大宮駅以北の運用に関する論争とは? わかりやすく解説

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大宮駅以北の運用に関する論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:37 UTC 版)

東北・上越新幹線反対運動」の記事における「大宮駅以北の運用に関する論争」の解説

大宮駅以北延伸については、県内自治体から相反する要求出された。 上尾事件後に事件背景として指摘されたように高崎線沿線高度経済成長以降急速な通勤通学人口の増加起こったこのため、同線は営業係数でも常に上位ランクするなど国鉄経営への貢献大きな線区一つ成長したが、反面輸送力増強追いついておらず、1980年代初頭でも280%余り混雑率記録していた。このような中、展望開けきっかけとなったのが通勤新線建設であり、新聞でも高崎線沿線からの混雑緩和への期待感報じられている。 1979年昭和54年12月20日には、埼玉県議会で「通勤新線熊谷乗り入れに関する意見書」が全会一致可決された。この要求考慮した国鉄は、高崎線混雑率でもワーストクラスにあったことから、当初中間赤羽線取り込んだ上で宮原駅 - 新宿駅間を開業させる計画だった。しかし、沿線地域でも要望には差があり、上記1979年12月県議会議決直後にも、与野市浦和市戸田市三市ならびに県議会議長埼玉県に対して反対申し入れている。 一方で川越線沿線住民からも「通勤新線相互乗り入れしてほしい」との要望強く出されていた。この要望についても国鉄検討行い南古谷車両基地(の用地)を確保できれば川越線電化を行うことで、川越駅まで直通運転が可能であると判断した車両基地埼京線内(戸田駅付近)や高崎線内(宮原駅付近)の計画が、用地買収難航頓挫していた。 川越線電化、および通勤新線開業後の一体的運用への計画変更は、こうした判断きっかけとなっている。車両基地用地買収円滑に進められ土地確保された。埼京線車両基地が、開業時より指扇駅 - 南古谷駅間間川越電車区現・川越車センター)として設けられたのも、このような経緯よる。 なお、車両基地設置場所確定した後も、県北自治体からは通勤新線宮原駅以北乗り入れさせるように運動が行われた。具体的には、沿線13市町村首長議会議長構成する通勤新線熊谷乗り入れ促進協議会」や県議会議員構成する国鉄高崎線輸送力増強推進協議会」の活動報じられている。これらは埼玉県構想にも反映され将来的には乗り入ればかりでなく、宮原駅以北高崎線複々線化視野入れていた。

※この「大宮駅以北の運用に関する論争」の解説は、「東北・上越新幹線反対運動」の解説の一部です。
「大宮駅以北の運用に関する論争」を含む「東北・上越新幹線反対運動」の記事については、「東北・上越新幹線反対運動」の概要を参照ください。

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