運行・廃車・譲渡とは? わかりやすく解説

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運行・廃車・譲渡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/27 10:14 UTC 版)

ロイク-ロイカーバート鉄道ABDeh4/4形電車」の記事における「運行・廃車・譲渡」の解説

形式ロイク-ロイカーバート鉄道の開業から廃止まで鉄道唯一の動力車としてすべての列車の運行使用されていた。同鉄道スイス国鉄主要幹線であるローザンヌ-ブリーク線のロイク駅に併設され標高626mのロイクSBB駅からローヌ川渡ってヴァレー州ロイクの街の中心地位置する標高750mのロイク・シュタット駅を通りスイス伝統的な温泉地で現在では多数スパがある、 ゲンミ峠を経由するローマ時代からの街道筋の街ロイカーバート中心に位置する標高1394mのロイカーバート駅へ至る全長10.5km(うちラック区間5.1km、併用軌道2.5km)の山岳鉄道で、軌間1000mm、最急勾配粘着区間60パーミルラック区間160パーミルラックレール2条アプト式電化方式直流1500Vであった。 同鉄道1915年7月15日開業に際して形式3機のほか、BC4 20-22形(称号改正後はAB4 20-22形)2軸ボギー客車3両とK 40-41有蓋車、M 50-52無蓋車、L 60-61形無蓋車の7両の貨車用意しており、その後1937年建設工事使用されHG 2/2 1蒸気機関車ラッセル除雪車改造したX 1号車を導入している。本形式単行もしくは1-2両の客車牽引した所要46分の旅客列車のほか、貨車牽引して貨物列車混合列車工事列車にも使用されていたほか、L 60-61形を改造したトロッコ列車運行されていた。なお、同鉄道開業当初冬期運休であったが、ロイカーバートホテル要望により1916年より通年運行変更されている。 ロイク-ロイカーバート鉄道旅客開業以降1960年代まで増加傾向にあったものの、車両施設老朽進んでおり、その更新費用がかかることからバス転換されることとなり、1967年5月27日廃止となった廃止後に一部車両博物館鉄道であるブロネイ-シャンビィ博物館鉄道譲渡されることとなり、ABDeh4/4 10号機のほか、K 40-41形2両、M 50-52形のL 51、L 52号車、L 60-61形2両が同鉄道ロイク-ロイカーバート鉄道時代同一塗装標記観光列車として運行されている。

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運行・廃車・譲渡

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ベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道ABDZe4/6 731...737形電車」の記事における「運行・廃車・譲渡」の解説

ベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道所属731号機は製造後1939年にAe6/8 205号機とともにチューリッヒ博覧会出品された後にシュピーツ配置されており、レッチュベルクトンネル北側区間ベルン - カンダーシュテーク間で主に使用されている。また、ベルン-ノイエンブルク鉄道所属の736号機および737号機は導入後はホルリゲンに配属されて主にベルン - ヌーシャテル間で使用され一部優等列車運用にも使用されている。 いずれの路線においても本形式による列車郵便室を活用して郵便物輸送大きく貢献して他の列車への郵便車連結縮小しており、運行中の列車への郵便投函も可能であったほか、1-2程度貨車牽引することもあった。なお、その後731号機はベルン-ノイエンブルク鉄道所属機予備としても運用されるようになっている一方姉妹形式のCFZe2/6形もホルリゲンに配属されていたが、本形式とは混用されなかった。 ベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道731号機はその後ベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道多く路線使用されるようになっているが、本形式ベース大型化高出力化、近代化図ったBCFe4/8 741-743形(後のABDe4/8 741-743形)やBCFe4/8 746-750形(後のABDe4/8 746-750形)の増備に伴い、同鉄道での運用外れ、ギュルベタル-ベルン-シュヴァルツェンブルク鉄道路線での区間列車用に転用されているが、1956年にギュルベタル-ベルン-シュヴァルツェンブルク鉄道にCe4/4 761-763形(後のBe4/4 761-763形)電車のCe4/4 763号機が導入されるベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道戻され再度レッチュベルクトンネル北側区間運用されるようになっている1953年ベルン-ノイエンブルク鉄道にCe4/4 761-763形の761号機および762号機が導入されると736および737号機は区間列車転用されるとともに、ベルナーゼーランド方面での郵便列車にも使用されるようになっており、その後形式3編成ともベルン-ノイエンブルク鉄道およびギュルベタル-ベルン-シュヴァルツェンブルク鉄道運行されるようになり、他形式との併結重連でも運行されている。 1982年から区間列車用の新形電車であるRBDe565形が製造されベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道および各系列会社にも配備されるうになる本機はABDe4/8形各形式初期機体とともに余剰となって運用から外れ1984年737号機が、1985年731、736号機が順次廃車となっている。 731、736号機は1985年にゼンゼタル鉄道譲渡され737号機の部品使用してBDe4/6 102103号機として使用されていたが、このうち1999年廃車となった103号機(旧736号機)はベルン路面電車博物館譲渡され復元待ちの状態となっていた。この機体はレッチュベルク線開業100周年記念事業として2011年再度BLS AG戻され復元工事実施した上でチャーター列車用のBCFe4/6 736号機として運行されることとなり、2014年にかけて以下の通り復元工事実施されている。ゼンゼタル鉄道での運用にあたって撤去された前位側車体の郵便室は復元されず、1等室から2等室に改造されていた旧1等室とともに3+2列の座席配置2等客室のままとする。 各座席にはボックスごとにテーブル設置可能にするとともに前位側車体車端部客室と後位側車体の客室1ボックス分をケータリング準備スペースとして、運用によっては各座席軽食提供できるようにする。 荷物室を改造しバースペースもしくは多目的スペースとして使用できるようにする。 角部丸み帯びたものに変更されていた側面形状復元標記類を復元車体台車電機品その他機器整備および現在のスイス標準規格信号システムETMSの搭載復元され通称「Blauen Pfeils」のBCFe4/6 736号機は2014年8月よりとしチャーター列車用としてBLS AG各線のほか、広くスイス国内標準軌路線運行されている。 ベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道所属であったABDZe4/6 731号機、シュピーツベルン-ノイエンブルク鉄道所属のABDZe4/6 736号機、ギュンメネン駅 動態保存されているBCFe4/6 736号機 BCFe4/6 736号機、オーバーヴィール・イム・ジンメンタール駅 動態保存されたBCFe4/6 736号機の形式標記下部UIC方式形式名BCFe595形の形式機番が入る

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ベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道ABDe2/8 701-705形電車」の記事における「運行・廃車・譲渡」の解説

本機は主に区間列車用に使用され、その性能活かして区間列車スピードアップ寄与している。 その後1942年シュピーツ-エルレンバッハ鉄道エルレンバッハ-ツヴァイジメン鉄道合併してシュピーツ-エルレンバッハ-ツヴァイジメン鉄道となった際に701号機と706号機がそれぞれ701702号機となり、1945年にギュルベタル鉄道ベルン-シュヴァルツェンブルク鉄道合併してギュルベタル-ベルン-シュヴァルツェンブルク鉄道となった際に691、692号機がそれぞれ703704号機となり、同時にベルン-ノイエンブルク鉄道726号機が705機にそれぞれ機番が変更となっている。 BCFe2/8形に改造されたのちも引続き区間列車用として、所属会社かかわらずベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道全線使用されている。 1982年から区間列車用の新形電車であるRBDe565形が製造されベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道の各系列会社にも配備されるうになる本機余剰となり、1982年から1985年にかけて順次廃車となっている。 704号機は1982年にオエンジンゲン-バルシュタル鉄道譲渡されてBDe2/8形となって使用されたが、1986年廃車となってバルシュタルに留置されてバルシュタル鉄道クラブクラブハウスとなっている。 シュピーツ-エルレンバッハ-ツヴァイジメン鉄道保有していた当時のABDe2/8 701号機(一次車)、カンダーシュテーク駅 オエンジンゲン-バルシュタル鉄道譲渡され運行されるBDe2/8 203号機、1985年 オエンジンゲン-バルシュタル鉄道譲渡された後保存されているABDe2/8 704号機(二次車)、手前制御車

