7両の貨車を用意しており、その後1937年に建設工事に使用されたHG 2/2 1形蒸気機関車をラッセル式除雪車に改造したX 1号車を導入している。本形式は単行もしくは1-2両の客車を牽引した所要約46分の旅客列車のほか、貨車を牽引して貨物列車、混合列車、工事列車にも使用されていたほか、L 60-61形を改造したトロッコ列車も運行されていた。なお、同鉄道は開業当初冬期運休であったが、ロイカーバートのホテルの要望により1916年より通年運行に変更されている。 ロイク-ロイカーバート鉄道の旅客は開業以降1960年代まで増加傾向にあったものの、車両や施設の老朽が進んでおり、その更新に費用がかかることからバスに転換されることとなり、1967年5月27日に廃止となった。 廃止後に一部の車両は博物館鉄道であるブロネイ-シャンビィ博物館鉄道譲渡されることとなり、ABDeh4/4 10号機のほか、K 40-41形2両、M 50-52形のL 51、L 52号車、L 60-61形2両が同鉄道でロイク-ロイカーバート鉄道時代と同一の塗装・標記で観光列車として運行されている。
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運行・廃車・譲渡
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「ベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道ABDZe4/6 731...737形電車」の記事における「運行・廃車・譲渡」の解説
ベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道所属の731号機は製造後の1939年にAe6/8 205号機とともにチューリッヒの博覧会に出品された後にシュピーツに配置されており、レッチュベルクトンネル北側区間のベルン - カンダーシュテーク間で主に使用されている。また、ベルン-ノイエンブルク鉄道所属の736号機および737号機は導入後はホルリゲンに配属されて主にベルン - ヌーシャテル間で使用され、一部優等列車の運用にも使用されている。 いずれの路線においても本形式による列車は郵便室を活用して郵便物輸送に大きく貢献して他の列車への郵便車の連結を縮小しており、運行中の列車への郵便の投函も可能であったほか、1-2両程度の貨車を牽引することもあった。なお、その後731号機はベルン-ノイエンブルク鉄道所属機の予備としても運用されるようになっている一方、姉妹形式のCFZe2/6形もホルリゲンに配属されていたが、本形式とは混用されなかった。 ベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道の731号機はその後ベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道の多くの路線で使用されるようになっているが、本形式をベースに大型化、高出力化、近代化を図ったBCFe4/8 741-743形(後のABDe4/8 741-743形)やBCFe4/8 746-750形(後のABDe4/8 746-750形)の増備に伴い、同鉄道での運用を外れ、ギュルベタル-ベルン-シュヴァルツェンブルク鉄道路線での区間列車用に転用されているが、1956年にギュルベタル-ベルン-シュヴァルツェンブルク鉄道にCe4/4 761-763形(後のBe4/4 761-763形)電車のCe4/4 763号機が導入されるとベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道に戻されて再度レッチュベルクトンネル北側区間で運用されるようになっている。 1953年にベルン-ノイエンブルク鉄道にCe4/4 761-763形の761号機および762号機が導入されると736および737号機は区間列車に転用されるとともに、ベルナーゼーランド方面での郵便列車にも使用されるようになっており、その後本形式3編成ともベルン-ノイエンブルク鉄道およびギュルベタル-ベルン-シュヴァルツェンブルク鉄道で運行されるようになり、他形式との併結や重連でも運行されている。 1982年から区間列車用の新形電車であるRBDe565形が製造され、ベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道および各系列会社にも配備されるようになると本機はABDe4/8形各形式の初期の機体とともに余剰となって運用から外れ、1984年に737号機が、1985年に731、736号機が順次廃車となっている。 731、736号機は1985年にゼンゼタル鉄道に譲渡され、737号機の部品も使用してBDe4/6 102、103号機として使用されていたが、このうち1999年に廃車となった103号機(旧736号機)はベルン路面電車博物館に譲渡されて復元待ちの状態となっていた。