開通以降とは? わかりやすく解説

開通以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 14:29 UTC 版)

六甲トンネル」の記事における「開通以降」の解説

1995年平成7年1月17日に、兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)に見舞われ山陽新幹線不通となった六甲トンネルでは、余震による2次被害懸念して地震後2日間はトンネル内に入坑せず、1月19日からトンネル内の調査行ったその結果トンネル覆工大小100か所の被害確認された。アーチ部からのコンクリート塊の剥落トンネル側壁部の張り出しによるクラックなどが主な被害である。さらにレーザー測定器使った断面測定および覆工打音検査実施し修復必要な覆工21か所、変状は1,310か所1,078.5平方メートル確認された。 コンクリート浮き剥落発生している場所は、不良部分切り落とし断面修復した上で必要に応じてアンカー施工し既存覆工修復部分付着確保したクラックにも注入行いロックボルト行って補強した4月8日復旧し、運転を再開した2010年3月から、トンネル内でも携帯電話使用可能となった。元々トンネル多く電波通じない箇所多かった山陽新幹線において、電波状況改善するため、その対策として工事が行われたものである新大阪駅から姫路駅までの間、連続して携帯電話通話を可能とするもので、六甲トンネル含めて6つトンネル対象となる。対象となる携帯電話会社NTTドコモKDDIソフトバンクモバイルイー・モバイルの4社。 JR西日本2018年12月5日未明に、トンネル補修工事一環としてトンネル天井モルタル流し込む工事実施したところ、直後同日午前に、兵庫県西宮市から「トンネルか白濁した流出し、川で浮いている」との連絡があり、同社調査したところ、同市内津門川白濁し工事使用したモルタル似た物質検出された。また、コイ150匹の死骸発見された。同社原因特定されるまで補修工事中止することにしている

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開通以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 04:29 UTC 版)

メナイ吊橋」の記事における「開通以降」の解説

車道の幅はわずか 24フィート (7.3 m) であり、間もなくトラス補強しなければ風に揺れて非常に不安定であることが分かった1840年に、メナイ橋橋床W・A・プロビス (W. A. Provis) により補強され1893年には木製表層部(床版全体がベンジャミン・ベイカー(英語版)により設計され鋼製橋床置き換えられた。また、長年にわたる4.5トン重量制限は、増加する運輸産業に対して問題があるとされると、1938年から1941年に、もとの錬鉄製のチェーンが、閉じことなく鋼製チェーン交換された。1999年には、橋床強化道路の再舗装のために約1か月閉鎖されその間すべての行き来は隣のブリタニア橋経由することを必要とした。 2005年2月28日世界遺産候補としてユネスコ奨励された。同じ日にの1車線が6か月閉鎖され交通1つ片側車線絞られて、午前中本土へ午後アングルシー島への往還通行なされた1940年以来65年ぶりの大規模な塗装の後、2005年12月11日双方向の通行再開されるようになった

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