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エーグル-オロン-モンテイ-シャンペリ鉄道BCFeh4/4 1...6形電車」の記事における「運行・廃車・譲渡」の解説

製造後モンテイ-シャンペリ-モルジャン鉄道全線旅客列車および貨物列車牽引していたが、この路線全長12.9km、最急勾配粘着区間50パーミル、シュトループ式のラック区間135パーミルで、スイス国鉄主要幹線ローザンヌ - ブリーク線に並行する支線であるサン=ジャンゴルフ - サン=モーリス線のモンテイ駅に隣接する標高406mのモンテイCFF駅からモンテイ=ヴィレ駅を経由してスキーリゾートとして知られる標高1043mのシャンペリ=ヴィレッジまでを登っていた山岳路線で、モンテイ=インプレース駅からモンテイ=ヴィレ駅(モンテイ-シャンペリ-モルジャン鉄道もしくはモンテイ-クロシュタン駅(エーグル-オロン-モンテイ鉄道付近の間で、ローザンヌ・ブリーク線のエーグルモンテイ市内モンテイ市場広場駅を結ぶ1000mm軌間全線粘着式のエーグル-オロン-モンテイ鉄道路線共有していた。 同鉄道1908年1月2日モンテイ=ヴィレ - シャンペリ=ヴィレッジ間の開業に際してBCFeh4/4 1-3号機の3機のほか、BC2 10形C2 11形の2軸客車2両とFZ 21形郵便荷物車、K 22-23有蓋車、L 31-32形無蓋車、M 41-42形無蓋車の6両の貨車用意しており、その後1909年1月4日モンテイ=ヴィレ - モンテイCFF間の開業同時期に BCFeh4/4 6号機増備され、その後客車貨車順次増備されている。本形式単行もしくは客車牽引した旅客列車のほか、貨車牽引して混合列車工事列車にも使用されていた。 1946年1月1日モンテイ-シャンペリ-モルジャン鉄道エーグル-オロン-モンテイ鉄道合併してエーグル-オロン-モンテイ-シャンペリ鉄道となった際に、両鉄道番号重複する電車については旧エーグル-オロン-モンテイ鉄道電車改番され、BCFeh4/4 1...6形は現番号のまま車体塗装標記類を変更して全線運行された。なお、合併前後してモンテイ市内路線整理が行われており、1921年2月28日にはエーグル-オロン-モンテイ鉄道モンテイ-クロシュタン - モンテイ市場広場間0.6kmが廃止となり、1976年7月12日にはモンテイ=ヴィレ - モンテイSBB間1.0kmが廃止となり、モンテイ=ヴィレ駅が旧モンテイ-クロシュタン駅付近移転している。 BCFeh4/4 1-3号機は、1954年導入されたBCFe4/4 11-14形(現ABFe4/4 11-14形)に置き換えられ同年中に廃車となり、BCFeh4/4 6号機その後残されていたが、1971年運用外れている。 BCFeh4/4 6号機その後1975年博物館鉄道であるブロネイ-シャンビィ博物館鉄道譲渡され同じく譲渡されBC 10号とともにが同鉄道モンテイ-シャンペリ-モルジャン鉄道時代同一塗装標記観光列車として運行されている。

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イタリア国鉄ALn556.1200/1300気動車」の記事における「運行・廃車・譲渡」の解説

