新線
通勤新線(埼京線)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:37 UTC 版)
「東北・上越新幹線反対運動」の記事における「通勤新線(埼京線)」の解説
東北・上越新幹線の全面高架化の見返りとして建設された。大宮 - 赤羽間の通勤ラッシュの緩和目的のほか、当時在来線の鉄道駅がない一方、東北・上越新幹線の通過ルートとして予定された当時の与野市(現・さいたま市)・戸田市へ配慮した結果の産物である。新幹線への通勤新線の併設は、1973年(昭和48年)3月10日の新幹線の工事実施計画の変更(地下方式から全面高架方式への変更等)と同時に、国鉄側から公表されたもので、それまで目立った建設反対運動を起こしていなかった浦和市・与野市では、これを契機に建設反対運動が発生した。その後、駅数、快速停車駅など条件闘争においては3市(特に当時の与野市)の要求が反映されている。
※この「通勤新線(埼京線)」の解説は、「東北・上越新幹線反対運動」の解説の一部です。
「通勤新線(埼京線)」を含む「東北・上越新幹線反対運動」の記事については、「東北・上越新幹線反対運動」の概要を参照ください。
- 通勤新線のページへのリンク