開通から第二次世界大戦まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 12:47 UTC 版)
「ミシュコルツ市電」の記事における「開通から第二次世界大戦まで」の解説
ミシュコルツ市電は1897年に開通した、現在のハンガリーにおいてブダペスト市電(ブダペスト)に次ぐ2番目に古い路面電車路線である。これはミシュコルツの発展による人口増加に伴う公共交通機関の需要増加を受けて計画が立案されたものであり、1895年以降工事が実施された経歴を持つ。一方、1906年にはミシュコルツの製鉄所の労働者を中心とした輸送機関として別企業が建設した路線が開通し、こちらは路面電車に加えてスチームトラムも使用された。これらの2つの企業は同年に合併し、12月には双方の路線の直通運転が開始された。 開通初期のミシュコルツ市電 それ以降、ミシュコルツ市電の利用客は急速に拡大し、一部の支線を廃止して幹線の輸送力を増強する事態にもなったが、以降は路線の延伸や乗客の流動に適した路線の移設などが積極的に実施され、車両についてもスチームトラムに代わる電車の増備が積極的に行われた。また、1909年には運営権が電気・軌道株式会社(Részvénytársaság Villamos és Közúti Vasutak Számára)、通称「トラスト(Tröszt)」へと移管された。 第一次世界大戦中は更に利用客が増大し、3両編成(電動車 + 付随車 + 付随車)の導入などで対応したものの、末期には石炭不足に端を発した電力の制限により運行にも影響が及び、戦後は経済危機による利用客の減少にインフレーションが加わり、保守作業もままならない状況が続いた。その後、情勢が安定する中でミシュコルツ市電の路線網は再度拡張された他、輸送力の増強のため他都市からの譲渡車両や開業時の車両の車体更新車を含めた新型電車の導入も続いた。 その後、第二次世界大戦勃発によりミシュコルツ市電の利用客は急増し、1943年の年間利用客数は1,210万人に達した。この事態を受け、ブダペスト市電からの譲渡車両が多数導入された他、廃車された車両が主電動機を取り外したうえで付随車として再利用された。だが、空襲の被害により1944年の11月から12月にかけて全線の運行を休止する事態に陥り、終戦後は1947年頃までこれらの復旧が実施された。
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