形式導入後イタリア各地運行されている。通常1-2両での運行であったが、最大4両程度までの列車もあったほか、1両程度小型客車もしくは貨車牽引することもあった。前述のとおり本形式重連総括制御2両編成のみであったため、3両もしくは4両編成では運転士が2名乗車して協調運転をしていた。 1949-54年にはALDUn220.1304、1306、1307の荷物室、郵便室を客室改造して各々ALn556.1396、1398、1399となっている。 その後ALn668などの新し気動車増備に伴い、本形式1970年代より本格的な廃車始まり1983年までに全車廃車となっている。1979年1月時点での配置以下の通りピサ:ALn556.1200 2両 フォッジアおよびターラント:ALn556.1300 4両 ALn556.1202号車がピエトラルサ国立鉄道博物館静態保存されているほか、後述するスッザーラ-フェラーラ鉄道譲渡されていた機体のうち、ALn556.1236、1277の2両がイタリア国鉄財団に再譲渡されスッザーラ車庫修復待ちの状態となっている。

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ニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道ABDe4/4 10-11形電車」の記事における「運行・廃車・譲渡」の解説

ニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道全線全長26.73 km、最急勾配60パーミルで、スイス西部レマン湖畔で標高395 mのニヨンからジュラ山脈リゾート地である標高1044 mのサン・セルグを経由して最高1230 mの地点越えてフランス国境に近い標高1155 mのラ・キュールに至る山岳路線であるほか、1958年までは国境越えてフランス国内のモレに至る延長39.1 km路線であり、モレではフランス国鉄接続してパリ方面へのルート一つ形成していた。 本形式ニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道国境越えたフランス側を含む全線運行されており、客車牽引した旅客列車だけでなく、貨物列車工事列車除雪列車運行にも使用されていた。 ニヨン - ラ・キュール間の運行であった1920年ダイヤでの運行ニヨン - ラ・キュール間が3往復所要90分、ニヨン - サン=セルゲ間の区間列車が3往復臨時1往復)、所要60分であり、全線開通後1935年ダイヤではニヨン - サン=セルゲ - モレ間が平日4往復休日5往復で、区間列車ニヨン - ラ・キュール間が平日1往復休日2.5往復ニヨン - サン=セルゲ間が1.5往復サン=セルゲ - モレ間が0.5往復レ・ルス - モレ間1往復運行ニヨン - モレ間は所要120であったその後1940年には国境越え列車の運行中止され1948年再開されているが、1958年モレ-ラ・キュール鉄道廃止後はラ・キュールでのバスへの接続変更されている。 ニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道ジュラ電鉄道/モレ-ラ・キュール鉄道車両は共通で運行されており、本形式を含む電車7機のほか、両鉄道新製した2軸客車のAB 20-21形およびB 22-24形(いずれも後に2軸ボギー客車改造)と2軸ボギー客車のB 51-52形およびB 61-62形などの14両の客車26両の貨車使用されていたほか、1979年ビール-テウフェレン-インス鉄道から軽量客車のB 341-342形を授受して形式牽引する列車として運行している。 ニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道では車両および送電設備の老朽化対応するために1982年総額2,700スイス・フラン近代化計画立案しており、1985年11月5日にサン・セルグ - ラ・キュール間が、翌12月5日ニヨン - サン・セルゲ間の電気方式DC 2200 VからDC 1500 Vに変更され旧来の車両がBe4/4 201-205電車Bt 301-305形制御客車主力として、B 341-342形やジュラ鉄道から授受したBDe4/4 231-232形とローザンヌ-エシャラン-ベルヒャー鉄道から授受したBDe4/4 221形置き換えられており、本形式はABDe4/4 10号機11号機ともに1986年廃車となっている。 廃車後はABDe4/4 10号機11号機ともにが199192年までにフランスの観光鉄道であるラ・ミュール鉄道譲渡され、ABDe4/4 11号機が運行され10号機予備機となっており、同様に1986年譲渡されたABDe4/4 1号機5号機1号機運行され5号機予備機となっていた。 2008年設立され鉄道車両保存団体であるNyon-St.Cergue RétroによってABDe4/4 10号機2010年ニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道戻され2016年完成目指し復元工事となっており、同時にDC 1500 V区間での走行可能になるよう改造されることとなっている。

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ニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道ABDe4/4 1...6形電車」の記事における「運行・廃車・譲渡」の解説

ニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道全線全長26.73 km、最急勾配60 ‰で、スイス西部レマン湖畔で標高395 mのニヨンからジュラ山脈リゾート地である標高1044 mのサン・セルグを経由して最高1230 mの地点越えてフランス国境に近い標高1155 mのラ・キュールに至る山岳路線であるほか、1958年までは国境越えてフランス国内のモレに至る延長39.1 km路線であり、モレではフランス国鉄接続してパリ方面へのルート一つ形成していた。 本形式ニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道国境越えたフランス側を含む全線運行されており、客車牽引した旅客列車だけでなく、貨物列車工事列車除雪列車運行にも使用されていた。 ニヨン - ラ・キュール間の運行であった1920年ダイヤでの運行ニヨン - ラ・キュール間が3往復所要90分、ニヨン - サン=セルゲ間の区間列車が3往復臨時1往復)、所要60分であり、全線開通後1935年ダイヤではニヨン - サン=セルゲ - モレ間が平日4往復休日5往復で、区間列車ニヨン - ラ・キュール間が平日1往復休日2.5往復ニヨン - サン=セルゲ間が1.5往復サン=セルゲ - モレ間が0.5往復レ・ルス - モレ間1往復運行ニヨン - モレ間は所要120であったその後1940年には国境越え列車の運行中止され1948年再開されているが、1958年モレ-ラ・キュール鉄道廃止後はラ・キュールでのバスへの接続変更されている。 ニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道ジュラ電鉄道/モレ-ラ・キュール鉄道車両は共通で運行されており、本形式を含む電車7機のほか、両鉄道新製した2軸客車のAB 20-21形およびB 22-24形(いずれも後に2軸ボギー客車改造)と2軸ボギー客車のB 51-52形およびB 61-62形などの14両の客車26両の貨車使用されていたほか、1979年ビール-テウフェレン-インス鉄道から軽量客車のB 341-342形を授受して形式牽引する列車として運行している。 ニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道では車両および送電設備の老朽化対応するために1982年総額2,700スイス・フラン近代化計画立案しており、1985年11月5日にサン・セルグ - ラ・キュール間が、翌12月5日ニヨン - サン・セルゲ間の電気方式DC 2200 VからDC 1500 Vに変更され旧来の車両がBe4/4 201-205電車Bt 301-305形制御客車主力として、B 341-342形やジュラ鉄道から授受したBDe4/4 231-232形とローザンヌ-エシャラン-ベルヒャー鉄道から授受したBDe4/4 221形置き換えられており、本形式はABDe4/4 6号機1981年に、1、5号機1986年廃車となっている。 廃車後はABDe4/4 1号機6号機1986年フランスの観光鉄道であるラ・ミュール鉄道譲渡され、ABDe4/4 1号機運行され5号機予備機となっており、同様に199192年までに譲渡されたABDe4/4 10号機11号機は11号機が運行され10号機予備機となっていたが、2010年鉄道車両保存団体であるNyon-St.Cergue Rétroによってニヨン-サン=セルゲ-モレ鉄道戻されている。

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グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道H2/3 1-6形蒸気機関車」の記事における「運行・廃車・譲渡」の解説

