全線高架への計画変更以降とは? わかりやすく解説

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全線高架への計画変更以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:37 UTC 版)

東北・上越新幹線反対運動」の記事における「全線高架への計画変更以降」の解説

その後当該区間において顕著な地盤沈下隆起みられることを理由として、1973年昭和48年3月10日地下区間高架方式とする計画変更発表されると、当初目立った反対運動見られなかった浦和市与野市でも反対運動発生埼玉県もこの提案拒否した。 また計画変更は、東京都北区板橋区における経路の変更を伴うものであり、これによって直下トンネル赤羽台トンネル)が新たに掘られることとなった東京都北区での反対運動激化することとなった主な住民組織として、与野市に「与野市新幹線反対同盟協議会」、浦和市に「浦和市新幹線対策住民連絡協議会」、戸田市に「戸田市通過反対市民同盟会」が組織され、さらに1974年昭和49年4月には、この3市の住民からなる新幹線反対県南三市連合会三市連)」が組織された。 赤羽台トンネル真上位置する星美学園騒音などの問題から強硬に反対、そして東京都北区住民による「北区新幹線対策連絡協議会北新連)」が組織され、これらの住民組織反対運動展開することとなった住民による反対運動は、デモ行進ピケッティングなどによって展開された。このほか、日本国有鉄道国鉄)の説明会場へ押しかけ説明会開催させない、あるいは会場何時間にも渡って取り囲み国鉄職員が外へ出られない状況作ったりなどした。一方で成田闘争のような過激派介入を防ぐことにも、注意払われた。 後に、「与野市新幹線反対同盟協議会」の代表であった遠藤富寿は次のように述懐している。 国家権力による一方的な手法に対して、普通の主婦も立ち上がらざるを得ない状況だった。ただ、「成田闘争」には悪いイメージがあって、極左排除には気をつかった。 — 『回想県政二十年1996年、p62 また、反対運動当時埼玉県知事であった畑和は、次のように述懐している。 反対運動盛り上がる中、私はたびたび「三市連」の幹部会談した激励さえしなかったものの、「まあ、悪いようにはしないから」とは常々言っていたと思う。彼らの運動目の当たりにし、心の中で「捨てたもんじゃない」とある種感動覚えていたことも確かだった。「成田闘争のような過激な集団でなかったことも助かった。彼らのやり方住民運動好例になるような感じだった。 — 『回想県政二十年1996年、pp62-63 このような反対運動高まりの中で、1975年昭和50年5月衆議院公害環境特別委員会国鉄藤井松太郎総裁が、東京駅 - 大宮駅間の工事中断を表明1976年昭和51年12月16日当時埼玉県知事の畑知事が「大宮駅 - 赤羽駅間の通勤新線建設」「大宮 - 伊奈間の新交通システム導入」「環境基準遵守のため開業時速度低下および緩衝地帯として都市施設帯等の設置」「大宮駅に全列車停車」を4条件として県南高架建設条件付同意埼玉県議会示したその後1977年昭和52年10月福田赳夫首相東北・上越新幹線大宮駅暫定開業考え示し、さらに国鉄は、通勤新線建設埼玉県約束をして、地元柔軟化に期待した年表 1973年昭和48年3月10日 - 畑和埼玉県知事佐藤文生運輸政務次官会談佐藤次官が「地盤沈下がひどく地下化は無理」「全面高認めてもらえるならば、県南要望の強い通勤線をこれに併設」と発言する同日 - 東北新幹線大宮駅 - 赤羽駅間の工事実施計画変更発表される。この計画変更内容は、東京都北区内のルートが西寄りのより人家の多い地帯通過すること、および埼玉県南部地下案を撤回し浦和市与野市でも高架とすること。これに伴い北区住民運動激化浦和市与野市でも反対運動発生4月26日 - 与野市議会新幹線対策特別委員会に対して市民300名が押しかけ大混乱となる。 5月1日 - 「与野市新幹線反対同盟協議会発足1974年昭和49年4月13日 - 「新幹線反対県南三市連合会」(戸田市浦和市与野市の3市〈市名当時〉)発足通称三市連」。 1975年昭和50年5月 - 衆議院公害環境特別委員会国鉄藤井松太郎総裁が、東京駅 - 大宮駅間の工事中断を表明12月23日 - 国鉄藤井松太郎総裁が、「最悪な場合大宮駅臨時的ターミナルとすることも考えている」と国会で答弁1976年昭和51年12月16日 - 畑知事が「大宮駅 - 赤羽駅間の通勤新線建設」「大宮 - 伊奈間の新交通システム導入」「環境基準遵守のため開業時速度低下および緩衝地帯として都市施設帯等の設置」「大宮駅に全列車停車」を4条件として、県南高架建設条件付同意埼玉県議会で示す。 1977年昭和52年10月 - 福田赳夫首相東北・上越新幹線大宮駅暫定開業考えを示す。国鉄も、通勤新線建設表明

※この「全線高架への計画変更以降」の解説は、「東北・上越新幹線反対運動」の解説の一部です。
「全線高架への計画変更以降」を含む「東北・上越新幹線反対運動」の記事については、「東北・上越新幹線反対運動」の概要を参照ください。

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