開通に係る諸問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/22 08:44 UTC 版)
大芦橋が竣工し、3.5トン以下の車両限定で10月に仮開通の予定だったが、橋に接続する周辺道路が未整備なため、その開通に地元住民の「待った」が掛かった。旧道の吹上駅周辺一帯は幅員の狭い通りでクランク状に市街地を抜けなければならず、未整備のままでは交通量の増加に伴う交通事故の恐れの他、交通渋滞が危惧されたからである。橋の着工から約10年の歳月が流れたことで町の事情や価値観が大きく変化していた。計画では現道を拡幅の上で国鉄(現、JR東日本)高崎線を立体交差する跨線道路橋(榛名陸橋)を設けて北に延伸し、鎌塚で国道17号に接続する予定だった。しかし、地元住民による反対運動のため、跨線橋や道路の延伸整備が遅れた。吹上町は代替案として吹上団地(住宅地)近くを北に通り下忍で国道17号に至る道路(通称筑波線)への迂回路を検討したが、こちらも団地住民を中心に迂回路に当たる沿線住民が反対した。これを受けて1979年(昭和54年)11月、町議会は現状のままでは全面的な開通は無理で、交通対策が確立するまでは大型車の乗り入れは禁止する決議を採択し、町は県や警察に大型車の交通規制を要請した。県も現状では無理と町の要請に同調し、大里比企広域農道交点より富士電機前までの区間を5トン以上の大型車は当面通行禁止にする措置をとる事となった。橋は大型車の通行は当然ながら可能ではあるが、車幅制限を実施すべく橋の両詰であるアプローチ区間の入口の位置にドラム缶で車止めを設置して幅員を狭くして、大型車を通れなくする措置を取り、大芦橋の暫定供用を開始した。大芦橋の開通式は行われなかった。跨線道路橋の建設は1980年(昭和55年)に入った頃に住民との協議が再開されたが、その時点においては大芦橋の全面開通はいつになるかはまだ分らなかった。
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