製造後グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道全線運用されていたが、この鉄道スイス国鉄主要幹線ローザンヌ - ブリーク線のテリテからのケーブルカーであるテリテ-グリオン鋼索鉄道接続するグリオンから標高2042mのロシェ・ド・ネー山の山頂近くのロシェ・ド・ネー に至る全長7.63km、標高689-1973m、最急勾配220パーミル山岳路線であったラック方式ラックレール2条アプト式で、ピッチ120mm、歯末たけ15mm、歯先レール面上高50mm、歯厚25mmとなっている。 グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道開業時用意され機材以下の通りで、客車貨車その後増備され、蒸気機関車も1903、09年にH2/3 7-8形が増備されている。列車は本形式客車1両もしくは客車1両と無蓋車1両での編成基本となっており、多客時には続行運転で運行されていた。蒸気機関車(6機):H2/3 1I-6号機(本形式客車(7両):BC 1-4形(2等/3等客車)、BC 11-12形(2等/3等オープン客車)、BF 21形2等/荷物客車貨車(2両):M 1-2形(無蓋車その後輸送量増加に伴いケーブルカー経由せず、スイス国鉄ローザンヌ - ブリーク線のほか、モントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道とも接続する観光地であるモントルーとロシェ・ド・ネー山を直接鉄道結ぶことが計画されモントルー-グリオン鉄道開業したが、この鉄道グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道ケーブルカー接続していたグリオンに至る全長2.73km、標高395-689m、最急勾配130パーミル山岳路線である。ラック方式ラックレール2条アプト式で、歯先レール面上高のみグリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道若干異なる53mmとなっているが、両鉄道客車直通が可能となっており、モントルー-グリオン鉄道客車当時非電化であったグリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道での運用備え車内外の電灯用の蓄電池搭載していたが、本形式引き続きグリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道運行されていた。 1938年グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道の電化により、同鉄道モントルー-グリオン鉄道はBhe2/4形ラック電車により一体として運行されるようになり、本形式はH2/3 2、35号機廃車となり、事業用として残されていたH2/3 1I、4、6号機1956年にかけて順次廃車となっている。なお、3機がスイス南部モンテ・ ゼネロッソ鉄道譲渡され、うち旧H2/3 4号機であるモンテ・ゼネロッソ鉄道H2/3 7号機1962年ブリエンツ・ロートホルン鉄道再度譲渡されて、H2/3 1II号機となっている。各機体廃車年および廃車後の状況以下の通り。1I - 1956年 - モンテ・ゼネロッソ鉄道鉄道譲渡、H2/3 9号機、後にH2/3 1号機改番 2 - 1938年 - 解体 3 - 1938年 - 解体 4 - 1941年 - モンテ・ゼネロッソ鉄道鉄道譲渡、H2/3 7号機その後1962年ブリエンツ・ロートホルン鉄道譲渡、H2/3 1II号機となる 5 - 1938年 - 解体 6 - 1942年 - モンテ・ゼネロッソ鉄道鉄道譲渡、H2/3 8号機 その後1980-2000年代にかけてのスイス国内私鉄再編流れの中で、1987年グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道およびモントルー - グリオン鉄道統合してモントルー-グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道となり、1992年にはグリオン接続しているテリテ-グリオン鋼索鉄道統合してモントルー-テリテ-グリオン-ロシェ・ド・ネー鉄道となっているが、さらに2001年には同社モントルー-ヴヴェ-リヴィエラ交通などこの地方公共交通4社が統合してモントルー-ヴヴェ-リヴィエラ交通となっている。 終点のロシェ・ド・ネー駅およびロシェ・ド・ネー・グランドホテル、1905-10年頃 コー駅手前を走行するH2/3 1I号機が牽引する旅客列車1905年Crêt-d'y-Bau駅に停車するH2/3 1I-6形が牽引する列車1905年

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ベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道BDZe2/6 711形電車」の記事における「運行・廃車・譲渡」の解説

本機1938年製造後ベルン配置されベルン-シュヴァルツェンブルク線で使用されており、2軸式の2等/3等客車のBC451およびBC452号車や、同じく郵便荷物車のFZ956およびFZ957号車などとともに運用につき、旧形のCFe2/6形を置き換えており、同線では1940年代以降BCFZe4/6 731...737形他各形式併用されるようになっている。なお、スイス国鉄の「赤い矢に対して「青い矢」と呼ばれることもあり、また、運行中の列車への郵便投函も可能であった本機その後ベルン-シュヴァルツェンブルク線で使用され続けたが、その後はギュルベタル-ベルン-シュヴァルツェンブルク鉄道ベルン - トゥーン間やベルン郊外ベルン - ロスホイザーン間でも使用されるようになった1982年から区間列車用の新形電車であるRBDe565形が製造されベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道の各系列会社にも配備されるうになる本機余剰となり、1985年廃車となっている。

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