全線開通後
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1995年(平成7年)の都心環状線接続によって、ボトルネックの国道41号庄内川付近の交通渋滞が緩和され、関連する市道の混雑も併せて減少した。また、開通日の翌日から名古屋駅と名古屋空港を連絡する空港バス(名鉄バス)が高速道路経由に変更された。この結果定時性が向上し、運行バスの9割が30分以内で到着し、利用者も日換算で1割増加した。そのほか、名古屋市北部への新たなネットワーク構築によって交通流動が分散し、これまで一極集中していた東名阪自動車道(現・名二環:清洲方面)と5号万場線の相互交通が減少して千音寺料金所の混雑も緩和された。また、名古屋市内を南北に通過する交通も、一般道路から高速道路を利用するようになった。
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全線開通後
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知多鉄道線の開業により、知多半島東岸の各地区における対名古屋方面への移動の利便性が大幅に向上したほか、南知多地区における観光開発が進捗することとなった。特に河和周辺をはじめとして各地に点在する海水浴場は、名古屋地区からの手軽なレジャースポットとして注目され、夏季の海水浴客輸送需要が年々増大した。また愛知商船(現・名鉄海上観光船)と連携して河和港を拠点とした日間賀島・篠島および伊勢志摩方面への観光ルートを確立するなど、知多鉄道線は都市間輸送路線のほか観光路線としての機能も担った。 1935年(昭和10年)8月に知多鉄道の親会社である愛電は名岐鉄道と対等合併し、現・名古屋鉄道(名鉄)が成立した。この結果、知多鉄道は名鉄の傘下事業者となり、従来愛電に委託された知多鉄道線の運営は名鉄へそのまま継承された。 その後、1941年(昭和16年)に勃発した太平洋戦争の激化に伴う戦時体制への移行により、日本国内においては各種資材や燃料などの統制強化とともに、陸上交通事業調整法を背景とした地域交通事業者の統合が行政より事実上強制されるようになった。知多鉄道の親会社である名鉄はそのような時流に沿う形で自社路線に隣接する鉄道事業者の統合を進め、知多鉄道は1943年(昭和18年)2月1日付で名鉄へ吸収合併された。合併比率は名鉄10に対して知多7.5とされ、従業員は待遇・報酬とも知多鉄道在籍当時の条件のまま名鉄へ転籍したほか、保有路線および保有車両も全て名鉄へ継承された。 なお、知多鉄道線は名鉄へ継承された当初「知多線」と称されたが、戦後の1948年(昭和23年)5月に路線名称を「河和線」と改称した。
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全線開通後
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2008年6月14日に全線が開業した。これに合わせ、有楽町線新線を編入した上で和光市 - 渋谷間を「副都心線」と命名し、和光市 - 小竹向原間は有楽町線と線路・駅・施設を共有することになった。有楽町線新線から副都心線への改称に合わせて、便宜上「新線池袋駅」と案内されてきた同駅が「池袋駅」に改称され、千川駅と要町駅の営業が開始された。また、開業と同時に東武東上線や西武有楽町線を経由して池袋線との相互直通運転が開始された(相互直通運転自体は有楽町線新線時代から実施)。 開業後の利用者数は増加の一途をたどっている。都内鉄道駅を対象に2009年度と2014年度の利用者数を比較しその増加率を見ると、渋谷駅が第2位、東新宿駅が第3位、北参道駅が第7位、明治神宮前駅が第9位に入る。また、東京13号線計画とは別に2013年3月16日から渋谷駅で東急東横線との相互直通運転を行っており(後述)、利便性のさらなる高まりにより、東新宿駅などの利用者数をさらに押し上げている。 こうした輸送人員の大幅な増加によって、路線の経営状態も大きく改善している。週刊東洋経済が、国土交通省鉄道局『鉄道統計年報』から営業係数を算出したところ、2008年度の104.3に対し、2013年度は79.5となり、丸ノ内線や南北線を上回る黒字路線へと成長している。
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全線開通後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/05 17:15 UTC 版)
「国道8号白根道路改良」の記事における「全線開通後」の解説
