開通からの振興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 08:05 UTC 版)
「しまなみ海道サイクリングロード」の記事における「開通からの振興」の解説
しまなみ海道サイクリングロード、西瀬戸自動車道 1999年すべての架橋が終わり広島県と愛媛県が陸続きとなり、公式的にはこの年に瀬戸内海横断自転車道(しまなみ海道サイクリングロード)が全線開通した。 島内の一般道での通行は無料だったが、橋梁による渡海には通行料がかかった。当時今治には市サイクリング協会があり繁信順一市長以下積極的にサイクリング振興していたのに対して、尾道にはサイクリング協会すらなかった。愛媛県側の沿道にはサイクリングターミナルのサンライズ糸山を始め、多々羅しまなみ公園・しまなみの駅御島・伯方SCパーク・よしうみいきいき館の4つの道の駅が1999年には存在していた。一方で広島県側の地元紙中国新聞は当時、自転車道の未整備区間も多く標識による案内も乏しかった、と報道している。「自転車も高速道路をず~と走れるんやろ」と自転車道の存在を知らなかった島民もいた。 来島海峡大橋馬島IC付近。1999年供用開始。左外側(北側)が自転車歩行者道、右外側(南側)が原付道。 サンライズ糸山。1999年開業。今治側の出発拠点。 開通に伴い島と島あるいは県境を超えての乗り捨てを可能としたレンタサイクル事業が始まった。これは今治側が主導したものであり、広島県側では県のイベント協会が立ち上げ1999年開幕記念イベント終了後に各市町が引き継ぎ、瀬戸内しまなみ海道周辺地域振興協議会がすべてを取りまとめて運営していた。当初は両県とも盛況した。ただ広島県側では当時乗り捨てシステムは利用者数の予測が立てられないとして沿線各市町で対応に温度差があり、拠点づくりやメンテナンスサービスも不十分であった。知名度自体が上がらなかったため事業は苦戦を強いられ、2005年には実績の最低値を記録している。 そうした状況下でサイクルイベントを継続的に開催し「しまなみ海道=自転車」のイメージ作りを続けていた。またサイクリングのノウハウは今治側が先行していたが、観光開発のノウハウは尾道側が先行しており、お互い教え合うことで連携を深めていった。 しまなみ海道レンタサイクル貸出実績(台)年度000000 000000愛媛広島1999 57,010 13,000 2000 33,929 10,879 2001 24,257 10,549 2002 21,693 10,469 2003 22,522 9,425 2004 21,016 9,461 2005 19,622 10,274 2006 24,089 11,389 2007 39,034 11,924 2008 41,926 14,531 2009 36,335 15,844 2010 30,842 17,336 2011 36,622 24,327 2012 41,122 33,750 2013 42,228 39,623 2014 57,117 59,186 2015 67,012 68,217 2016 62,348 78,857 2017 66,372 83,368 2018 58,304 73,771 2004年には愛媛県側が国土交通省サイクルツアー推進事業モデル地区に指定され、翌2005年から2007年まで愛媛県側で住民参加型モデルコース作り、つまりハードではなくソフト面での事業を展開した。
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