全線開通とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/27 23:47 UTC 版)
「名古屋市電東郊線」の記事における「全線開通とその後」の解説
東郊線は開通当初、他の市電路線から孤立した路線であった。これは鶴舞公園 - 小針間を当時中央本線が通過していたためであるが、その後道路建設に伴って中央本線は嵩上げされ立体交差へと変わった。これを受けて市は1924年(大正13年)8月14日付で東郊線起点を中区鶴舞町へと変更する許可を得、翌1925年(大正14年)12月23日に鶴舞公園 - 小針間0.360キロメートルを開通させた。鶴舞公園延伸で小針 - 滝子間の既存系統は高岳線・高岳延長線との直通系統(大曽根 - 滝子間)に再編され、高辻 - 牛巻間の系統も鶴舞公園が起点となった。 牛巻以南も「第一期軌道建設改良工事」の一環として工事が進められ、牛巻 - 堀田間0.626キロメートルが1927年(昭和2年)4月17日に開業した。終点のすぐ南側を通過する愛知電気鉄道豊橋線(現・名鉄名古屋本線)は開通時には駅が設置されていなかったが、名古屋市中心部へのアクセスルートを模索していた同社は特急停車駅として市電延伸1年後に堀田駅を設置している。こうして東郊線は愛知電気鉄道との接続を果たすが、他方で同線の存在のため堀田以南への延伸ができず、熱田東町までの未開業区間は1936年(昭和11年)11月7日付で特許失効が広告された。 また東郊線周辺では、1928年(昭和3年)10月、滝子から東へ桜山町までの間に藤成線が開通する。同線開通で滝子は市電の終端ではなくなったことから、周辺地域はターミナルとしての性格が薄れていった。また太平洋戦争中の1944年(昭和14年)には高辻から西へ伸び熱田線・下江川線とつながる八熊東線も開通している。 戦後、東郊線には名古屋駅前や栄など市中心部と堀田駅・瑞穂通方面を結ぶ系統や、八熊東線・藤成線と結び高辻を東西に貫通する系統など、さまざまな運転系統が設定された(下記#運転系統参照)。
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