「白根バイパス」も参照 新国道の開通以降、沿線では開発が進んだが、2車線であることに加え、交差点が短い間隔で設けられており、交通量の増加もあいまって、特に白根北部の住宅地である大通から上塩俵にかけてと、白根中心部の保坂から戸頭にかけての2区間においては渋滞や速度低下が慢性的に発生するようになった。この対策として、道路幅を拡張して1車線あたりの車線幅を拡幅し、歩道を増強する工事が(車線数は2車線を維持。当初は4車線化で都市計画決定されていたが未着工)行われたが、特に白根市街近傍の区間についてはバイパス道路「白根バイパス」の整備が行われた(国道8号の整備事業名に「白根バイパス」を使用するのはこれが初めて。整備内容の詳細は同項参照)。 大通付近では路側放送が放送されている。なお、設備の老朽化などのため2007年(平成19年)7月1日付で一旦休止され、同年11月下旬から設備更新工事が行われ、2008年(平成20年)4月1日に再開された(但し放送そのものは2007年(平成19年)10月より再開)。また、2006年(平成18年)3月までは2時間ごとの更新であったが、同年4月より10分ごとの更新となっている。 中ノ口川に架かる大野大橋は2車線しかなく老朽化していたことから、2005年(平成17年)に4車線併用のコンクリート橋に架け替えられた。 起点:新潟県新潟市西区大野町(大野町交差点) 終点:新潟県三条市代官島(代官島(東)交差点) 車線数片側2車線:新潟市西区大野町 - 南区下塩俵 片側1車線:上記を除く区間 大野大橋付近
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全線開通後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/05 15:31 UTC 版)
1998年(平成10年)3月23日 : 爪崎高架橋(暫定2車線、27 km)が供用開始。 2001年(平成13年)4月1日 : 並行する現道が国道429号に指定。 5月26日 : 長尾高架橋(暫定2車線、1.1 km)が供用開始。 2002年(平成14年)7月27日 : 船穂高架橋(暫定2車線、1.4 km)が供用開始。これにより全線高架化が完了。 2005年(平成17年)7月 : 新倉敷駅南土地区画整理事業が完了。 8月1日 : 浅口郡船穂町が吉備郡真備町と共に倉敷市編入。これにより倉敷市域のみを通る路線となる。 2011年(平成23年)3月10日 : 「倉敷立体」事業により倉敷市中島 - 同市片島町(1.4 km 、岡山バイパスを含む)が4車線化。 2014年(平成26年)9月24日 : 「倉敷立体」事業の船穂地区(倉敷市片島町 - 同市船穂町船穂、2.7 km)が着手。 2015年(平成27年)2月20日2時 : 終点部(倉敷市玉島阿賀崎)における通行形態が変更となり、玉島西ICが供用開始。 3月29日16時 : 玉島笠岡道路(自動車専用道路)I期区間(玉島西IC - 浅口金光IC、4.5 km)が供用開始され、本道路と直結。 2018年(平成30年)5月31日 : 「倉敷立体」事業による工事のため、高梁川大橋周辺の通行形態が変更。その後も同事業の完了まで段階的に変更される。 2020年(令和2年)3月14日 : 「倉敷立体」事業により倉敷市片島町 - 同市船穂町船穂(2.7 km 、高梁川大橋を含む)が4車線化された。
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全線開通後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 04:04 UTC 版)
2002年(平成14年)3月29日 - 倉田ランプ(下り線西向きオンランプ)を新設 (0.2 km) 。 2003年(平成15年)3月10日、早島町早島 - 倉敷市加須山 (2.5 km) を6車線化。 2006年(平成18年)10月13日 - 「岡山市内立体」事業 (岡山市洲崎 - 同市西市、5.0 km) の工事に着手。 2007年度(平成19年度) - 「倉敷立体」事業(玉島バイパス区間を含む倉敷市新田 - 同市船穂町船穂、7.7 km)の工事に着手。 2008年(平成20年) - 3月28日 - 「岡山市内立体」事業 (岡山市洲崎 - 同市西市、5.0 km) が完成。 2009年(平成21年) - 4月1日 - 岡山市が政令指定都市移行。経路上に東区・中区・南区が置かれる。 2010年(平成22年)3月12日 - 君津JCT (岡山市東区君津) - 大樋橋西交差点 (岡山市南区古新田) の最高速度の引き上げを岡山県警察が発表。 3月16日 - 「倉敷立体」事業のうち倉敷市新田 - 同市中島 (3.6 km) が完成。 3月31日 - 君津JCT (岡山市東区君津) - 大樋橋西交差点 (岡山市南区古新田) の最高速度が 70 km/h に引き上げ。 2011年(平成23年)3月10日 - 「倉敷立体」事業のうち倉敷市中島 - 同市片島町 (1.4 km) が完成。これにより同事業の岡山バイパス区間の4車線化が完了。 2014年(平成26年)6月4日 - 西大寺中野IC (岡山市東区西大寺中野) の改良工事に着手。 2018年(平成30年)2月23日 - 西大寺中野IC(岡山市東区西大寺中野)の改良工事が完成。上り線オンランプが延伸、同地点の信号機制御による合流が廃止となった。 2020年(令和2年)3月14日 - 「倉敷立体」事業(倉敷市新田 - 同市船穂町船穂、7.7 km)が完成。 2021年(令和3年)2月 - 岡山市古新田 - 倉敷市新田間についてすべての交差点を部分立体化する方針決定。 2022年(令和4年)2月 - 岡山市古新田 - 倉敷市新田間の立体化に関する都市計画決定。 4月 - 「岡山倉敷立体(I期)」が事業化。 4月10日 - 「一般国道180号 岡山環状南道路」事業による大樋橋西交差点の下り線が立体化。
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