この機体はレッチュベルク線開業100周年記念事業として2011年に再度BLS AGに戻されて復元工事を実施した上でチャーター列車用のBCFe4/6 736号機として運行されることとなり、2014年にかけて以下の通り復元工事が実施されている。ゼンゼタル鉄道での運用にあたって撤去された前位側車体の郵便室は復元されず、1等室から2等室に改造されていた旧1等室とともに3+2列の座席配置の2等客室のままとする。 各座席にはボックスごとにテーブルを設置可能にするとともに前位側車体車端部の客室と後位側車体の客室1ボックス分をケータリング用準備スペースとして、運用によっては各座席に軽食を提供できるようにする。 荷物室を改造しバースペースもしくは多目的スペースとして使用できるようにする。 角部が丸みを帯びたものに変更されていた側面窓形状を復元。 標記類を復元。 車体、台車、電機品その他機器の整備および現在のスイス標準規格の信号システムETMSの搭載。 復元された通称「Blauen Pfeils」のBCFe4/6 736号機は2014年8月よりとしてチャーター列車用としてBLS AG各線のほか、広くスイス国内標準軌路線で運行されている。 ベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道所属であったABDZe4/6 731号機、シュピーツ駅 ベルン-ノイエンブルク鉄道所属のABDZe4/6 736号機、ギュンメネン駅 動態保存されているBCFe4/6 736号機 BCFe4/6 736号機、オーバーヴィール・イム・ジンメンタール駅 動態保存されたBCFe4/6 736号機の形式標記、下部にUIC方式の形式名BCFe595形の形式機番が入る
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「ベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道ABDe2/8 701-705形電車」の記事における「運行・廃車・譲渡」の解説
本機は主に区間列車用に使用され、その性能を活かして区間列車のスピードアップに寄与している。 その後の1942年にシュピーツ-エルレンバッハ鉄道とエルレンバッハ-ツヴァイジメン鉄道が合併してシュピーツ-エルレンバッハ-ツヴァイジメン鉄道となった際に701号機と706号機がそれぞれ701、702号機となり、1945年にギュルベタル鉄道とベルン-シュヴァルツェンブルク鉄道が合併してギュルベタル-ベルン-シュヴァルツェンブルク鉄道となった際に691、692号機がそれぞれ703、704号機となり、同時にベルン-ノイエンブルク鉄道の726号機が705号機にそれぞれ機番が変更となっている。 BCFe2/8形に改造されたのちも引続き区間列車用として、所属会社にかかわらずベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道全線で使用されている。 1982年から区間列車用の新形電車であるRBDe565形が製造され、ベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道の各系列会社にも配備されるようになると本機は余剰となり、1982年から1985年にかけて順次廃車となっている。 704号機は1982年にオエンジンゲン-バルシュタル鉄道に譲渡されてBDe2/8形となって使用されたが、1986年に廃車となってバルシュタルに留置されてバルシュタル鉄道クラブのクラブハウスとなっている。 シュピーツ-エルレンバッハ-ツヴァイジメン鉄道が保有していた当時のABDe2/8 701号機(一次車)、カンダーシュテーク駅 オエンジンゲン-バルシュタル鉄道に譲渡されて運行されるBDe2/8 203号機、1985年 オエンジンゲン-バルシュタル鉄道に譲渡された後保存されているABDe2/8 704号機(二次車)、手前が制御車
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「エーグル-オロン-モンテイ-シャンペリ鉄道BCFeh4/4 1...6形電車」の記事における「運行・廃車・譲渡」の解説
