都市施設帯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:37 UTC 版)
「東北・上越新幹線反対運動」の記事における「都市施設帯」の解説
騒音・振動対策として、都市施設帯が幅20mにわたって高架の両脇に設けられた。設けられているのは与野市・浦和市・戸田市の3市(当時)の北与野駅から戸田公園駅南端にかけてであり、3市以上に人口密度の高い東京都北区には設けられていない。 県南3市が沿線に都市施設を計画しており、その空間を沿線に確保するように国鉄に求めたのが始まりである。用地買収に当たって、資金を誰が負担するかが問題となったが、費用負担については別途協議することとして、鉄道高架の建設時に国鉄が先行取得の形で用地費を全額負担した。 会計検査院の報告書や『高速文明の地域問題』によれば、買収には1,200億円以上(1,220億4,655万円)の費用がかかり、その面積は買収時で24万7,500平方メートルとなっている。このアイデアの大元は建設局に在籍した岡部達郎によるものであったとされる。国鉄は「最終的には地元自治体が有償で買い取るべきだ」という主張で一貫していた。 国鉄は県南3市側が「都市施設」との呼称を持ち出した上述の経緯もあり、自ら買収に当たったこの敷地に「都市施設帯」と名付けた。会計検査院も「都市施設用地」との呼称を用いている。『高速文明の地域問題』など国鉄に批判的な研究書でも、この呼称を尊重している例がある。一部のメディア側は「環境空間」または「緩衝地帯」と言う土地の性格に着目して報道した。なお、赤羽駅 - 大宮駅間の埼京線・新幹線の建設費は、1キロ当たり371億円で、その42%は用地費であり、東北・上越新幹線の地方の区間に比較して高くついた。 国鉄分割民営化により、都市施設帯の所有権はJR東日本に承継され、ジェイアール東日本都市開発が受託管理する形態となっている(所々に警告板が設置されている)。1999年に、JR東日本と埼玉県南3市との間で、都市施設帯の取り扱いに関する基本合意が交わされ、与野市・浦和市が合併したさいたま市とは、2003年3月に改めて基本合意確認書を締結した。 1990年代以降、地元自治体との折衝により、与野本町駅・北与野駅のそれぞれ周辺部において、都市施設帯だった敷地に遊歩道が整備された。それ以外の場所では、開業後20年程度は緩衝帯に雑草が生い茂り、四方を木製の柱と有刺鉄線で囲って立ち入り禁止にしていたが、2000年代以降保育所・駐車場・店舗(飲食店・ドラッグストアなど)・テニスクラブ用地として各地で開発が進んでいる。 2010年頃に与野本町駅 - 北与野駅間が公園になったほか、2016年4月には武蔵浦和駅周辺の桜の名所として知られる、花と緑の散歩道(別所排水路)に隣接した区画が、公園として開園した。
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