全線開通、東急目黒線との相互乗り入れ実現
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「都営地下鉄三田線」の記事における「全線開通、東急目黒線との相互乗り入れ実現」の解説
以上の経緯を経て、東急との乗り入れは当初計画の泉岳寺線・池上線・田園都市線(後の大井町線)から目黒線へと、対象路線は変わったものの実現することとなった。これを受け、東京都交通局では1989年(平成元年)3月30日に三田 - 清正公前(仮称時・現在の白金高輪)間 1.7 kmの第1種鉄道事業免許を、清正公前 - 目黒間 2.3 km は第2種鉄道事業免許の申請を行い、同年5月24日に事業免許を取得した。この免許交付時点で、目黒延伸は1995年(平成7年)10月開業予定とされていた。各種手続きを経た、1992年(平成4年)7月17日に延伸区間の建設工事に着手した。 合わせて、三田線は開業から20年ほどが経過していることから、営団(当時)・東急・東京都の3者間で相互直通車両規格を定め、三田線の保安装置ATC化・列車無線の更新・乗り入れ車両は8両編成とするなどが盛り込まれた(ただし、目黒開業時点での8両編成化は見送られた)。 なお、1964年(昭和39年)12月に取得していた泉岳寺 - 三田間の地方鉄道敷設免許は、1972年(昭和47年)に清正公前 - 三田間に変更する起業目論見変更申請の状態となっていたが、清正公前以南の路線ルートが正式に決まっていないことから、処分保留となっていた。前述の免許取得と同時処分により、前述した泉岳寺 - 三田間の第一種鉄道事業免許の廃止許可と、起業目論見変更申請は交通局に返付された。 延伸区間のうち、白金高輪 - 目黒間および共同使用駅となる白金高輪駅の建設・設計は営団地下鉄(当時)に委託した。交通局では三田駅の白金高輪駅寄り 42 m の改造工事と、既存ビルの基礎が支障する 108 m について、ビルをアンダーピニングして開削トンネルを構築、白金高輪駅から三田駅に向かってはシールドマシン2台で、上下構造の単線シールドトンネルを施工した。 当初は1995年度の開業を予定(前述)していたが、建設工事の遅れから1997年度→1999年度、最終的には2000年度(2000年秋)まで延期した。2000年(平成12年)1月24日にはトンネル完成式およびレール締結式が実施された。最終的に東京6号線は西高島平駅 - 目黒駅間の路線として、2000年9月26日に全線開通した。 なお、乗り入れに先立って1999年(平成11年)12月3日に保安装置をT形ATSからATC方式に切り替え、列車無線を誘導無線(IR)方式から空間波無線(SR)方式に切り替えた。2000年(平成12年)4月からは自動列車運転装置(ATO)を使用開始したほか、乗り入れ直前の9月22日からは車掌乗務を省略したワンマン運転を開始した。ワンマン運転時のホーム上の安全確保のため、全駅にホームゲートを導入したことで各駅の停車時分が増加するが、ATCの導入による最高速度を向上(70 km/h→75 km/h) させることで、従来からの運転時分を確保した。 港北ニュータウン地区への鉄道建設についても、2008年6月22日に乗り入れ先の東急目黒線列車運転区間が武蔵小杉駅から日吉駅まで延伸され、同駅にて連絡する横浜市営地下鉄グリーンラインが港北ニュータウンを抜けて中山駅までを結ぶという形で実現された。 なお、営業区間確定前の東京都の公式文書において、三田線の正式な起点は上記の理由から泉岳寺駅となっていた。そのため関係官庁に届け出る文書では未成線である泉岳寺駅 - 三田駅間を加えた実キロ数が記入していたものもあったが、目黒開業時までに正式起点を目黒駅に改め、実キロ数も泉岳寺駅起点のものから目黒駅起点のものに書き換えられた。
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