製造後はモンテイ-シャンペリ-モルジャン鉄道の全線で旅客列車および貨物列車を牽引していたが、この路線は全長12.9km、最急勾配は粘着区間で50パーミル、シュトループ式のラック区間で135パーミルで、スイス国鉄の主要幹線ローザンヌ - ブリーク線に並行する支線であるサン=ジャンゴルフ - サン=モーリス線のモンテイ駅に隣接する標高406mのモンテイCFF駅からモンテイ=ヴィレ駅を経由してスキーリゾートとして知られる標高1043mのシャンペリ=ヴィレッジまでを登っていた山岳路線で、モンテイ=インプレース駅からモンテイ=ヴィレ駅(モンテイ-シャンペリ-モルジャン鉄道)もしくはモンテイ-クロシュタン駅(エーグル-オロン-モンテイ鉄道)付近の間で、ローザンヌ・ブリーク線のエーグルとモンテイ市内のモンテイ市場広場駅を結ぶ1000mm軌間、全線粘着式のエーグル-オロン-モンテイ鉄道と路線を共有していた。 同鉄道は1908年1月2日のモンテイ=ヴィレ - シャンペリ=ヴィレッジ間の開業に際してBCFeh4/4 1-3号機の3機のほか、BC2 10形とC2 11形の2軸客車2両とFZ 21形郵便荷物車、K 22-23形有蓋車、L 31-32形無蓋車、M 41-42形無蓋車の6両の貨車を用意しており、その後1909年1月4日のモンテイ=ヴィレ - モンテイCFF間の開業と同時期に BCFeh4/4 6号機が増備され、その後客車、貨車も順次増備されている。本形式は単行もしくは客車を牽引した旅客列車のほか、貨車を牽引して混合列車、工事列車にも使用されていた。 1946年1月1日にモンテイ-シャンペリ-モルジャン鉄道とエーグル-オロン-モンテイ鉄道は合併してエーグル-オロン-モンテイ-シャンペリ鉄道となった際に、両鉄道の番号の重複する電車については旧エーグル-オロン-モンテイ鉄道の電車が改番され、BCFeh4/4 1...6形は現番号のまま車体塗装や標記類を変更して全線で運行された。なお、合併と前後してモンテイ市内の路線の整理が行われており、1921年2月28日にはエーグル-オロン-モンテイ鉄道のモンテイ-クロシュタン - モンテイ市場広場間0.6kmが廃止となり、1976年7月12日にはモンテイ=ヴィレ - モンテイSBB間1.0kmが廃止となり、モンテイ=ヴィレ駅が旧モンテイ-クロシュタン駅付近へ移転している。 BCFeh4/4 1-3号機は、1954年に導入されたBCFe4/4 11-14形(現ABFe4/4 11-14形)に置き換えられて同年中に廃車となり、BCFeh4/4 6号機はその後も残されていたが、1971年に運用を外れている。 BCFeh4/4 6号機はその後1975年に博物館鉄道であるブロネイ-シャンビィ博物館鉄道に譲渡され、同じく譲渡されたBC 10号車とともにが同鉄道でモンテイ-シャンペリ-モルジャン鉄道時代と同一の塗装・標記で観光列車として運行されている。
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「イタリア国鉄ALn556.1200/1300気動車」の記事における「運行・廃車・譲渡」の解説
本形式は導入後イタリア各地で運行されている。通常は1-2両での運行であったが、最大4両程度までの列車もあったほか、1両程度の小型客車もしくは貨車を牽引することもあった。前述のとおり本形式の重連総括制御は2両編成のみであったため、3両もしくは4両編成では運転士が2名乗車して協調運転をしていた。 1949-54年にはALDUn220.1304、1306、1307の荷物室、郵便室を客室に改造して各々ALn556.1396、1398、1399となっている。 その後ALn668などの新しい気動車の増備に伴い、本形式は1970年代より本格的な廃車が始まり、1983年までに全車が廃車となっている。1979年1月時点での配置は以下の通り。ピサ:ALn556.1200 2両 フォッジアおよびターラント:ALn556.1300 4両 ALn556.1202号車がピエトラルサ国立鉄道博物館で静態保存されているほか、後述するスッザーラ-フェラーラ鉄道に譲渡されていた機体のうち、ALn556.1236、1277の2両がイタリア国鉄財団に再譲渡されてスッザーラの車庫で修復待ちの状態となっている。
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「ニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道ABDe4/4 10-11形電車」の記事における「運行・廃車・譲渡」の解説
ニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道の全線は全長26.73 km、最急勾配は60パーミルで、スイス西部レマン湖畔で標高395 mのニヨンからジュラ山脈のリゾート地である標高1044 mのサン・セルグを経由して最高1230 mの地点を越えてフランス国境に近い標高1155 mのラ・キュールに至る山岳路線であるほか、1958年までは国境を越えてフランス国内のモレに至る延長39.1 kmの路線であり、モレではフランス国鉄に接続してパリ方面へのルートの一つを形成していた。 本形式はニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道の国境を越えたフランス側を含む全線で運行されており、客車を牽引した旅客列車だけでなく、貨物列車や工事列車、除雪列車の運行にも使用されていた。 