大宮駅への全列車停車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:37 UTC 版)
「東北・上越新幹線反対運動」の記事における「大宮駅への全列車停車」の解説
1976年(昭和51年)8月22日に、大宮市内での反対運動組織「大宮新幹線対策特別協議会」と国鉄東京第三工事局は、公害対策などで合意に達し、合意事項に調印を行った。この結果、大宮市内での反対運動は一つのヤマを越した。この中で「全列車を大宮駅に停車させる」との項目があった。また、畑和埼玉県知事は、東北新幹線を受け入れるにあたって、1977年(昭和52年)12月県議会の答弁の中で、通勤新線の建設、全列車の大宮駅停車、環境基準の達成、新交通システムの実現、という打開のための4条件を提示した。 しかし、東北新幹線上野開業の際には、大宮駅を通過する列車が登場している。これについて、1985年(昭和60年)3月8日の衆議院予算委員会第七分科会で国鉄の対応を問う質問に対して、須田寬国鉄常務理事は「埼玉県の皆様方から大宮全列車停車ということが、工事に関係いたしまして非常に強い御要望があったことは承知をいたしておりますし、当方が現地で地元の皆様方にそういったいろいろお話を申し上げる中で、大宮につきましては全列車停車可能な構造になっていることはこれは事実でございますし、今も可能なわけでございますが、そういうことを御説明いたします過程で、あるいはそういう御印象を与えたことがあったかということは必ずしも否定をいたしません。ただ、やはりその後のいろいろ列車のダイヤを考えてまいります中で、どうしても今申し上げましたようなことで、東北・上越新幹線全体として一番効用の高いダイヤというものを考えました中で、御案内のようなことになった次第でございますので、いろいろそういうふうなことで誤解を与えたりあるいは御説明のまずかった点は、これはおわび申し上げなければいけないと思いますが、何とぞ御理解をいただきたいというふうに考えます。」と、大宮駅への全列車停車は「誤解」「説明がまずかった」に過ぎないものとの答弁をしている。
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