ニヨン - ラ・キュール間の運行であった1920年夏ダイヤでの運行はニヨン - ラ・キュール間が3往復、所要約90分、ニヨン - サン=セルゲ間の区間列車が3往復(臨時1往復)、所要約60分であり、全線開通後の1935年夏ダイヤではニヨン - サン=セルゲ - モレ間が平日4往復、休日5往復で、区間列車がニヨン - ラ・キュール間が平日1往復、休日2.5往復、ニヨン - サン=セルゲ間が1.5往復、サン=セルゲ - モレ間が0.5往復、レ・ルス - モレ間1往復の運行でニヨン - モレ間は所要約120分であった。 その後1940年には国境を越える列車の運行が中止され、1948年に再開されているが、1958年のモレ-ラ・キュール鉄道の廃止後はラ・キュールでのバスへの接続に変更されている。 ニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道とジュラ電気鉄道/モレ-ラ・キュール鉄道の車両は共通で運行されており、本形式を含む電車7機のほか、両鉄道が新製した2軸客車のAB 20-21形およびB 22-24形(いずれも後に2軸ボギー客車に改造)と2軸ボギー客車のB 51-52形およびB 61-62形などの14両の客車、26両の貨車が使用されていたほか、1979年にビール-テウフェレン-インス鉄道から軽量客車のB 341-342形を授受して本形式が牽引する列車として運行している。 ニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道では車両および送電設備の老朽化に対応するために1982年に総額2,700万スイス・フランの近代化計画を立案しており、1985年11月5日にサン・セルグ - ラ・キュール間が、翌12月5日にニヨン - サン・セルゲ間の電気方式がDC 2200 VからDC 1500 Vに変更されて旧来の車両がBe4/4 201-205形電車とBt 301-305形制御客車を主力として、B 341-342形やジュラ鉄道から授受したBDe4/4 231-232形とローザンヌ-エシャラン-ベルヒャー鉄道から授受したBDe4/4 221形に置き換えられており、本形式はABDe4/4 10号機、11号機ともに1986年に廃車となっている。 廃車後はABDe4/4 10号機、11号機ともにが1991、92年までにフランスの観光鉄道であるラ・ミュール鉄道に譲渡され、ABDe4/4 11号機が運行され、10号機は予備機となっており、同様に1986年に譲渡されたABDe4/4 1号機と5号機は1号機が運行され、5号機が予備機となっていた。 2008年に設立された鉄道車両保存団体であるNyon-St.Cergue RétroによってABDe4/4 10号機が2010年にニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道に戻され、2016年の完成を目指して復元工事中となっており、同時にDC 1500 V区間での走行が可能になるよう改造されることとなっている。
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運行・廃車・譲渡
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「ニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道ABDe4/4 1...6形電車」の記事における「運行・廃車・譲渡」の解説
ニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道の全線は全長26.73 km、最急勾配は60 ‰で、スイス西部レマン湖畔で標高395 mのニヨンからジュラ山脈のリゾート地である標高1044 mのサン・セルグを経由して最高1230 mの地点を越えてフランス国境に近い標高1155 mのラ・キュールに至る山岳路線であるほか、1958年までは国境を越えてフランス国内のモレに至る延長39.1 kmの路線であり、モレではフランス国鉄に接続してパリ方面へのルートの一つを形成していた。 本形式はニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道の国境を越えたフランス側を含む全線で運行されており、客車を牽引した旅客列車だけでなく、貨物列車や工事列車、除雪列車の運行にも使用されていた。 ニヨン - ラ・キュール間の運行であった1920年夏ダイヤでの運行はニヨン - ラ・キュール間が3往復、所要約90分、ニヨン - サン=セルゲ間の区間列車が3往復(臨時1往復)、所要約60分であり、全線開通後の1935年夏ダイヤではニヨン - サン=セルゲ - モレ間が平日4往復、休日5往復で、区間列車がニヨン - ラ・キュール間が平日1往復、休日2.5往復、ニヨン - サン=セルゲ間が1.5往復、サン=セルゲ - モレ間が0.5往復、レ・ルス - モレ間1往復の運行でニヨン - モレ間は所要約120分であった。 その後1940年には国境を越える列車の運行が中止され、1948年に再開されているが、1958年のモレ-ラ・キュール鉄道の廃止後はラ・キュールでのバスへの接続に変更されている。 ニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道とジュラ電気鉄道/モレ-ラ・キュール鉄道の車両は共通で運行されており、本形式を含む電車7機のほか、両鉄道が新製した2軸客車のAB 20-21形およびB 22-24形(いずれも後に2軸ボギー客車に改造)と2軸ボギー客車のB 51-52形およびB 61-62形などの14両の客車、26両の貨車が使用されていたほか、1979年にビール-テウフェレン-インス鉄道から軽量客車のB 341-342形を授受して本形式が牽引する列車として運行している。 ニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道では車両および送電設備の老朽化に対応するために1982年に総額2,700万スイス・フランの近代化計画を立案しており、1985年11月5日にサン・セルグ - ラ・キュール間が、翌12月5日にニヨン - サン・セルゲ間の電気方式がDC 2200 VからDC 1500 Vに変更されて旧来の車両がBe4/4 201-205形電車とBt 301-305形制御客車を主力として、B 341-342形やジュラ鉄道から授受したBDe4/4 231-232形とローザンヌ-エシャラン-ベルヒャー鉄道から授受したBDe4/4 221形に置き換えられており、本形式はABDe4/4 6号機が1981年に、1、5号機が1986年に廃車となっている。 廃車後はABDe4/4 1号機と6号機が1986年にフランスの観光鉄道であるラ・ミュール鉄道に譲渡され、ABDe4/4 1号機が運行され、5号機は予備機となっており、同様に1991、92年までに譲渡されたABDe4/4 10号機と11号機は11号機が運行され、10号機が予備機となっていたが、2010年に鉄道車両保存団体であるNyon-St.Cergue Rétroによってニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道に戻されている。
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運行・廃車・譲渡
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「グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道H2/3 1-6形蒸気機関車」の記事における「運行・廃車・譲渡」の解説
製造後はグリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道の全線で運用されていたが、この鉄道はスイス国鉄の主要幹線ローザンヌ - ブリーク線のテリテからのケーブルカーであるテリテ-グリオン鋼索鉄道 に接続するグリオンから標高2042mのロシェ・ド・ネー山の山頂近くのロシェ・ド・ネー に至る全長7.63km、標高689-1973m、最急勾配220パーミルの山岳路線であった。ラック方式はラックレールが2条のアプト式で、ピッチ120mm、歯末たけ15mm、歯先レール面上高50mm、歯厚25mmとなっている。 グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道開業時に用意された機材は以下の通りで、客車と貨車はその後増備され、蒸気機関車も1903、09年にH2/3 7-8形が増備されている。列車は本形式が客車1両もしくは客車1両と無蓋車1両での編成が基本となっており、多客時には続行運転で運行されていた。蒸気機関車(6機):H2/3 1I-6号機(本形式) 客車(7両):BC 1-4形(2等/3等客車)、BC 11-12形(2等/3等オープン客車)、BF 21形(2等/荷物客車) 貨車(2両):M 1-2形(無蓋車) その後の輸送量の増加に伴い、ケーブルカーを経由せず、スイス国鉄のローザンヌ - ブリーク線のほか、モントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道とも接続する観光地であるモントルーとロシェ・ド・ネー山を直接鉄道結ぶことが計画され、モントルー-グリオン鉄道が開業したが、この鉄道はグリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道とケーブルカーが接続していたグリオンに至る全長2.73km、標高395-689m、最急勾配130パーミルの山岳路線である。ラック方式はラックレールが2条のアプト式で、歯先レール面上高のみグリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道と若干異なる53mmとなっているが、両鉄道は客車の直通が可能となっており、モントルー-グリオン鉄道の客車は当時非電化であったグリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道での運用に備え、車内外の電灯用の蓄電池を搭載していたが、本形式は引き続きグリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道で運行されていた。 1938年のグリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道の電化により、同鉄道とモントルー-グリオン鉄道はBhe2/4形ラック式電車により一体として運行されるようになり、本形式はH2/3 2、3、5号機が廃車となり、事業用として残されていたH2/3 1I、4、6号機も1956年にかけて順次廃車となっている。なお、3機がスイス南部のモンテ・ ゼネロッソ鉄道に譲渡され、うち旧H2/3 4号機であるモンテ・ゼネロッソ鉄道H2/3 7号機は1962年にブリエンツ・ロートホルン鉄道に再度譲渡されて、H2/3 1II号機となっている。各機体の廃車年および廃車後の状況は以下の通り。1I - 1956年 - モンテ・ゼネロッソ鉄道鉄道へ譲渡、H2/3 9号機、後にH2/3 1号機に改番 2 - 1938年 - 解体 3 - 1938年 - 解体 4 - 1941年 - モンテ・ゼネロッソ鉄道鉄道へ譲渡、H2/3 7号機、その後1962年にブリエンツ・ロートホルン鉄道へ譲渡、H2/3 1II号機となる 5 - 1938年 - 解体 6 - 1942年 - モンテ・ゼネロッソ鉄道鉄道へ譲渡、H2/3 8号機 その後1980-2000年代にかけてのスイス国内の私鉄再編の流れの中で、1987年にグリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道およびモントルー - グリオン鉄道 は統合してモントルー-グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道となり、1992年にはグリオンで接続しているテリテ-グリオン鋼索鉄道と統合してモントルー-テリテ-グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道となっているが、さらに2001年には同社やモントルー-ヴヴェ-リヴィエラ交通などこの地方の公共交通4社が統合してモントルー-ヴヴェ-リヴィエラ交通となっている。 終点のロシェ・ド・ネー駅およびロシェ・ド・ネー・グランドホテル、1905-10年頃 コー駅手前を走行するH2/3 1I号機が牽引する旅客列車、1905年頃 Crêt-d'y-Bau駅に停車するH2/3 1I-6形が牽引する列車、1905年頃
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運行・廃車・譲渡
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「ベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道BDZe2/6 711形電車」の記事における「運行・廃車・譲渡」の解説
本機は1938年の製造後ベルンに配置されてベルン-シュヴァルツェンブルク線で使用されており、2軸式の2等/3等客車のBC451およびBC452号車や、同じく郵便荷物車のFZ956およびFZ957号車などとともに運用につき、旧形のCFe2/6形を置き換えており、同線では1940年代以降BCFZe4/6 731...737形他各形式も併用されるようになっている。なお、スイス国鉄の「赤い矢」に対して「青い矢」と呼ばれることもあり、また、運行中の列車への郵便の投函も可能であった。 本機はその後もベルン-シュヴァルツェンブルク線で使用され続けたが、その後はギュルベタル-ベルン-シュヴァルツェンブルク鉄道のベルン - トゥーン間やベルン郊外のベルン - ロスホイザーン間でも使用されるようになった。 1982年から区間列車用の新形電車であるRBDe565形が製造され、ベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道の各系列会社にも配備されるようになると本機は余剰となり、1985年に廃車となっている。
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